京都人による京都案内

京都人が京都の良きところを紹介します。たまに他府県も混じります。




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2007年01月29日(Mon)▲ページの先頭へ
山蔭神社−料理の神様−
山陰神社−料理の神様− 先日、吉田神社へ行った折、吉田山一帯に広がる境内には面白い摂社がいくつかありましたので参ってみました。 山陰神社−料理の神様−山蔭神社。

吉田神社南門を上がったところにある山蔭神社、ここには料理の神様と言われる藤原山蔭が祀られています。 山陰神社−料理の神様−藤原山蔭は平安時代、日本で初めてへ食物に調理調味づけた始祖ということで、古来包丁の神、料理・飲食の神様になったんだそうです。飲食業の商売繁盛を願って参られる方も多いとか。

神社の屋根も包丁をクロスさせたような形状に心なしか見えます。 山陰神社−料理の神様− 毎年5月18日には生間流包丁式奉納が行われ、10月19日には恵比寿祭が行われます。

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菓祖神社−お菓子の神様−
菓祖神社−菓子の祖− 先日、吉田神社へ行った折、吉田山一帯に広がる境内には面白い名前の摂社 菓祖神社がありましたので参ってみました。 菓祖神社−菓子の祖−菓祖神社前には由緒を記した札が建てられていました。

御祭神は田道間守命(たぢまもりのみこと)
林浄因命(はやしじょういんのみこと)

京都菓子業界の総意により、菓祖神社創建奉賛会を結成、昭和32年11月11日兵庫県中島神社、和歌山県橘本神社、奈良県林神社の祭神を鎮祭されていると書かれています。 菓祖神社−菓子の祖− 菓祖神社の名前の由来は日本神話に出てくる有名な田道間守伝説にちなんでいます。

但馬の国主 田道間守(たじまもり)は、紀元後60年頃、11代垂仁天皇の命により、不老長寿の薬 非時香菓を求めて新羅に渡り、10年後ようやく日本に持ち帰ります。 菓祖神社−菓子の祖−しかし垂仁天皇はすでに亡くなっており、田道間守は半分を垂仁天皇の皇后に献上し、残りを垂仁天皇の御陵に捧げ、悲しみのあまり泣き叫びながら亡くなったそうです。

この非時香菓は今で言う橘で、右近の桜、左近の橘、お正月の飾りに橙を飾るのはこの故事に由来しています。

果物のカキが菓子の元祖となったといういわれの遙か彼方の出来事です。 菓祖神社−菓子の祖−菓祖神社の狛犬。ごく普通です。 菓祖神社−菓子の祖− 大手製菓会社の碑も多数建ち並んでいます。 菓祖神社−菓子の祖− 毎年4月19日、11月11日は春秋の祭礼日が設けられているのだそうです。

あな 美しき田道間守の御心、神楽岡に眠りたもう。

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2007年01月28日(Sun)▲ページの先頭へ
錦天満宮−錦の天神さん−
錦天満宮 京都は新京極、京の台所として知られる錦市場の東端にある学業と商売繁盛、家内安全の神様 錦天満宮へ行ってみました。 錦天満宮 錦天満宮の歴史は平安時代長保5年(1003年)、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸「菅原院」を源融の旧邸・六条河原院の跡地に移築して「歓喜寺」が創建され、その鎮守社として天満天神を祀って創建されたのに始まると言われています。

やがて桃山時代の天正15年(1587年)、豊臣秀吉の都市計画のため、寺とともに錦小路東端の現在地に移転します。その所在地名から「錦天満宮」と呼ばれるようになり、明治の神仏分離により歓喜寺は東山五条に移り、神社だけが残されました。

