京都人による京都案内

京都人が京都の良きところを紹介します。たまに他府県も混じります。




[PR]



2006年12月21日(Thu)▲ページの先頭へ
剣神社−剣とはトビウオのこと?−
剣神社 京都は東山区今熊野の剣宮町にあるその名も剣神社へ参ってきました。

この剣神社ですが、残念ながら創建年代は不詳です。名前の由来は平安遷都の際に、王城鎮護として都の巽の地に剣を埋め、そこに神殿を建立したことから剣神社と名付けられたと言われています。 剣神社祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、邇邇藝命(ニニギ命)、白山姫命。御利益は疳封じなどで子供の守護神と云われています。 剣神社史実では この神社のどこかに剣が埋まっているらしい? 剣神社 とりあえず、鳥居の向こうにある本殿へ向かってみます。 剣神社 鳥居右脇には大きな石、「撫石」があり創建以来の御神石といわれています。多分、神社の撫石はいままでの経験上、撫でると縁起が良いとされるので私も撫でておいた。 剣神社 こちらが拝殿と本殿。 剣神社 両脇には絵馬が奉納されているが、一風変わっている。 剣神社 なんとトビウオだった。2匹のトビウオは剣を表してのことなのか?

剣神社の絵馬は絵馬蒐集の好事家の間に評判が高いらしい。(石子順造著「小絵馬図譜」による) 剣神社 この地は一昔前までは、 ぼととぎすの名所として知られたそうで、文人墨客の好んで杖をひいたことから石碑が建てられていた。 剣神社その他にも朝日神明宮という末社があります。

剣神社はその勇壮な名前の割に疳封じやどもり封じなどの御利益、トビウオの絵馬といった優しい神社でした。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







今熊野神社−樹齢850年の楠−
今熊野神社 京都は東山区今熊野の地にある今熊野神社を訪れてみました。

この今熊野神社ですが実は正式名称は新熊野と書いて、いまくまのと読むのが正解です。

また新熊野神社の「新」は「あたらしい」ではなく、「あらたかな」熊野神社の意味です。

新熊野神社は、後白河上皇よって永暦元年(1160年)に熊野三山をこの地にあった仙洞御所法住寺殿の中に、新日吉社とともに勧請して創立されたことにはじまります 今熊野神社 社頭の大樟(くすのき)は有名で、その枝は東大路通りにまで飛び出しています。 今熊野神社大樟社横には霊木のさすり木が置かれています。 この大樟、余談ですが毎朝、その枯れ葉を掃除されているのを見届けて出勤しています。 今熊野神社こちらが新熊野の大楠です。後白河上皇お手植えと云われており、 熊野の神々が御降臨になる「影向の大楠」、「大楠大権現」との別名が。
京都市天然記念物
なんと樹齢850年、 高さ約19メートル、周囲約6メートル
今熊野神社また、ここ今熊野神社は能楽発祥の地として知られています。

室町時代に大成した能は大和結崎座の観阿弥とその子、世阿弥がこの今熊野神社の社頭で、足利義満の御前能として演ぜられたことにより京中で評判となり、将軍家や武家の後ろ盾を得て発展していきました。

この石標は今熊野勧進猿楽を記念するものとして建てられたものです。 今熊野神社 今(新)熊野神社の本殿へ参ります。本殿の横にはなぎの木が植わっています。もともとこの神社は梛の宮と呼ばれていたんだそうです。境内には浩宮徳仁親王殿下お手植えの梛の木があります。

梛は古来から禍や災難をなぎ払い、海のなぎに通じ波静かな平和な状態を招来する霊樹とされている。 今熊野神社 社紋は梛(なぎ)の木に三本足の八咫烏(やたがらす)が描かれていることからこの神社の絵馬も梛(なぎ)の木に三本足の八咫烏(やたがらす)。 今熊野神社 八咫烏は神武天皇の東征の時、熊野から大和への悪路の先導役をしたとされ、旅の安全を守る大鳥と言われているゆえ。このマーク、サッカー日本代表でも有名ですね。 今熊野神社境内にはその他にも結の社、速玉社、中四社、若宮社、下四社、大樟社など多数の末社があります。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







瀧尾神社−天井に棲む龍−
瀧尾神社−天井に棲む龍− 京阪東福寺駅を北へ上がった所にある瀧尾神社へ参ってみました。 瀧尾神社−天井に棲む龍− 瀧尾(たきお)神社の創建・由来は残念ながら不詳。天正14年(1586)10月、豊臣秀吉の方広寺の大仏殿建立に伴い、この地に移されたことから、もとは三十三間堂界隈にあった神社と思われます。 瀧尾神社−天井に棲む龍− 古さを感じさせる絵馬堂です。

何故か大丸百貨店の歴史を示す絵馬も掲げられております。 実はこの瀧尾神社、あの京都に本店を持つ大丸百貨店ゆかりの神社と知られているのです。大丸創業者の下村家初代が欠かさず参拝に訪れ、現在の社殿は下村家の援助、小さな末社、大丸神社もあります。 瀧尾神社−天井に棲む龍− こちらが社殿と本殿。 瀧尾神社−天井に棲む龍− 社殿の立体彫刻が素晴らしいのです。 瀧尾神社−天井に棲む龍− 瀧尾神社−天井に棲む龍− 手塚治虫の漫画に出て来そうな鳥たちの表情。 瀧尾神社−天井に棲む龍− 日光にも瀧尾神社がありますが、確かに東照宮にも似た凝った装飾は東人の手による雰囲気。 瀧尾神社−天井に棲む龍− 最後にこちらの神社の目玉は拝殿天井の龍の彫刻です。 瀧尾神社−天井に棲む龍− 拝殿には上がれなかったので周囲から手を伸ばして写しました。 瀧尾神社−天井に棲む龍− 禅寺の法堂なら理解できますがが、何故にここまで細密な龍の彫刻を拝殿に。 瀧尾神社−天井に棲む龍− 大きな木彫りの龍はそれも下からみた姿そのままに、アゴや腹が彫られ、グロテスクです。 瀧尾神社−天井に棲む龍− 毎日、通学している谷校の生徒はこの龍の存在を知ってるのでしょうか?(谷校:大谷高校のこと)

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年12月20日(Wed)▲ページの先頭へ
朝焼けを見ました。
京都の朝焼け 京都人の朝は早い。

早朝6時前、大石橋の上から、東の空に朝焼けを見ました。 京都の朝焼け 京都の夕焼けは喧騒の中にあるが、

朝焼けは静けさの中にあり。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年12月19日(Tue)▲ページの先頭へ
嵐山花灯路2006
京都嵐山花灯路2006京都嵐山花灯路2006を見に行ってきました。 京都嵐山花灯路2006今年で2回目ということですが、人通りは去年より多く、だいぶ定着してきている感がありました。 京都嵐山花灯路2006最初に先日の新聞にも載っていた十三参りの寺で有名な法輪寺へ足を伸ばして行ってみる。 京都嵐山花灯路2006ここ 法輪寺さんは 和銅6年(713)に元明天皇の勅願により、行基菩薩が創建の古刹です。

日本随一の虚空蔵菩薩の霊場としてその霊験は『今昔物語』などにもでて参ります。京都では『十三まいり』の寺として知られ、京都人の私も十三歳の折、渡月橋を振り返らず、参りました。 京都嵐山花灯路2006 今年はデジタルアーティスト長谷川章氏が演出した時空を超えた光のアートことD-K LIVEといって十五台の特殊プロジェクターによる光の演出が行われていました。 京都嵐山花灯路2006デジタル掛け軸といって、何枚通りにも色が変化していくのだそうです。 京都嵐山花灯路2006私も霊場 法輪寺で現代の宇宙の気と言霊を体験してみました。 京都嵐山花灯路2006 十三まいりで有名な寺、法輪寺の境内からは京都市内が一望できます。 京都嵐山花灯路2006 近くは渡月橋や大河内山荘、遠くは京都タワーが見えます。 京都嵐山花灯路2006法輪寺を降りて、再び、メインの大堰川以北へ向かってみる。この日は川風が厳しい。 京都嵐山花灯路2006 長辻通りを越えて、竹林の小径へ入ってみました。 京都嵐山花灯路2006このあたりは人が最も多く、賑やかです。 京都嵐山花灯路2006野宮神社。 京都嵐山花灯路2006 京都嵐山花灯路2006 京都嵐山花灯路2006 京都嵐山花灯路2006 京都嵐山花灯路2006 京都嵐山花灯路2006常寂光寺。 京都嵐山花灯路2006 京都嵐山花灯路2006 二尊院。 京都嵐山花灯路2006 落柿舎。 京都嵐山花灯路2006 京都嵐山花灯路2006