余談ですが、現在幅員3メートルの錦通りは平安時代には幅員12メートルもあり錦小路と呼ばれたのだそうです。 錦天満宮入り口には繁華街の神社らしく小さな狛犬。(ちょっとライオンみたいにも見えます) 錦天満宮 もちろん御祭神 菅原道真公を祀っているので牛や梅の木もあり。 錦天満宮 手水舎からは京の名水「錦の水」が出ており、ペットボトル持参で汲みに来る方も多いと聞きます。夏は冷たく、冬は暖かい井戸水とはこれ如何に。 錦天満宮お参りの際の手水の使い方を親切に教えてる案内板もあります。 錦天満宮 私も知恵学問、商才、厄除けの御利益を願ってお参りしました。 錦天満宮昔懐かしい獅子舞のからくりおみくじです。
人が近づくと、神楽が鳴り出して獅子舞が踊り始め、二百円入れるとおみくじを選んでくれます。
全部で六種類のおみくじ。(金みくじ・和英文みくじ・和英文花みくじ・恋みくじ・こどももくじ・よろこびみくじ) 錦天満宮 本殿左脇には大きな錦鯉が3匹。120p水槽に入っています。錦鯉って水槽で飼えるんですね。 錦天満宮境内左脇には源融(光源氏のモデル)を祀る塩竈神社、日乃出稲荷神社・白太夫神社などの末社があります。 錦天満宮 実は錦天満宮参道の面白い石の鳥居を撮り損ないましたので後日また行ってみます。

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2007年01月27日(Sat)▲ページの先頭へ
恵比須さんは耳が遠い?
恵比須さんは耳が遠い?商売繁盛の神様 恵比須様。
実は耳が遠かったのご存じですか? 恵比須さんは耳が遠い? 京都ゑびす神社でも本殿の左側に特別に羽目板の下にお賽銭箱を用意してあります。
恵比須さんは耳が遠い? 拝殿の鈴を鳴らしても耳が遠くて聞こえないため、恵比須様の座っている位置の横板をたたいてお参りに来たことを告げるのだそうです。

私も先日初めて知りました。

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2007年01月22日(Mon)▲ページの先頭へ
冬枯れの渉成園 後編
渉成園 渉成園後編です。 侵雪橋北大島から出るには侵雪橋を使います。

印月池の西北岸から縮遠亭のある島へ渡る木造の反橋です。頼山陽は、『渉成園記』の中で雪の積もった橋のありさまを玉龍に例えています。 五松塢五松塢(ごしょうう)。

侵雪橋を渡って振り返ったところから見た大島の岸あたりのことです。ここは五株の松、一幹五枝の松が植えられていることからこう名付けられました。

この五松塢がある島と南大島(臥龍堂)はその位置と高さ、古図面に見える高瀬川の旧流路などから、豊臣秀吉が築かせた『御土居』の跡なんだそうです。 傍花閣 桜並木にある傍花閣です。

園林堂(持仏堂)の東方、山門にあたる位置に建てられています。珍しい楼門作りは渉成園の建物の代名詞となっています。 傍花閣 左右側面に山廊と呼ばれる階段の入り口があり、階上には四畳半の部屋を設けています。また部屋の天井中央には十二支を配した珍しい図様が描かれています。傍らには桜並木が広がるのがその名の由来です。

その隣には偶仙楼という高楼が伏見城から移築されたそうですが、蛤御門の変による類焼の後、建てられていません。 蘆庵 傍花閣の隣には茶室 蘆庵があります。二階建てで上は煎茶席になっています。普段は写真のように雨戸が閉められていて、中は見ることが出来ず残念です。 蘆庵の春日燈篭 蘆庵の春日燈篭です。

茶席 蘆庵の露地に建つ石燈篭で六角形の笠の屋根には降り積もった雪が刻みだされています。 園林堂 園林堂です。

傍花閣に対峙する園林堂は正面四間、中央には桟唐戸が吊られ、仏堂的な意匠として建てられています。『園林』とは中国宮廷に設けられた大規模な庭園の意味。仏典では『浄土』を表すとされ、桂離宮にも『園林堂』という持仏堂があります。

また室内には棟方志功が竣工の翌年に描き上げた『天を伸ぶ杉板』『阿吽の呼吸』と題された42面の襖絵が飾られているそうですが、あいにくこれも公開されていません。 臥龍堂 臥龍堂。

印月池に浮かぶ南大島のことを臥龍堂と称しています。元来、この島に建てられた小さな鐘楼堂のことを指しました。

かつては漱枕居に集まった茶会の客人に縮遠亭へと船で向かう刻限を告げる鐘を鳴らしておりました。安政の大火で焼失。現在は礎石を残すのみとなっています。島へは渡れません。 源融ゆかりの塔臥龍堂にある源融ゆかりの塔です。

右大臣 源融(みなもとのとおる)は嵯峨天皇の皇子でしたが源の姓を賜って臣籍におりました。源氏物語の光源氏のモデルといわれています。この塔はその源融(みなもとのとおる)の供養塔です。 漱枕居 漱枕居。

印月池の西南に位置し、水上に乗り出すように建てられているのが漱枕居です。四畳半と三畳敷の続く座敷と土間からなり煎茶三席の酒店として用いられています。 閬風亭 閬風亭。

殿舎の南端の大広間で、軒を深くさしだし、穏やかで庭園内で最も規模の大きな建物です。 借景 阿弥陀ヶ峰 室内からは前庭を隔てて東山の阿弥陀ヶ峰を借景とした園池の雄大な風景が満喫できます。室内は書院造の間取りとは異なり、畳をはずせば能舞台となっています。 明治天皇が御休息の石碑 なお、大広間の北西にある「嘉楽」と呼ばれる一室は明治天皇が御休息に使われた場所です。 双梅檐双梅檐。

双梅檐は紅白梅が20株ほど植えられた梅林です。双梅檐の檐とは「ひさし」の意味で蛤御門の変による類焼以前は大書院の閬風亭の屋根がここまでかかっていたことに由来する名前です。 大玄関庭園を抜けた最後にある大玄関です。

1880年、明治天皇が京都に来られ、渉成園で休息された際、本山・東本願寺の境内に残る宮御殿とともに大宮御所から移築された玄関です。 冬枯れの渉成園初めて訪れた渉成園。

江戸期に二度にわたる大火にあっておりながら、ここまで再建された先人の逞しさに感服致しました。

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冬枯れの渉成園 前編
冬枯れの渉成園 真冬の渉成園を訪れてみました。

東本願寺の正門から東へ徒歩7分の所にある 渉成園は真宗大谷派の本山(真宗本廟)の飛地境内地です。 冬枯れの渉成園 渉成園は周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから枳殻邸(きこくてい)ともよばれています。 冬枯れの渉成園かつては門首の隠居所や避難所として用いられた東本願寺の別邸で、平安時代初期、嵯峨天皇の皇子左大臣源融が、奥州塩釜の景を移して難波から海水を運ばせた六条河原苑池の遺蹟と伝えられています。 冬枯れの渉成園 その後、寛永18年(1641)徳川家光によってその遺蹟の一部を含む現在の地が寄進されました。江戸時代に二度の火災で建物はすべて類焼、現在のものは残念ながら明治初期に復興されたものです。 冬枯れの渉成園訪れた日は真冬の最中、草木も葉を落とし静寂の中 春を待っています。 高石垣 西門を入って正面にまず目にはいるのがこの高石垣です。石橋のような長い切石や礎石、石臼、山石や瓦など多様な素材を組み合わせて築かれています。 渉成園 渉成園の敷地は1万六百坪、大小二つの池と数棟の茶室があり、約2万1千坪の敷地をもつ桂離宮によく似ています。 滴翠軒と臨池亭 渉成園十三景の一つ滴翠軒と臨池亭です。

池に南面して建てられた右側が滴翠軒、左側は喫茶居と称す臨池亭です。二つは吹き放しの廊下でつながっています。 檜垣の燈篭 池の東側に建つ石燈篭は檜垣の燈篭と呼ばれています。 代笠席 庭園の北部に建てられた代笠席です。

煎茶席で、煎茶三席の茶店として位置づけられ、東側には茶畑が植えられています。代笠席の名前は人里離れた地を訪れた旅人が「笠代わりに」雨宿りする席という意味だそうです。 亀の甲の井戸 亀の甲の井戸です。