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







京都イエナリエ−桂坂−
京都イエナリエ−桂坂− 宇治方面に続いて、今度は京都の桂坂あたりのイエナリエを見に行ってきました。 京都イエナリエ−桂坂− 桂坂はいわゆる京都の高級住宅地と思われています。 京都イエナリエ−桂坂− 有名なラーメン横綱の社長宅はすでにイルミネーションを止めていますが、それでも京都随一のイエナリエスポット。 京都イエナリエ−桂坂− 京都イエナリエ−桂坂− 動画で撮ればもっと良いかも知れない。 京都イエナリエ−桂坂− 京都イエナリエ−桂坂− こんなことで?と笑われるだろうが、広角レンズが欲しいと思った。 京都イエナリエ−桂坂− 京都イエナリエ−桂坂− 京都イエナリエ−桂坂−こういうの 一つで良いと思いますが2つ揃える資金力があるのだろう。 京都イエナリエ−桂坂− 京都イエナリエ−桂坂− このペガサスの羽は電動で動いていた。 京都イエナリエ−桂坂− 京都イエナリエ−桂坂−"" 桂坂には夢のある人がいっぱい。 京都イエナリエ−桂坂− 京都イエナリエ−桂坂− イエナリエをやっている戸数は京都一ですが、どうもこれはスゴイというのが見あたりません。 京都イエナリエ−桂坂− やはり、宇治の突出した2件をクリスマスイブまでに撮影に行かねば。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年12月17日(Sun)▲ページの先頭へ
大津港界隈のイルミネーション
大津港界隈のイルミネーション ちょっと足を伸ばし大津港界隈のクリスマスイルミネーションも撮影して参りました。 大津港界隈のイルミネーション 産経新聞に載っていた「クリスマスムードを盛り上げる巨大ツリーのイルミネーションが、大津市浜大津の大津港に登場し、訪れた人々を楽しませている」とは右の写真のクリスマスツリーのことだった。(高さ4メートルらしい) 大津港界隈のイルミネーション 神戸ハーバーランドのコンチェルトのようにここ大津港では観光汽船による琵琶湖クルージングが楽しめます。 大津港界隈のイルミネーション 残念ながらお目当てのミシガンは出航してしまった直後だった。 大津港界隈のイルミネーション 大津港と言えばミシガンのイメージしか持たれないようですが、ブランカ、うみのこの三隻が停泊しています。 大津港界隈のイルミネーション 目の前ではびわこ花噴水もイルミネーションしていたので退屈しのぎに目で追った。 大津港界隈のイルミネーション 夏の琵琶湖花火大会もこのあたりから打ち上げているのだろうか? 大津港界隈のイルミネーション 高さ約40メートルまで噴き上がり、横幅440メートルは世界最大級の大きさと看板に書かれている。コンピューターで制御され、形も色々と変化するので見ていて飽きない。 大津港界隈のイルミネーション 写真のシーンは龍の背中を表現しているのだとか。 大津港界隈のイルミネーション 西のマリーナに停泊するヨットもイルミネーションしていた。 大津港界隈のイルミネーション まだまだ時間があるので散策してみる。 大津港界隈のイルミネーション こちらはアクアテラス迎賓館。 大津港界隈のイルミネーション 大津港の真裏側にある建物なんです。 大津港界隈のイルミネーション 大津港界隈のイルミネーション 戻って更に波止場をウロウロと。 大津港界隈のイルミネーション 待つこと1時間、ようやくミシガンが帰ってきた。 大津港界隈のイルミネーション 最近はホテルよりもこういった所でのウェディングが流行らしい。 大津港界隈のイルミネーション 着飾った紳士淑女が続々と。 大津港界隈のイルミネーション

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







京セラ本社ビルのX’masイルミネーション
京セラ本社ビルのX’masイルミネーション 京都は伏見区の風物詩となった感のある京セラ本社ビルのX’masイルミネーションを撮影して参りました。 京セラ本社ビルのX’masイルミネーション 1998年に京都市伏見区に本社を移転して以来毎年、本社ビル内の室内照明を活かし、クリスマスツリーを形どったイルミネーションを行っているが今年で9回目だとか。

東西二面に二段重ねのもみの木が演出。写真はビルの真下から撮りました。

少し離れたところからだと、西はパルスプラザの屋根で見にくく、東は京都高速道路油小路線で見えないです。 京セラ本社ビルのX’masイルミネーション 灯台もと暗し。
いっそ、伏見桃山城周辺まで離れた方がきれいに見えるのかも知れない。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年12月15日(Fri)▲ページの先頭へ
成相寺−願いが必ず成り相う寺−
成相寺−願いが必ず成り相う寺− 丹後半島の天橋立近く、成相寺を訪れました。

ここは天橋立と並ぶ界隈の観光スポットで多くの人がお参りに訪れておられました。

それもそのはず704年(慶雲元)、真応上人が開基した西国三十三カ所霊場第28番札所の古刹です。

京都にある札所はその他に、

三室戸寺 (第十番霊場) 上醍醐寺 (第十一番霊場)
今熊野観音寺 (第十五番霊場)
清水寺 (第十六番霊場)
六波羅蜜寺 (第十七番霊場)
行願寺、通称 革堂(こうどう)(第十九番霊場)
頂法寺 通称 六角堂(第十八番霊場)
善峰寺 (第二十番霊場)
穴太寺 (第二十一番霊場)
松尾寺 (第二十九番霊場)

があります。

ここ寺の名前、「成相寺」は「願い事が成りあう寺」としてあまりにも有名ですが、寺の名前には由来があります。

以下は成相寺の案内書より引用

ある日、一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中深雪の為、里人の来住もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となった。 死を予感した憎は「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈った。すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に狼の為傷ついた猪(鹿)が倒れているのに気付いた。僧として、肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、決心して猪(鹿)の左右の腿をそいで鍋に入れて煮て食べた。

やがて雪も消え里人達が登って来て、堂内を見ると本尊の左右の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散って居た。それを知らされた僧は観昔様が身代リとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになった。此れよりこの寺を成合(相)と名付けた。 成相寺−願いが必ず成り相う寺− 成相寺は天橋立を望む成相山の中腹にあり、私が訪れた西国巡りの寺の中でもっとも険しい場所にありました。元々は日本古来の山岳宗教の修験場ということで、日本全国にある五つの「聖の住む所」の一つとして信仰を集めたのだそうです。

道中の坂は驚くほど急な勾配になっていますので車の運転に気を付けてください。 成相寺−願いが必ず成り相う寺− 車を止めて山門から三百メートル。本堂には長い急な階段しかありません。 撞かずの鐘成相寺名物、撞かずの鐘です。

駒札には

慶長十四年(一六〇九)山主賢長は、古い梵鐘にかえ新しい鐘を鋳造する為、近郷近在に浄財を求め喜捨を募った。一回、二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時、裕福そうな家の女房が「子供は沢山居るがお寺へ寄付する金はない」と険しい目の色で断った。

やがて鐘鋳造の日、大勢の人の中に例の女房も乳呑児を抱えて見物していた。そして銅湯となったルツボの中に誤って乳呑児を落としてしまった。

此の様な悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。しかし耳をすますと子供の泣き声、母親を呼ぶ悲しい声、聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って一切この鐘を撞く事をやめ、撞かずの鐘となった。

と書かれています。 成相寺−願いが必ず成り相う寺− 巡礼堂です。その他に、参道左側の小高い場所に五重塔が復元されています。 一願一言の地蔵さん 一願一言の地蔵さんです。(ひとことじぞうは六角堂や壬生寺にもあります) 鉄湯船 重要文化財にもなっている鉄湯船です。

現在手水鉢として使用されているが、本来湯船として制作されました。湯船は寺院の大湯屋において寺僧の施浴に用いられたものです。  

成相寺に所蔵される湯船は鋳鉄製、口縁部に鍔をつけ、底部をわずかに細くした盥形で、底部中央に流口の穴をうがっているとされています。鋳物師山河貞清によって鎌倉時代、正応3年(1290年)に作られたものです。 鉄湯船の龍の飾り智恩寺と違い、この 鉄湯船には龍の飾りが付けられており、その口から水が流れ出て飲用可。地元の人が汲みに来ています。

この水は成相寺創始当初の本堂のあった場所から湧き出ているものをここまで引いてきているといわれ、名水と云われています。 成相寺・本堂 本堂は安永3年(1774年)造。全体的に色が落ちて年代を感じさせます。入母屋造りの正面は千鳥破風で飾られております。 成相寺の本堂 本尊は「聖観世音菩薩」で秘仏となっており非公開、また本堂内は撮影禁止となっています。 左甚五郎作の真向の龍 左甚五郎作の真向の龍です。雨宿りしたときに彫ったと言われています。 成相寺パノラマ展望台 最後にあの傘松口縁より高いと言われる成相寺パノラマ展望台へあがりました。 成相寺パノラマ展望台 雨降りの日でしたので天橋立はこの通りです。 成相寺の本堂 最後に西国三十三所御詠歌を紹介して成相寺のレポートの終了です。

波の音松のひびきも成相の、風ふきわたす天の橋立




京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年12月12日(Tue)▲ページの先頭へ
魚っ知館−京都唯一の水族館−
魚っ知館(うおっちかん) 先日、京都府宮津市にある関西電力宮津エネルギー研究所にある魚っ知館(うおっちかん)へ行ってきました。

ここ関西電力の研究施設では火力発電のほかに、温水を利用した地域の特産となる魚介類の研究を行っています。

ちなみに魚っ知館(うおっちかん)京都で唯一の水族館と言われています。 魚っ知館(うおっちかん)魚っ知館(うおっちかん)ではエネルギー展示室、魚っ知コーナー、タッチングプールなどがありますが、目玉は水族館です。