上から見ると亀の形に石組みが成され、亀の甲にあたる部分が掘り込まれて中心に井筒が埋められ井戸となっています。 丹楓渓 庭園内は半地線回遊式で、余りにも広く、私は左側から歩きました。

このあたりは丹楓渓といい、秋には見事な紅葉を見せてくれるそうですが、いまはご覧のありさまです。丹とは朱色を表す語で、紅葉の美しい渓谷を模した一帯です。 紫藤岸 紫藤岸。

回棹廊の東岸、印月池にせりだすように藤棚が設けられています。この藤は野生の藤なのだそうです。 獅子吼 獅子吼。

印月池北東岸の入り江奥にある石組みの注水口、獅子吼は「ししく」と呼びます。印月池の水は古くは高瀬川の水が引かれていましたが現在は地下水です。 回棹廊 回棹廊。

北大島と丹楓渓とを結ぶ木橋が、回棹廊安政の大火における焼失以前は朱塗りの欄干を持つ反橋だったと伝えられています。 回棹廊 中央の唐破風屋根の天井には掛け釘が設けられ、かつては夜半の来客の折、金燈籠を吊って火を灯したといわれています。 碧玉の石幢碧玉の石幢。

石幢(へきどう)というのは通常の石灯籠と違って、笠の部分に蕨手と呼ばれる装飾が付いておらず、竿に節が無いなどの特徴があります。石燈篭でいう火袋にあたる部分は平面が六角形の仏像を安置するがんになっています。碧玉の石幢は青みがかってはおりますが、なぜそう呼ばれるか解っていないのだそうです。 縮遠亭 縮遠亭

印月池に浮かぶ北大島に建てられた茶室です。その名のとおり、かつては上段から東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峰の遠景が縮図のごとく見晴らせたといいます。現在はここもご覧の有様でしたので撮影しませんでした。 塩釜塩釜。

縮遠亭の建つ築山の北麓にある石組みの横穴、底に井筒があります。その形が塩を製造する塩釜と塩屋に似ていることから塩釜と呼ばれています。縮遠亭で茶会が催される際の水源でしたが今は枯れています。 塩釜の手水鉢塩釜の手水鉢です。

これは手水鉢の形式として全国にある塩釜の手水鉢の手本、いわゆる本歌とされ、渉成園の景色として最も重要な物なのだそうです。石造宝塔の塔身を手水鉢に転用した物で鎌倉時代のものです。 双梅檐の梅双梅檐の梅のつぼみ膨らむ。

残りは後日公開します。

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節分前の吉田神社
節分前の吉田神社今年も2月3日の節分祭が迫っているので、百万遍の吉田神社を訪れてみました。節分大祭といえば、雪の降る一年で最も寒い日のイメージがありますが、今年はどうやら違うようです。

余談ですが、私も大好きな古典文学『徒然草』の作者 卜部兼好こと兼好法師は、ここ京都は吉田神社の神官の子として産まれ育ちました。 節分前の吉田神社京都では『吉田さん』と親しみを込めて呼ばれるこの吉田神社、 節分の日には別名「鬼やらい」と呼ばれる追儺式や火炉祭などの神事が現在もなお、古式ゆかしく行われます。

普段は京都大学裏の静かな吉田山もその日境内には約1000店もの露店が軒を列ね多くの人で賑わいます。

ポスターの鬼は4つ目鬼であります。

追伸 これは鬼ではなく方相氏といって鬼を追い払う鬼神でした。 節分前の吉田神社その日の夜は絵馬にあるような赤鬼だけでなく青鬼も出ます。

参拝者には、節分祭の期間中のみの、くちなし色のお札の「疫神斎」や、自動車を始め豪華賞品が当たる抽選券付き厄除け福豆などが授与されます。 節分前の吉田神社吉田神社の参道は二つあり、こちらは表参道です。 節分前の吉田神社 百メートル下がったところに南参道もあります。どちらも節分の日当日の100万人の人出がウソのように閑静です。 節分前の吉田神社 吉田神社 本宮へは写真の大鳥居を越えて長い階段を昇ります。 節分前の吉田神社 階段を昇りきりました。節分祭当日の照明用コードはすっかり据え付けられていました。 節分前の吉田神社 参道脇の燈籠にはめられた日、月の文字。 節分前の吉田神社吉田神社の本宮に到着。

藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を貞観元(859)年、勧請したのに始まります。

京の都の守護神として、都の東北(表鬼門)に位置する吉田山に創建されました。ここ吉田山は、別名“神楽岡”と呼び、古くから霊域として崇められ、東山三十六峰の一つです。 節分前の吉田神社火炉祭で使われる火炉です。

本社の三ノ鳥居前に補設された直径5m高さ5mもの巨大な八角柱型の火炉。節分祭中は参拝者が持参した旧い神札が積み上げられており、浄火を点じて高々と焼上げられます。

参拝者には、その炎にあたると無病息災をもたらし新春の訪れと幸運を授けると云われてきました。 節分前の吉田神社神鹿像です。

昭和32年、吉田神社御鎮座千百年記念事業の一つとして、境内の一角に鹿を遊ばせたんだそうですが、鹿の増加と周辺地区への配慮から打ちきられました。その名残として昭和60年(1985)神鹿がここへ祀られました。

大原野神社にもこれとよく似た神鹿像を見たことがあります。 吉田神社の干支亥の絵馬 境内を見渡すともちろん節分にちなんだ絵馬だけでなく干支の絵馬もありました。 節分前の吉田神社 もちろん、開運厄除に口を開けた赤鬼が描かれた御札も多数用意されていましたが。

ここ吉田山の吉田神社では節分当日の準備すでに完了のようです。

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2007年01月16日(Tue)▲ページの先頭へ
八坂神社の七不思議
八坂神社の七不思議 京都の寺社仏閣の七不思議第四騨は八坂神社の七不思議です。 八坂神社の七不思議八坂神社の七不思議

一つ目 正門の石鳥居。

正保三年(1646年)建立の石鳥居は下河原通りに面した高さで9.5メートルの明神鳥居は石鳥居では日本最大級のものだそうです。 八坂神社の七不思議二つ目 駕籠門。

明応六年(1497年)建立の西楼門、小屋組横棧が出ており、駕籠の「にない棒」に見えるところから西駕籠門と呼ばれたのだそうです。 八坂神社の七不思議この小屋根の桟が駕籠のにない棒に見えるのだそうです。 八坂神社の七不思議三つ目 疫神社。

西楼門を入って東側の疫神社の石鳥居。この鳥居には額がなく、貫に疫神社と彫ってあり、不思議と言われています。 八坂神社の七不思議ここがそうです。確かに 疫神社と彫られています。 八坂神社の七不思議四つ目 南楼門。

楼門から舞殿、本殿と同じ高さになっており、三位一体を意味することから、南の楼門は高くなっています。ちなみに南楼門が八坂神社の正門です。 北向蛭子神社 五つ目 北向蛭子神社。

日本の神社仏堂は通常 北向きにしないと言われているのに、この蛭子神社だけは北を向いて建てられています。それが不思議と言われています。 八坂神社の七不思議調べましたところ、八坂神社には七不思議どころか、八不思議もありました。残り三つは本殿にあります。 八坂神社の七不思議六つ目 本殿の御車寄せ。

承応三年(1654年)紫宸殿を写して建てられた本殿には東に小さな御車寄せが設けられています。 八坂神社の七不思議七つ目 竜穴。

神殿の下には底知れぬ深い井戸があり、竜宮に通じていると言われています。 (非公開です。写真は近くの井戸で竜穴ではありません) 八坂神社の七不思議八つ目 竜吼。

玄関入り口東の柱から西を向いて手を打つとビキンと反響すると言われています。

以上が八坂神社の七不思議ならぬ八不思議です。

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知恩院の七不思議
知恩院の七不思議京都の寺社仏閣の七不思議第三騨は知恩院の七不思議です。