丹後周辺の海に住む魚を主に約200種類4000匹も見ることができます。 魚っ知館(うおっちかん) 京都の沼池に生息して巣を作る淡水魚イトヨ、ハリヨやトミヨなども展示されていました。 魚っ知館(うおっちかん) こちらがメインの大水槽です。 魚っ知館(うおっちかん) 目の前を右に横切っているのはローニンアジです。こんなに大きくても現役のアジなんです。 魚っ知館(うおっちかん) エイです。他にもウミガメやサメ、高級魚クエなどがいます。共食いしないのでしょうか。 魚っ知館(うおっちかん) 私の最も好きな魚 メガネモチノウオです。

目を通る黒いラインが眼鏡をかけているように見えることからこの名前が付いた魚の王様です。ナポレオンフィッシュと言った方が通じるかも知れません。迫力ある風貌が人気で人懐こく、ダイビングする方にはお馴染みの魚です。 魚っ知館(うおっちかん) 普段はじっとしているのですが、本日は激しく動き回っていました。 魚っ知館(うおっちかん) こちらがタコです。明石が関西では有名ですが、若狭の海でもたくさん生息しております。ちなみに私も素手で昨年掴まえ、タコ酢にして食べました。 魚っ知館(うおっちかん) 釣り好きには有名な最も美味しいイカ、アオリイカです。 魚っ知館(うおっちかん) ミノカサゴです。ライオンフィッシュの別名があり、毒を持っています。 魚っ知館(うおっちかん) グジです。京都ではお馴染みの魚で、アマダイとも呼ばれます。 魚っ知館(うおっちかん) その他にもヒラメやカレイ、ウツボなど主に丹後半島の海の魚たちがいっぱい展示されています。 魚っ知館(うおっちかん) 鮫です。釣り好きの友人が高砂の海で釣れたぞと云っていました。 魚っ知館(うおっちかん) 最近ブームになったクマノミです。ここ魚っ知館(うおっちかん)では繁殖に成功しているそうで、この魚は本当の海を知らないんだそうです。 魚っ知館(うおっちかん) 立って泳ぐ小さな魚です。名前は忘れました。 魚っ知館(うおっちかん) 青と黄のコントラストが美しいハナヒゲウツボです。ダイバーに人気があります。 魚っ知館(うおっちかん)長い鼻が特徴のクギベラです。珊瑚に隠れたエサをつつくために進化しました。 魚っ知館(うおっちかん) 魚を撮っているともっと良いカメラが欲しくなってきました。どうもベラ科の魚が私は好きなようです。 魚っ知館(うおっちかん) 巨大な伊勢エビです。そういえば重さが4キロ近くになる巨大ロブスターの新種も発見されました。 魚っ知館(うおっちかん) 館外へ。ゴマフアザラシのゴン太とカン太だそうです。 魚っ知館(うおっちかん) その他にも人気のペンギンや魚を実際にさわれるタッチングプールがあります。子供がおられたらぜひ一度宮津にある魚っ知館へ行ってみてください。



京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年12月11日(Mon)▲ページの先頭へ
日本三景天橋立ビューランド
天橋立先週末、京都は宮津にある日本三景の一つ、天橋立を初めてこの目で見ました。

以下は天橋立のパンフレットより引用

日本三景は、宮城県宮城郡松島町の松島、京都府宮津市の天橋立、広島県廿日市市の厳島(宮島)の3つの名勝地のことで、儒学者・林春斎が著書『日本国事跡考』に、「丹後天橋立、陸奥松島、安芸厳島、三処を奇観と為す」と書いたのが始まりと言われています。

百人一首の小式部内侍の歌に見られるように古代から名所として知られ、イザナギが天に昇るためのはしごが、寝ている間に倒れて天橋立になったとの記述がある。 天橋立天に舞う白い架け橋のように見える 天橋立を望む場所はいくつもありますが、傘松公園とこの天橋立ビューランドが双璧です。 天橋立 山頂へはリフトとモノレールが運行しています。 天橋立 リフトで上がる途中にもう巨大な天橋立を眼下に拝むことができます。 天橋立 遊園地などがある山頂に到着です。今日は残念ながらあいにくの雨空です。

ここより見える松並木の直線の景色は特に素晴らしく龍が天に舞い上がる姿を現していると特別に「飛龍観」と呼ばれています。 天橋立 天橋立と言えば「股のぞき」が有名ですが、股のぞき台がわざわざ設けてあります。

頭を下げて又から天橋立を望むとだんだん頭が充血して目が廻る様になり、まさに幻想的な紫紺の空に続く様になるとのことです。

天地転倒の逆転効果により、松並木が天にも続くような錯覚を起こし天の釣り船とも天にかける橋にも見えるといわれています。 天橋立 股のぞきをしてみました。どうですか? 天橋立 文政三年、難波の旅人が残した有名な七言絶句があります。

  股間観望有公評
  笑見景光殊態呈
  萬松懸倒蘸波生
  即題而飛龍観矣

ここからの眺望「飛龍観」の名は、この旅人の詩からつけられたものだそうです。  その他にも江戸中期の国学者でもあった歌人 村田 春海(はるみ)が次のような歌を残しています。

神の世に 神のかよいし 跡なれや 雲居につづく 天橋立      天橋立 また近いうちの青天の日に訪れたいと思います。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







京都駅のクリスマスイルミネーション
京都駅のクリスマスイルミネーション 大津で仕事している妻を車で迎えに行った折、時間があったのでお約束の京都駅周辺のイルミネーションも撮影してみました。 京都駅のクリスマスイルミネーション 師走の通勤ラッシュ、立ち止まるだけでも相当邪魔なようですいませんでした。 京都駅のクリスマスイルミネーション 京都駅前のバス停あたり。 京都駅のクリスマスイルミネーション 京都駅も新しくなって今年で10周年。正面玄関にもクリスマスリースが飾り付けられています。 京都駅のクリスマスイルミネーション ポルタへ降りる入り口もこの通り。 京都駅のクリスマスイルミネーション ホテルグランビア 京都へ向かう方のエスカレーターを昇ってみました。 京都駅のクリスマスイルミネーション こちらはクリスマスカーニバルガーデンと呼ぶのだそうです。あまり分からないところに大きなカボチャと馬車。 京都駅のクリスマスイルミネーションチャペルのベル越しに22メートルの巨大なクリスマスツリーが見えています。 京都駅のクリスマスイルミネーションカップルがこのあたり京都駅東側界隈は特に多いです。もうすぐクリスマス、今年はプレゼント全然考えていないとふと我に返りました。 京都駅のクリスマスイルミネーション高さ45メートルの空中径路を使うと駅ビルの東西を回遊してイルミネーションを楽しむことができるようになっており、通路もクリスマスの飾り付けがこの通りされていました。 京都駅のクリスマスイルミネーション 外の景色は同じ目線に京都タワーが。 京都駅のクリスマスイルミネーション 室町小路広場に設置された高さ22メートルの巨大クリスマスツリーです。ステージに上がって写真を撮る人の列が出来ています。 京都駅のクリスマスイルミネーション 約4万個の赤や緑の電飾が、ワムのラストクリスマスやジョンレノンのハッピークリスマスと共に七色に変化していました。 京都駅のクリスマスイルミネーションそんなこんなで一時間ほど暇をつぶしていたら妻が帰ってきました。

聞いたところ、大津港界隈のイルミネーションはここより遙かにきれいだそうで、欲張りの私は近いうちに行ってみることにしました。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年12月06日(Wed)▲ページの先頭へ
光のページェントTWINKLE JOYO 2006
光のページェントTWINKLE JOYO 2006城陽の山城総合運動公園の中にある鴻巣山一帯で催されている 〜光のページェントTWINKLE JOYO 2006〜を見に行きました。

去年から始まった光のページェントTWINKLE JOYOですが、なんでも城陽市観光協会設立5周年記念事業なんだそうです。 光のページェントTWINKLE JOYO 2006 20万個の電球で彩られた公園一帯はロームのと違って、市民の手による手作り感で溢れています。 光のページェントTWINKLE JOYO 2006 地元の幼稚園児が作った物。 光のページェントTWINKLE JOYO 2006 ねこバスや、 光のページェントTWINKLE JOYO 2006 さつきとメイの家。下の方にはまっくろくろすけがいっぱいぶら下がっていました。 光のページェントTWINKLE JOYO 2006 トトロ。 光のページェントTWINKLE JOYO 2006 アンパンマンもあり。 光のページェントTWINKLE JOYO 2006 なんと七国山行きのバス停。子供を連れて行ったらきっと喜んでくれると思います。 光のページェントTWINKLE JOYO 2006 光のページェントTWINKLE JOYO 2006 今年は去年より規模が大きくなっています。 光のページェントTWINKLE JOYO 2006 光のページェントTWINKLE JOYO 2006 光のページェントTWINKLE JOYO 2006 こちらは恋の願いが叶うハートのベンチだそう。 光のページェントTWINKLE JOYO 2006 なんと云っても駐車場が無料なのが有り難いです。

にぎわいとともに露店が出店、市のPRや地域産品・土産物の販売も行われています。 光のページェントTWINKLE JOYO 2006 実施期間 平成18年12月1日(金)〜平成18年12月25日(月)
点灯時間17:30〜21:30

アクセスはこちらをクリック

      


建仁寺
もう終了してしまいましたが、建仁寺では本年度、大桃山展開催され、桃山時代の海北友松の 雲龍図、竹林七賢図、山水図、(いずれも重要文化財)  が特別公開となっておりました。

無料招待券を頂いたので、併せて潮音庭なども改めて見てきました。


2006年12月05日(Tue)▲ページの先頭へ
京都イエナリエ−宇治−
京都イエナリエ−宇治− 古都の夜間拝観も終わり、長い夜を持て余し気味の私。

クリスマスも近づいてきたので、京都のイエナリエを撮影しに出かけてみました。 京都イエナリエ−宇治− 伏見、山科でイエナリエをやっている人は絶対に宇治城陽方面へ近づかない方が良いと思う。

そのボリュームとイエナリエをしている圧倒的な戸数を見て自分が恥ずかしくなるから。かくいう私もその一人ですが・・・ 京都イエナリエ−宇治− 他府県の自動車も宇治のイエナリエを見るためにぐるぐる徘徊している。 京都イエナリエ−宇治− どこでやっているかは迷惑がかかると行けないので御自身で見つけてください。 京都イエナリエ−宇治− 日本のホームセンターでは決してお目にかかれない様なものも多数。 京都イエナリエ−宇治− きっと家の主はカーテンの後ろでほくそ笑んでいるに違いない。いっそ目をそむけて通ろうか。

仕掛け人は男性、女性どちらが多いのだろうか?またクリスマスのたびに一々器具を取り付けてるのだろうか? 京都イエナリエ−宇治− 最後に。
これらの家ひっくるめても勝てない、最強イエナリエが宇治には2軒存在しました。それは次回をお楽しみに

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓













2006年12月02日(Sat)▲ページの先頭へ
青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観
青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 青蓮院の飛び地境内、将軍塚にあります大日堂が夜間ライトアップされていましたので見てきました。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 情報誌には 

比叡山から大阪まで270度の眼下に広がる百万ドルの夜景。 夜景にも匹敵する紅葉のライトアップ。中央を流れる鴨川の流れ、比叡山から北山、西山の山々。京都盆地が大パノラマとなって広がり、あたかも空中散歩をしているようです。

と書かれていましたが果たしてどんなものか、私も夜、庭園内に入るのは初めてです。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観桓武天皇平安京造営時、都の安泰を念じて将軍の像を埋めた大きな将軍塚が境内にあるのが将軍塚の地名の由来です。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 もともと東山山頂(東山ドライブウエーの先)にある将軍塚には展望台が全部で3ヶ所あり、どれも眼下に京都市内を一望できます。こちらは無料の市営駐車場先からの展望台写真です。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 100万ドルか100万ウォンのどちらの値打ちか計りかねますが、これでも十分きれいです。

青蓮院大日堂へ入るには500円払わないと行けないので寒いしこれにて帰ろうと思いましたが、大型観光バスから続々と人が大日堂のほうへ向かうので私もなけなしの金を集めて入ってみました。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 こちらが大日堂です。

天台宗五門跡の一つの青蓮院の分院です。本尊は平安時代の石造の大日如来像です。明治中期に、山頂でキラリと光るものが見えた所を掘ってみると石像の大日如来が発見され、大日堂を建て祀ったのが始まりです。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 門をくぐって広い庭園には紅葉がライトアップされています。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 残念ながら半分は散り紅葉でした。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 ここは同じ京都東山でも標高が高く、気温もこの時間ですと5℃まで下がっておりビックリ。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 広大な庭園はアツアツのカップルがたくさん。出来るだけ邪魔しないように避けて写しています。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 青蓮院大日堂の庭園は勾配があり、敷地面積以上に広々と感じられます。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 遠くにうっすらと京都市中の夜景が見えてきました。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 一つ目の低い方の展望台に到着です。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 三脚を使っていないので手ぶれしています。悪しからず。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 もう一つの展望台は鉄筋になっており、階段を上ってみます。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 京都の繁華街のネオン。昼間は鴨川の川の流れまで見えるとか。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 西山から京都駅方面へかけての夜景です。 青蓮院大日堂庭園・展望台 夜の特別拝観 比叡山から北山。

写真では本当の魅力は伝わっていません。後は御自身の目で確かめてみてください。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓













2006年11月29日(Wed)▲ページの先頭へ
近江八幡−京都人の滋賀 散策−
今日は、窯焚き中で、窯の前から離れられません。説明文は明日お付けしますので画像だけ先にご覧下さい。


北山通りのクリスマスイルミネーション
北山通りのクリスマスイルミネーション 北山通り沿いもクリスマスイルミネーションが始まっていたので見に行ってみました。 聖ピエトロ教会西から東へ向かって歩むと賀茂街道沿いに建っている、こちらは聖ピエトロ教会です。 マリアグレース北山貴賓館 現在はマリアグレース北山貴賓館としてウェディングなどのゲストハウスとして利用されています。 真実の口 ローマの真実の口を模した円盤装飾。嘘つきは海神トリトーネにかまれます。 マリアグレース北山貴賓館 中も京都とは思えないほどの別世界、ヨーロピアン。 マリアグレース北山貴賓館 今日は食事に来ていないのでこれにてご遠慮しました。 北山ル・アンジェ教会松ヶ崎まで来ると見えてくるのが 北山ル・アンジェ教会です。天使が舞い降りる教会と云う別名があります。

残念ながらイルミネーションは中へ入らないと見れません。おそらく北山通り中、美しさは随一だと思いますが、私はクリスチャンじゃないので中はここも遠慮。 ノーザンチャーチ北山教会 更に東へ進むとノーザンチャーチ北山教会があります。 ノーザンチャーチ北山教会 こちらのイルミネーションは毎年恒例になっており、チャーチの前にはベルが置かれており、ツリーに吊るして祈りをささげることができます。 ノーザンチャーチ北山教会 ノーザンチャーチ北山教会 ノーザンチャーチ北山教会 前にも書きましたが、夜景の撮影は現在、特訓中です。 ノーザンチャーチ北山教会 残念ながらノーザンチャーチ北山教会の美しさの半分もお伝えできていません。あとは実際に御自身の目で確かめてみてください。 ノーザンチャーチ北山教会 北山迎賓館 最後は私の妻がお世話になっているテイクアンドギブニーズの北山迎賓館です。





京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓













2006年11月28日(Tue)▲ページの先頭へ
ロームのクリスマスイルミネーション2006
ロームのイルミネーション2006 今年もロームでクリスマスイルミネーションが始まっていましたので撮影してきました。ご覧ください。 ロームのイルミネーション2006 毎年この時期になると、西大路五条西側にあるローム本社ではクリスマスイルミネーションを行います。今年で11回目だとか。 ロームのイルミネーション2006 電球の数も今までで最多の48万個使っているそうです。 ロームのイルミネーション2006 春日、佐井通り入り口には大きな丸が二つ。 ロームのイルミネーション2006 歩道橋の上からがベストスポットでした。 ロームのイルミネーション2006 たくさんの警備員が四つ角に立っています。 ロームのイルミネーション2006 ロームのイルミネーション2006 分け入っても分け入ってもイルミネーション。余りの木立の数に口もあんぐり。 ロームのイルミネーション2006 ここまで来ると美しいという言葉を通り越しています。 ロームのイルミネーション2006 ロームのイルミネーション2006 数年前はクマとか動物の形をしたイルミネーションもあったような・・・ ロームのイルミネーション2006 ロームのイルミネーション2006 よく見ると七色に輝くクリスタルの輝きが。 ロームのイルミネーション2006 しだれ桜もこの時ばかりはイルミネーション。 ロームのイルミネーション2006 普段通勤に使わない方もこの時ばかりはあえて通られるようです。 ロームのイルミネーション2006 渋滞した車のライトもイルミネーションのうちかと。 ロームのイルミネーション2006 これからクリスマスに向かうほど、更に混雑が予想されますので、見られる方はお早めに。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月26日(Sun)▲ページの先頭へ
新日吉神宮
新日吉神宮 京都東山の女坂を上がった所にある新日吉神宮へ行ってみました。 新日吉神宮 京都女子大の前にあるこの新日吉神宮ですが、「しんひよしじんぐう」とは云わず、「いまひえじんぐう」と特殊な読み方をします。

新日吉神宮は永暦元年(1160年)後白河法皇が、住まわれていた三十三間堂近くの法住寺内に、方位の厄除けのため、比叡山東坂本の日吉神社を、勧請して建立されたのが最初で、明治三十年に当地に移されました。 新日吉神宮 祭神は、後白河上皇のほか、山王七社・素戔嗚尊・大山咋命・大己貴命・賀茂玉依姫命・田心比売命・菊理比売命・大山咋荒魂・賀茂玉依姫荒魂がお祀りしてあります。古くから、朝廷の崇敬厚く後白河上皇は、108回も行幸されたとのこと