予め申しておきますが、知恩院さんのホームページ上のほうが、圧倒的に綺麗な画像と共に解りやすく解説してあります。宜しければそちらをご覧下さい。

→→知恩院さんの七不思議はこちら 知恩院の七不思議 一つ目 瓜生石。

黒門の前の舗装道路中央にある大きな石のことです。昔、この石の下から一夜にしてつるが生え、花が咲いてウリが実ったためそう名付けられています。

しかもそのウリに感神院新宮と記されていたので、青蓮院の鎮守である粟田神社へ奉納されたのだそうです。粟田神社の阿弥陀鉾と称する劒鉾はこの石から生じたウリをかたどると言われています。

一説にはこの石、なんと地軸から生えているとも云われ、節分の日に、豆を自分の年齢より一粒多く供える風習があったと伝わっています。 知恩院の七不思議二つ目 白木の棺。

知恩院の三門を建てた五味金右衛門ですが、自分の思い通りの計画以上の用材を使って建てたため、その申し訳に自殺しました。その五味金右衛門夫妻自作の木造が棺箱に納められ三門楼上にあると云われています。(実物は非公開) 知恩院の七不思議三つ目 うぐいす張の廊下。

御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に至る約550メートルの廊下は何処を歩いても、うぐいすの鳴き声に似た音がし、不審者の侵入を防ぐために作られたと言われています。 知恩院の七不思議四つ目 忘れ傘。

真ん中の小さいのがそれです。名工 左甚五郎が建築をしました時、御影堂の東南の軒下に傘を置き忘れたと言われています。 知恩院の七不思議 五つ目 抜け雀。

大方丈 菊の間の襖絵で菊の上に数羽の雀が描かれていましたが、あまりに本物そっくりだったので、飛んで逃げたんだそうです。(実物は非公開) 知恩院の七不思議六つ目 大杓子。

大方丈入り口の廊下の梁に置かれた長さ2メートル50センチもある大きな板杓子は三好清海入道がこれを片手にもって、関ヶ原の合戦で活躍したと言われています。杓子はご飯をすくうので仏の救いをあらわしたと言われています。 (実物は非公開) 知恩院の七不思議七つ目 三方正面真向の猫

大方丈の裏側廊下にある杉戸の絵で、正面から見ても左右どちらから見ても真向きに見える白黒の山猫で、三方にらみの猫と言われています。 (実物は非公開) 知恩院の七不思議いかがでしたか。

非公開が多いので残念です。

繰り返しますが詳しくご覧になりたい場合は浄土宗 総本山 知恩院のホームページをご覧下さい。知恩院さんの七不思議はこちら

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2007年01月15日(Mon)▲ページの先頭へ
方広寺・豊国神社の七不思議
方広寺・豊国神社の七不思議 京都の寺社仏閣の七不思議、第二弾は方広寺・豊国神社の七不思議です。

結論から言いますと私にはコンプリート出来ませんでした。残りは現在調査中です。もしご存じの方は教えて下さい。お願いします。 方広寺・豊国神社の七不思議 方広寺・豊国神社の七不思議

一つ目 馬塚。

本殿背後東南隅にある五輪塔が馬塚ですが、徳川幕府の執政下、豊国廟を参拝するのをはばかった市民が旧大仏殿の地に設けて、ひそかに参拝したもので、昔馬町に馬市があったことから馬塚とよぶようになったんだそうです。 方広寺・豊国神社の七不思議二つ目 泣石。

泣石とは大仏殿の石垣北端の巨石のことです。この石は加賀藩の前田候が寄進したところ、ここに据えれてから、白い筋が表れ、毎夜加賀に帰りたいと泣いたので泣石となったと伝えられています。 方広寺・豊国神社の七不思議 三つ目 淀君の幽霊。

豊臣家滅亡の糸口となった方広寺大仏の大鐘は、内側に白い雲のような人の形があり、これが淀君の幽霊であると言われています。 方広寺・豊国神社の七不思議四つ目 唐門の三羽鶴。