現在、新日吉神宮は酒造、医薬、縁結びの神さんとして信仰されています。 新日吉神宮 楼門には少し古くなっていますが武者が一対安置されています。 新日吉神宮 こちらは新日吉神宮手前にある小さな山口稲荷神社です。 新日吉神宮 拝殿です。拝殿を含む本殿は社殿は応仁の兵火で焼けその後の増改築で 天保6年(1835)に建てられました。朝廷の崇敬厚く数多くの天皇の遺物、宸筆が収められています。 新日吉神宮 こちらが本殿脇にある一対の狛犬ならぬ、神猿です。神猿と書いてマサルと呼びます。

坂本の「日吉山王社」の神の使いが猿ですので、日吉信仰にはマサルがつきものです。まさる、魔が去る、何よりも勝るという語呂合わせを兼ねています。 新日吉神宮 金網がかかっているのは夜になって動き出して悪さをしないようにとのことです。その他にも比叡山坂本のほうへ山を越えて帰ってしまうと聞いたこともあります。 新日吉神宮同様に鬼門封じの意味で置かれた御所の猿が辻や赤山禅院の屋根の神猿(まさる)にも金網がかかっています。 新日吉神宮 近づいてみました。
日吉大社の神使である神猿(まさる)はいつもこんな風に鳥帽子をかぶり、御幣などをかついでいます。 新日吉神宮こちらが本殿です。

数多く天皇の遺物、宸筆を蔵してあり、江戸後期の小沢蘆庵をはじめ多くの文学者の稿本など近世文学の資料を蘆庵文庫の名で宮司家が保存しておられます。 新日吉神宮 本殿裏を時計回りに回ると、 新日吉神宮本殿左にある末社 飛梅天満宮があります。

御祭神は須川道真公、菅公遺愛の飛梅之霊です。 永暦元年、後白河天皇が飛梅の霊は、道真公が太宰府下向の際、「東風吹かば、匂いおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」と詠まれて別れを惜しまれた旧宅の梅が、一夜のうちの、配所に花を咲かせたという故事にちなんで創設されました。 新日吉神宮また本殿裏手には巨木 スダジイがそそり立っています。樹齢400年、幹の太さ4メートル、はるか秀吉の時代から今なお成長しています。京都市指定保存樹だとか。 そのほかにも境内には江戸時代に密かに豊臣秀吉を祀った小さな樹下社があります。コノモトノヤシロと読みます。

江戸時代、徳川時代には旧秀吉の物は徹底的に破壊される憂き目にあいますが偉功が残る京都ではこうして秀吉を隠れて崇拝する人も多数いたのです。 新日吉神宮こちらは 秋葉山、愛宕山を祀った小さな末社です。

次は左京区のサル寺へ行ってみます。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月25日(Sat)▲ページの先頭へ
祇園閣−幻の銅閣寺−
祇園閣円山公園の南側にある祇園閣が公開していましたので、初めて登って見ました。 祇園閣 祇園閣は東山界隈なら比較的遠くからでも見ることが出来る展望台を兼ねた高閣で、 祇園閣 先端によく見ると鶴がついています。建てた人物の幼名「鶴吉」に因んだものだそうです。 訪れた日は雲一つない青空が広がっていました。 祇園閣祇園閣の歴史はホテルオークラなどの大倉財閥創始者 大倉喜八郎が90歳の折、京都には金閣、銀閣があるのに、どうして銅閣がないんだろうと思いつき、京都市街を見おろす別邸を京都東山に建てたことに始まります。

祇園閣は高閣の形が祇園祭の鉾を表すことからその名も祇園閣と名付けられました。

この祇園閣ですが、大倉家の手を離れ、高島屋から現在は龍池山大雲院の所有物となっています。 祇園閣 今日の京都は紅葉も真っ赤です。 祇園閣 龍池山 大雲院は、通常は非公開の寺なので拝観できません。 祇園閣 本日は京の伝統工芸品展との共催、各種工芸の展示、製作実演が催されていました。 祇園閣 こちらは鐘楼です。鐘楼は桃山時代の建物で、北野天満宮から移築されたものです。また梵鐘は、島津家(宮崎県)が佐土原藩士の菩提を弔うために寄進したもので、室町時代造。 祇園閣 大雲院の正門前の紅葉も真っ赤っか。 祇園閣 石川五右衛門の墓です。石川五右衛門の運と人気にあやかろうと 墓石を欠いて持ち帰る人が後を絶たないとか。 祇園閣 織田信長、信忠の碑です。もともと、大雲院は本能寺の変後、織田信長・信忠の霊を弔うために二条新造御所の跡に建てられた寺です。豊臣秀吉の都市改造により大雲院は寺町通へ、そして、昭和に入って東山区の円山公園南にに移されました。 祇園閣 真葛荘の庭などを屋根上から見た後、いよいよ祇園閣に登ります。 祇園閣 大倉財閥の総帥、大蔵喜八郎が伊藤忠太に設計を依頼して建てた祇園閣の高さは約34m、3階建です。

入り口の銅扉の内側にも鶴のレリーフがありますが、こちらも喜八郎の幼名「鶴吉」に因んだものだそうです 祇園閣両脇に置かれた阿吽の狛犬です。 祇園閣 日本のものというより朝鮮半島の狛犬のような珍しい姿。大倉喜八郎の趣味が出ています。 祇園閣 楼閣内部の壁画がすごいんです。撮影禁止のため外からの一枚しかありませんが、昭和62年の修復で敦煌の壁画が模写されました。 祇園閣 最上階に出ます。 祇園閣 通路は結構、狭いので、高所恐怖症の方は遠慮された方がいいかも。 祇園閣 こちらも京都市中が一望できます。西山の景色。 祇園閣 東山三十六峰。知恩院さんが見えています。 祇園閣 こちらは大谷祖廟。 祇園閣 南側はあいにく逆行でしたが八坂の塔がはっきり見えています。 祇園閣 高台寺と霊山観音です。 祇園閣 高台寺周辺も紅葉極まっているのが解ります。 祇園閣 この祇園閣ですが、この上の階の屋根が銅板葺きなのが銅閣の由来です。 祇園閣 最後にこの祇園閣ですが、施主の大倉喜八郎は完成する2ヶ月前に亡くなり、中へは入れず、また相続した息子喜七郎はこの建物の異様さに気味悪がって入らなかったというエピソードが残っています。





京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓













2006年11月24日(Fri)▲ページの先頭へ
壬生寺
壬生寺 久しぶりに壬生狂言や新撰組に馴染み深い 壬生寺へ行ってみました。

壬生寺は平安時代、三井寺の僧がこの地に地蔵菩薩を安置して堂を建てたのがおこりで、後にこの寺が壬生の地にあるため壬生寺と称されました。本尊は地蔵菩薩で、開基は園城寺(現在の三井寺)の僧快賢です。写真は壬生寺の山門。 壬生寺 一夜天神堂 この壬生寺ですが、延命・厄除けの地蔵菩薩として信仰が厚く、節分の時には大勢の参拝者でにぎわいます。また境内には老人ホームや保育園が設けられています。

写真は一夜天神堂といって、「一夜にして知恵を授かる」として、学業上達の御利益がある託願上人作と伝わる一夜天神像が祀られています。また菅原道真が筑紫に流される前にこの地の親戚を尋ね、一夜を明かしたと云われています。現在の堂宇は1852年(嘉永5年)の再建です。 壬生寺夜なき地蔵です。その名のとおり赤ちゃんの夜鳴きと病気平癒のお地蔵さんです。 壬生寺 水掛地蔵 有名な水掛地蔵です。1649年(慶安2)年作の石仏。こちらのお地蔵さまは別名「一言地蔵」とも言って、お水をかけて祈るとひとつだけ願い事が叶うと言われています。 壬生寺 こちらが阿弥陀堂で、まだ新しく平成14年(2002)に建築家・山本良介氏の設計によって再建されたということです。阿弥陀如来三尊像(阿弥陀、観音、勢至)が安置されています。

この阿弥陀堂の奥に、有名な壬生塚(新選組隊士墓所)があり、100円払うと壬生塚の中に入れます。 壬生寺 中には小さな池があり、最近の新撰組ブームでこの龍も置かれました。 壬生寺近藤勇像です。かつて、壬生寺境内は新選組の兵法調練場に使われ、武芸や大砲の訓練を行ったといわれています。 壬生寺胸像の左横の塔は「遺髪塔」といい近藤勇の髪が祀られていました。その他にも新選組屯所で暗殺された隊士・芹沢鴨と平山五郎のお墓の他、隊士7名の合祀墓があります 壬生寺新選組顕彰碑です。後ろ側には恐い新撰組の掟「局中法度書」が書いてありました。 壬生寺三橋美智也のヒット曲「ああ新撰組」の歌碑が建てられていました。刻まれた文字は作詞者の横井弘の揮毫だということです。 壬生寺人丸塚です。こちらは万葉の歌人、柿本人麻呂の塚といわれています。 壬生寺かつて壬生寺の参道にたてられていたとされる百度石です。 壬生寺その他にもたくさんの塚が壬生塚には建てられていました。 壬生寺 壬生寺本堂です。1962年(昭和37年)の火災で全焼し、その後再建。そのため、現在の本尊は、律宗の総本山 奈良唐招提寺より招かれました。ちなみに壬生狂言で有名な重要文化財の大念仏堂は2月初旬の三日間の節分厄除大法会、4月21日〜29日の春の公開、10月の三日間の秋の公開時にしか見られません。 壬生寺 最後に本堂と並んで建つミャンマーのパゴダ風の千体仏塔です。1989年(平成元年)壬生寺創建1000年を記念して改築されました。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月23日(Thu)▲ページの先頭へ
岡崎神社−京のうさぎ神社−
岡崎神社京都は東天王町 岡崎にある岡崎神社へ行って参りました。

この岡崎神社のある地 東天王町ですが、もともと平安京が造られたときに王城鎮護のために都の四方に建立された社の一つです。都の東にあたることから「東天王」と云われています。 岡崎神社 岡崎神社は東天王社というのがもとの名前で、はじめ北白川にありましたが、貞観11(869)年にこの地に移されました。

ちなみに西天王町は現在の平安神宮あたりです。11月中は七五三参りをやっていました。 岡崎神社岡崎神社の駒札です。 以下は駒札の文字を引用

祭神として素戔鳴尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、及びその御子三女五男八柱神を祀る。  社伝によれば、桓武天皇の平安京遷都に際し、王城鎮護のため平安京の四方に建てられた社の一つで、都の東にあるところから東天王と称した。 岡崎神社 その後、社殿が炎上したため貞観11年(869)社殿を造営し、あらためて播磨国(現在の兵庫県)広峯から上記の祭神を迎え祀ったという。  古くから産土神(うぶすながみ)として付近氏子の信仰を集めていたが、治承2年(1178)中宮の御座の奉幣を賜ったことから安産の神として信仰され、また、住時の王城鎮護方除(ほうよけ)の勅願により方除厄除神として信仰されている。 岡崎神社 例祭は7月16日に行なわれる。氏子祭は10月16日で、この日行列を整えて氏子町々へ神幸があり、櫓太鼓を先頭に十一基の振鉾(ふりぼこ)を連ね、神輿の渡御が行なわれる。この振鉾のうち、特に犬鷹鉾(いぬたかぼこ)は平安時代の姿を伝える名鉾として有名である。−以上 岡崎神社 鳥居横、駒札より引用− 岡崎神社 境内案内図がないのでちょっと解りにくいですが、拝殿だと思います。 岡崎神社 境内には全国にも珍しい竜神様と呼ばれる雨ノ社がありました。元は如意ヶ岳(大文字山)の山中に有った祠で、雨乞いの神として崇敬されています。 岡崎神社 こちらが本殿です。方角をつかさどる神様として、城南宮同様、方除厄除神として信仰されており、地鎮祭などの建築関係の祭事も多く行われています。 岡崎神社本殿脇にはウサギの人形が祀られていますが、ここ岡崎神社は京都のウサギ神社としても有名なんです。 岡崎神社 絵馬にもウサギさんが描かれています。 岡崎神社引き戸にもウサギの絵柄が一対。 岡崎神社もちろん、ウサギおみくじだってあります。一つ500円也。 岡崎神社最後に本殿脇の御手水の所には参拝者に大人気の有名な黒御影石のうさぎが置かれています。子授け厄除けうさぎとして、撫でたり、水を掛けたりして拝むと子供を授かったり、安産で済むといわれています。 岡崎神社 背後の紫雲山を始め栗ヶ原一体が野兎の生息地であったことから、兎は岡崎神社の氏神さまのお使いとされています。また、境内の狛犬の台座、本殿燈篭、斎館の欄間などに兎の彫刻があるそうですが、私には見つけられませんでした。 岡崎神社もともとこの黒御影石のウサギですが、青銅だったそうです。戦時中、金属が不足したため、持ち出されたとのこと。 岡崎神社 どこをみているのでしょうか? 岡崎神社 ねずみ、イノシシ、鳩、ウサギ、と来て次は京のサル神社へ行ってみます。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







清閑寺もみじ
清閑寺もみじ11月23日の祝日早朝、京都の東山 清閑寺の紅葉を見に行ってきました。 東山の古刹 清閑寺もここから将軍塚にかけて、京都では紅葉の穴場として知られています。 清閑寺もみじ 清閑寺のもみじは昔から、清閑寺もみじといって、その独特の葉の小ささで知られ、京都の他の寺の紅葉とは異なります。 清閑寺もみじ毎年関東からこの寺の紅葉目当てで訪れる方も多いという京都人でもあまり知られていないスポットです。 清閑寺もみじ 高倉天皇陵あたりもすべて清閑寺もみじが植わっています。 清閑寺もみじ こちらは紅葉ではありませんが、京都では清閑寺にしかないと云われている三ツ葉かえでです。古の昔、中国から来たものを植えたとされています。ちょっとうどんこ病気味でした。 清閑寺もみじ 11月も末になりましたが、まだ紅葉も満開とはいかないようです。 清閑寺もみじ 清水寺から歩いて10分ほどの距離ですが、静かで、一文字違うだけで大違いです。 清閑寺もみじ 昔は清水寺よりも大きかったそうです。 清閑寺もみじ最後にお約束の要石からの扇形の景色を見て帰りました。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月20日(Mon)▲ページの先頭へ
冷泉家
冷泉家 秋の非公開文化財特別拝観ということで、烏丸今出川の冷泉家が公開されておりましたので、拝観して参りました。

冷泉家は 京都御所の北側にある現存する唯一の公家屋敷です。

冷泉家は公家の一、藤原道長の子藤原長家を祖とする御子左流 二条家(摂家の二条家とは別)の分家で、歌聖と仰がれる藤原俊成、定家父子を遠祖とする「和歌の家」です。

定家の孫、為相を初代とし、以来八百年の長きにわたり、和歌の宗家としてその伝統を今日に伝えています。

家業は歌道・蹴鞠で、南北朝時代に上冷泉家・下冷泉家という通称で呼ばれる二家に分立しました。両家とも現在に続く名門ですが、一般に冷泉家として云われるのは、上冷泉家を指します。江戸時代における家格は羽林家で、官位は概ね権大納言を極官とされました。

この冷泉家は「れいぜいけ」と発音しますが、東西に横切る通り 冷泉通りは「れいぜん」と読みます。 冷泉家冷泉家の邸宅は昭和57年に重要文化財に指定されており、平成六年から始まった解体修理工事は足かけ七年をかけて、平成十二年に竣工。寝殿造りの殿舎の起り屋根はもともとの柿葺きに戻され、瀟洒な姿を甦らせています。 冷泉家 和歌に関する多くの書籍や古文書を守り伝え、昭和五十六年、財団法人冷泉家時雨亭文庫を設立して今日に至っています。ここ御文庫は冷泉家に伝来した貴重典籍、古文書を収めるのが御文庫で冷泉家の信仰の対象になっています。 冷泉家 冷泉家は、豊臣秀吉によって、形成された公家町の一画である現在地に屋敷を構えたのは江戸時代初めの慶長年間(1600年頃)です。以来四百年、この地を動いていません。

天明八年(1788)、御所を含む、都の過半を焼き尽くしたいわゆる天明の大火の時、御文庫などの土蔵以外の建物はすべて焼失したが、寛政二年(1790)、屋敷はすぐに再建され、今に至っています。 冷泉家 明治時代になって、ほとんどの公家は天皇に同行して東京に移り、それらの屋敷は取り壊されて、公家町は消滅し、跡地は外周に石塁を積んで御苑に整備されました。

しかし、今出川通りを隔てて、留守居役を預かった冷泉家は京都に残り、旧地にほぼ完全な姿で保存される、近世公家住宅唯一の遺構となっています。 冷泉家 今出川通りに南面して建つ表門は本瓦葺きの一間一戸の薬医門です。 冷泉家 この表門で特に目を引くのは屋根両隅の留蓋瓦として立つ、阿吽を対にする亀像瓦です。 冷泉家これは冷泉家が、京都御所の北に位置することから、いわゆる四神相応の制にいう、玄武神を表しています。

また中央梁の上にもう一匹の木彫りの亀が北向きに屋根を見守るように祀られていると言うことですが、見つかりませんでした。 冷泉家 表門を入ると奥行二間ほどの白川砂を敷き込んだ前庭をもつ玄関があります。 冷泉家 左手隅には南向きに供待の腰掛があり、立蔀で目隠しされた内玄関、と式台を敷設した大玄関が構えられています。 冷泉家 内玄関は日常的な来客や家族の出入り口であり、大玄関は当主や貴客の出入りに用いられました。こうした玄関を中核として東に晴れの座敷棟延び、座敷部の北には当主の日常生活空間としての中奥の座敷が連なっています。又、西には裏向きの台所棟が配されていると云うことです。 冷泉家 塀重門です。玄関と東の座敷棟南庭とを限る高塀に開けられた塀重門はもっともハレの出入り口で、行幸またはお成り、或いは勅使到着の可能性のある家々には必ず構えられていました。 冷泉家 そうした時には玄関に客を迎え入れるのではなく、この塀重門を通り、座敷縁先の階(きざはし)から直接、上の間に通りました。 冷泉家 左近の桜ならぬ、左近の梅です。
庭には東に紅梅、西に橘が植えられています。東が桜ではなく梅なのはまだ、国風化する前の、中国的であった古制に則るものであったためです。 冷泉家 この梅と橘は昭和57年お成りになった宮様方のお手植えによるものです。 冷泉家 玄関部西の台所棟は桟瓦葺きの切妻屋根で、禅院などの庫裏によく似た姿を表に見せています。 冷泉家 土間の正面上方にしゃぐまと称する藁束が吊り下げられていますが、これは祇園祭の長刀鉾に使われたもので、いつの頃からか祭礼後に頂いて、ここに魔よけとして飾るようになったと云われています。 冷泉家 土間南西には飾り竈が二基ありました。 冷泉家 こちらが内玄関で日常的な来客や家族の出入り口。江戸時代の鶴唐子図杉戸がはめられていました。 冷泉家 こちらは大玄関。当主や貴客の出入りに使われました。 冷泉家 奥に見える屏風が江戸時代中期の画家 原在中の孫、原在照の筆による鶏図屏風です。 冷泉家 塀重門を超えると一番先にあるのが使者の間です。こちらには雪汀花鳥図屏風が置かれていました。 冷泉家 真ん中が中の間です。こちらには衣桁に冷泉家22代為系が、天皇即位礼の折、使ったとされる 装束が衣桁に掛けられていました。 冷泉家冷泉家22代冷泉為系の写真。 冷泉家 最後に一番東側にあるのが上の間です。上の間には身分の高い客、中の間には同等の客、使者の間には身分の低い客や使いの者が通されました。 冷泉家 上の間から使者の間に至る部屋境の欄間は素通しですが、これは儀式や行事によって、襖を取り外して、全体を一室化するゆえの構造です。上の間の床が部屋の中央に構えられているのは神事の神の座として使うことを考えたもので冷泉家独特の使い方です。
冷泉家 部屋の襖には黄土色の地紙に雲母で型押しした牡丹唐草の唐紙が貼られていますが、この様な無季的な唐紙を用いるのは、歌を詠む折に、室内からの季節性を排除し、絵柄が邪魔にならない考慮です。 冷泉家 上の間の北にある広間(17畳半)は近代的な客間として、大正時代に新設されました。座敷棟の北部分には当主の日常生活空間である松の間、鶴の間があり、それぞれ松、鶴の意匠の唐紙が用いられているそうです。 冷泉家 冷泉家の庭です。小さくてこじんまりとしており、四季折々の植物が植えられています。 冷泉家 冷泉家の庭にはいくつもの井戸が掘られていました。 冷泉家江戸時代の画家文雍の筆による双幅「雪に牡丹、芙蓉に吾木香図」。 冷泉家 こちらは孝明天皇の遺愛品でもある江戸時代の画家 森徹山の鹿図を垣間見ることができました。 冷泉家こちらが有名な梶の木です。古代から神に捧げる神木として尊ばれ七夕祭に「歌」を葉に直接ヘラなどで書きお供えされてきました。
現在では七夕はササに飾りをつけますが、昔は、梶の葉や枝が用いられたのです。そのために梶の木は、神社の境内などに多く生えられ、主として神事に用い供え物の敷物等に使われました。 冷泉家特に、宮中での七夕飾りや冷泉家に伝わる「乞巧奠」(陰暦7月7日の七夕儀式)には、牽牛、織女の二星(たなばた)に、種々の供物をし、蹴鞠、雅楽、和歌などを手向けて、その技が巧みになるようにと祈ります。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







石山寺 −京都人の滋賀 石山散策−
石山寺 紅葉の秋、京都より先に紅葉が進んでいるということで滋賀県の瀬田川沿いにある西国三十三所観音霊場の第13番札所、石山寺を訪れてみました。石山寺は奈良時代後期に、聖武天皇の勅願により、東大寺の僧である良弁によって開かた古刹です。 石山寺・東大門瀬田川に面して建つ有名な東大門は、石山寺の正門になります。軒桁を支える組物が三手先組として格式が高く、法隆寺南大門の一手先組と比較されています。 石山寺・金剛力士像 この力強い阿吽の形相の金剛力士像は鎌倉時代の作です。  石山寺・東大門 最近は京都の桃山期以降の派手やかな建築ばかり見ていたので、質実剛健な鎌倉時代の建造物は新鮮に目に映りました。 石山寺 長い参道の両側に植えられた人の背丈よりも高いキリシマツツジは、樹齢約200年の全国でも珍しい老木で、4月下旬から赤く咲き乱れます。 石山寺 参道両脇には塔頭寺院も多数ありました。 石山寺 長い参道や階段を上がると本堂までの道に観音堂や大黒天堂があります。 石山寺 こちらは観音堂内部。 石山寺蓮如堂です。蓮如様の幼少像を拝見することが出来ます。 石山寺・硅灰石こちらが石山寺の石山の名前の由来となった黒灰色で波状模様の霊石 硅灰石です。天然記念物にも指定されています。敷地約10万平方mに及ぶ広大な境内には、巨大な天然記念物の硅灰石が多数露出しています。 石山寺・多宝塔 切り立った硅灰石の向こうには有名な多宝塔が見えています。 石山寺・本堂 滋賀県最古の木造建築物とされており、内陣は平安時代中期の建築、外陣(礼堂)は慶長7年(1602年)に淀君の寄進により増築されたといわれています。 本堂内陣には蓮華の形をした石の上に立っているといわれている本尊、如意輪観世音菩薩が安置されているが33年毎に開扉される秘仏であり、直接の拝観はできなません。 石山寺・本堂 また本尊、「如意輪観世音菩薩」は平安時代後期の作といわれ、重要文化財に指定されています。 本堂の入り口には源氏物語の作者 紫式部が祀られています。

平安時代には、宮廷の女人たちのあいだで、観音堂に参籠し読経しながら一夜を過ごすのが流行り、紫式部はここに参籠して「源氏物語」の構想を練ったと云われ、毎年、春と秋に紫式部に因んだ企画展が催されています

また、清少納言、和泉式部、『蜻蛉日記』の藤原道綱の母、『更級日記』の菅原孝標の女なども石山寺のことを日記や随筆に記しており。ここ石山寺は和歌の寺でもあるのです。 月見亭と芭蕉亭 山の上まで上がると月見亭があり、瀬田川が眺めます。また、高台の月見亭は近江八景の「石山秋月」の地にもなっています。隣接した茶席 芭蕉亭では俳聖 松尾芭蕉がしばしば訪れここで多くの句を残しています。     多宝塔多宝塔です。わが国で国宝に指定されている多宝塔のなかでも石山寺の多宝塔は最古の建造と言うことで評価が高く、シンプルで全体に均整がとれています。         多宝塔 多宝塔は建久5年(1194)建立で内部には快慶作の大日如来像を安置されています。 重要文化財の鐘楼です。 大黒天堂 こちらは大黒天堂です。石山寺大黒天は万寿元年(950年前)に、ご本尊は3人の僧の夢のお告げにて湖水より出現したとされています。室町時代に秘仏ご本尊の前にお前立ちの仏様が建立されました。 石山寺 中腹の毘沙門堂、宝印塔篋、御影堂。 石山寺経蔵。  石山寺 その他にも三十八社やめかくし石などがあります。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月19日(Sun)▲ページの先頭へ
西本願寺 飛雲閣
西本願寺 飛雲閣非公開文化財特別拝観で西本願寺の国宝 飛雲閣が公開していたので行ってみました。

飛雲閣のある庭園、滴翠園は写真撮影不可となっていましたので、唯一の一枚、遠くから撮った飛雲閣です。

この飛雲閣ですが、三層柿葺の楼閣建築で、豊臣秀吉の聚楽第からの移築と伝えられています。

外観は、唐破風や入母屋など変化に富んだ屋根を巧みに配し、左右非対称の妙を見事に作り上げています。

一階は招賢殿や八景の間、舟入の間、さらに後に増築された茶室・憶昔からなります。二階は歌仙の間と呼ばれ、三十六歌仙がえがかれている。三階は摘星楼といって、星を摘む楼閣という綺麗な名が意を得ています。

この飛雲閣を取り囲む庭園 滴翠園には滄浪池・竜背橋・踏花塢・胡蝶亭・嘯月坡・黄鶴台(おうかくだい)・艶雪林・醒眠泉・青蓮の十の景勝があり、当時は滴翠園十勝と呼ばれ詩歌にも読まれています。(写真撮影不可) 西本願寺 飛雲閣 こちらは飛雲閣とともに公開になっていた、経蔵です。こちらも内部は写真撮影不可となっていましたので、外観のみの写真です。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







西本願寺 唐門
西本願寺 唐門西本願寺にある国宝の唐門です。 西本願寺 唐門西本願寺の南側の塀にある大玄関門、すぐ東側に唐門は建っています。 西本願寺 唐門 日光東照宮のような豪華な装飾彫刻を施した四脚門の唐門は桃山時代の伏見城の遺構だと言われています。 西本願寺 唐門 建築細部に見られる彫刻は、これを丹念に眺めていると日の暮れるのを忘れると云われ、別名、「日暮門(ひぐらし)」とも云われています。 西本願寺・白書院 この唐門ですが、対面所・白書院の正門となっています。 西本願寺 唐門 黒漆の下地に彩色,立体感のある丸彫りを施した彫刻、金蒔絵の飾り金具が施されていますが、これらは後補で、徳川家光御成の際に改造されたんだそうです。 西本願寺 唐門 正面梁の間に麒麟と雲文。 西本願寺 唐門黒塗りの扉には牡丹に唐獅子の透かし彫りが施されています。 西本願寺 唐門 また両袖壁には中国の許由巣父図が彫られています。最近では曽我蕭白のものが有名ですが、俗世に汚れることを忌み嫌う高潔の隠士の理想の姿として、よく水墨画の題材に寒山拾得などとともに出てくる絵です。詳しくは宮城谷昌光の本を読んでみてください。 西本願寺 唐門 こちらは右側の許由が頴川で耳を洗う故事のほう。

許由は、堯が自分に帝位を譲ろうというのを聞いて汚れた耳を頴川で洗って箕山に隠遁してしまいます。
西本願寺 唐門また左側の巣父は、そのような汚れた川の水は飲ませられないと牽いてきた牛にその川の水を飲ませず帰ったという故事です。 西本願寺 唐門 さすがに日は暮れませんでしたが、何処を見ても随所にほどこされた彫刻は極彩色に彩られ、精緻な飾金物とともに黒漆塗の柱や梁に映えてため息が出るほどです。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







日吉大社 −京都人の滋賀 坂本散策−
日吉大社 比叡山の東麓、延暦寺の門前町でもある坂本に鎮座する巨大な日吉大社へ紅葉狩りに行ってきました。 日吉大社 この日吉大社、だいたいのかたは「ひよし」と発音しますが、古くは「日枝」「稗叡」「比叡」等と表記し、本来は「ひえたいしゃ」と呼ぶのが正しい読み方なんです。

全国に3800ある日吉・日枝神社の分霊社の総本宮です。 京都御苑猿ヶ辻 京都ともつながりが深く、平安京の表鬼門を守る方除・厄除の神社として有名で、日吉大神の使いである神猿は「マサル」と呼ばれ、「魔去る」「勝る」に通じて縁起の良いものと信仰されています。 日吉大社日吉大社は神道ですが、伝教大師が比叡山に天台宗の延暦寺を建立し開宗されると、天台宗の護法神、あるいは伽藍神として仏教とも深い関係を持ちます。

天台宗(比叡山延暦寺)の護法神、加護神としても日吉大社は祀られています。

霊峰比叡を背にして鬱蒼と茂る神域には数多くの社殿が鎮座しております。その数はなんと108社にもなるんだそうです。 日吉大社 広大な境内は紅葉の木が3000本。 日吉大社ちょうど、見頃を迎えていました。 求法寺走井元三大師堂です。 日吉大社大宮橋 受付から西本宮への参道にある大宮橋です。天正年間(1573〜1592年)に豊臣秀吉が寄進したもので、もとは木橋であったものが、寛文6年(1669年)に石橋に作り替えたといわれています。 日吉大社・大宮橋大宮橋からみた紅葉。 日吉大社 参道はいくつもあり、こちらは西本宮への参道です。 日吉大社向こうの方に山王鳥居が見えてきました。 日吉大社山王鳥居 山王鳥居です。この山王鳥居ですが、独特の形状をしており、笠木の上に破風を組み中央に束があります。どこか猿の顔にもよく似ている気がします。 日吉大社山王霊石とも呼ばれる祇園石です。祇園の神が鎮座する磐境(いわさか)とされています。また、この石は眼病に霊験があると伝えられてます。 日吉大社西本宮参道には本物の猿がいます。 神猿と書いて「まさる」と呼びます。

猿は日吉大神の神使いであり、「魔が去る・何よりも勝る」として縁起の良いものとされています。 京都でもこの神猿により厄魔は退散し開運招福、一家は益々繁栄すると信仰されています。 日吉大社 神馬舎です。山王祭の時に使われます。 日吉大社西本宮楼門です。 入母屋造り、檜皮葺の楼門は東本宮のものに比べて一回り大きいと云われています。建造は天正14年(1586年)。

言い忘れましたが、日吉大社の建造物群は織田信長の比叡山焼き討ちによって焼失後の再建ですがそれでも東本宮、西本宮共に本殿は国宝、その他社殿17棟と神輿7基、又、石橋はいずれも重要文化財に指定されています。 日吉大社 社伝によれば西本宮は天智天皇の創祀と伝え、天智天皇の大津京遷都に伴い大和の三輪山の神を勧請したものとされています。貞観元年(859)には、従二位大比叡神(西本宮祭神)に正二位、従五位下小比叡神(東本宮祭神)に従五位上が奉授されています。 日吉大社西本宮拝殿です。重要文化財の西本宮拝殿は天正14年(1586年)に建造。吹きさらしの舞殿形式で、お祓い、祈祷などの神事がここで行われる他、山王祭では山王七社の神輿が全てここに安置され、延暦寺僧侶が法華八講を厳修、三王礼拝講(さんのうらいはいこう)にも使われています。 日吉大社国宝に指定されている日吉大社 西本宮本殿です。 西本宮本殿は日吉大社の山王七社(西本宮、東本宮、宇佐宮、牛尾宮、白山宮、樹下宮、三宮宮)の中で最も格が高いとされています。 日吉大社 屋根の庇が前面と両側面の三面にだけで、背面の屋根が切れた独特の形は日吉造(聖帝造)と言い、日吉大社だけに見られる独特の形式です。 天正14年(1586年)に建造。 日吉大社 西隣の日吉大社摂社の宇佐宮本殿です。慶長3年(1598年)に建造。 日吉大社摂社白山授神社本殿です。 日吉大社 牛尾宮、三宮宮は八王子山の上にあり、遠いので今回は遠慮しました。 日吉大社 日吉大社神輿庫では重要文化財の日本最古にして最大の山王神輿が7基公開されていました。色あせた神輿は桃山時代造。全国の神輿は山王神輿が基になっているんだそうです。 日吉大社 最後に訪れたのは日吉大社 東本宮です。 こちらは日吉大社摂社樹下神社本殿です。 日吉大社 東本宮本殿は西本宮本殿と全く同じ造りです。そちらから振り返って東本宮の楼門を撮りました。 日吉大社東本宮本殿横には亀井霊水と呼ばれている湧き水がでる井戸があります。 日吉大社日吉大社(ひえたいしゃ)には 興味深い穴太衆(あのうしゅう)積み、もしくは穴太積み(あのうつみ)の石垣や猿の屋根瓦など見所が多く、またぜひゆっくり訪れたいと思います。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月18日(Sat)▲ページの先頭へ
しゃぐま
冷泉家のしゃぐましゃぐま。

祇園祭に使う藁束のことで、漢字を宛てると赤熊(しゃぐま)もしくは和縄(しゃぐま)となります。長刀鉾に 使われたものは特に魔よけとして奉られています。 角屋のしゃぐま毎年、祇園祭の後に譲り受けられ、京都の名家では今でもおくどさんの上に飾られています。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓











1 2 3 4 5 6 7 8 9 10    全300件


Facebookはじめました。良かったらいいねボタン。押して下さい。

創業安政2年(1855年)
これからも時を重ねて育まれた京焼・清水焼ならではの雅な意匠と、職人の手技を次の世代に伝えて行きたいと思います。

松韻堂
京都市東山区清水3−319
TEL
075-561-8520


営業時間 9:00〜17:00

定休日 無休

松韻堂の商品買うなら、
松韻堂本店サイトへ。
こちらもよろしくおねがいします。

松韻堂 Yahoo!店

松韻堂 楽天市場店

●松韻堂の地図


新着トラックバック/コメント

清水焼のメルマガ

メルマガ登録はこちらから

登録だけでプレゼント

毎月自動エントリー♪♪


※関連サイト※

京焼清水焼用語集

松韻堂お客様の声

松韻堂店長日記

三年坂窯 作陶日誌

新着・再入荷情報

京都人による東山案内

カレンダ
2017年11月
     
22 23 24 25
26 27 28 29 30    

アーカイブ
2005年 (162)
10月 (18)
11月 (64)
12月 (80)
2006年 (959)
1月 (77)
2月 (56)
3月 (61)
4月 (68)
5月 (94)
6月 (40)
7月 (90)
8月 (74)
9月 (91)
10月 (114)
11月 (97)
12月 (97)
2007年 (1115)
1月 (90)
2月 (46)
3月 (77)
4月 (68)
5月 (62)
6月 (96)
7月 (86)
8月 (126)
9月 (95)
10月 (102)
11月 (162)
12月 (105)
2008年 (389)
1月 (212)
2月 (155)
3月 (2)
4月 (3)
6月 (2)
7月 (1)
8月 (5)
9月 (7)
10月 (2)
2009年 (5)
5月 (3)
9月 (2)
2010年 (1)
5月 (1)
2012年 (78)
8月 (20)
9月 (35)
10月 (23)

アクセスカウンタ
今日:460
昨日:923
累計:8,692,682