本殿正門の四脚門は伏見城の遺構と云われており、欄間、扉などいたるところに豪華な彫刻が施してありますがすべて左甚五郎作と言われています。 左甚五郎作三羽の鶴 上の方に三羽の鶴が彫られていますが、目が入っていません。入れると飛び去ってしまうためあえて左甚五郎は入れなかったと伝えられています。 方広寺・豊国神社の七不思議五つ目 鷹石。

唐門内に秀吉遺愛の名石があり、鷹の羽根のような模様がある鷹石が置かれています。

写真は鷹石ではありません。残念ながら現在調査中です。 方広寺・豊国神社の七不思議 六つ目 猿の木目。

社務所の建物は明治初めに建てられた恭明宮の一部で、猿のように見える木目があると云われていますが見つかりませんでした。 方広寺・豊国神社の七不思議 七つ目はその存在自体を調査中です。

もしかしたら方広寺・豊国神社には六不思議しか無いのかもしれません。

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三十三間堂 通し矢
三十三間堂 通し矢 昨日14日は 三十三間堂の通し矢 を見に行ってきました。

三十三間堂の通し矢は江戸時代の各藩の弓術家により本堂の軒下(長さ約120m)で矢を射る「通し矢」の舞台であったことに因んで、
成人の日に弓道を嗜む新成人が三十三間堂西側の軒下60メートル向こうの的めがけて矢を射る成人の日の京都の風物詩です。

正式名称は大的全国大会と言います。 三十三間堂 通し矢この日ばかりは三十三間堂も無料公開。中は凄い人だかりです。袴姿の女性が沢山いらっしゃり凛とした空気が漂っていました。

通し矢というと女性のイメージが強いですが、午前が男子の部、午後が女子の部の二部に分かれています。 三十三間堂 通し矢 私は仕事を抜け出してきましたので午前の男子の部しかあいにく見れませんでした。

合格発表のように掲示板に誰々 何時 弓引と張り出され、それを見守る親戚の方。 三十三間堂 通し矢三十三間堂の通し矢と申してもさすがに三十三間の間口約120メートル通す訳ではありません。西側の約半分 60メートルの距離です。 三十三間堂 通し矢新成人の数が年々減りつつあると申しても、全国から集まるとさすが凄い数です。 三十三間堂 通し矢中に入るとすでに大会は佳境を迎えていました。 三十三間堂 通し矢 西庭の向こうはすごいカメラマンの数です。あそこからだと絶好の写真がとれるの知っていますが、下手すると帰れませんので、ここで撮影しました。 三十三間堂 通し矢一列に並んで、引いた瞬間 ビューンと音が聞こえてきます。 三十三間堂 通し矢結構、的は写真以上にはるか遠くに見えます。ほとんど当たっていませんでした。

史実では江戸時代、尾州藩士 星野勘左衛門が、10542本中8000本を通したと伝えられています。 三十三間堂 通し矢出番を待つ人も緊張の眼差し。 三十三間堂 通し矢 後の黄色のパーカーの人が成績を記録していきます。 三十三間堂 通し矢私もぜひともやってみたいと思いましたが、見ていると弓を張るだけでも大変そうでした。 三十三間堂 通し矢華やかな女性の部は午後からです。私は仕事に戻らないといけないので渋々これにて帰りました。

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2007年01月13日(Sat)▲ページの先頭へ
仲源寺−目やみ地蔵−
仲源寺−目やみ地蔵− 祇園の大和大路四条を少し東入ったところにある目やみ地蔵で有名な仲源寺へ行ってみました。

正式名称、仲源寺は、写真にありますように洛陽三十三所観音霊場、第十六番札所です。祇園の人にとっては、目やみ地蔵さんの愛称で通っています。 仲源寺−目やみ地蔵− 仲源寺は賑やかな四条通りに溶け込んでいるため、うっかりすると見逃しがちです。

仲源寺の歴史は古く、鎌倉時代、安貞2年(1228)、鴨川が氾濫したとき地蔵菩薩を安置したのが、起こりとされています。当初、目やみ地蔵は雨やみ地蔵と呼ばれていましたが、「雨止」が転じて「目疾」になったとされています。

文字通り、眼病治療に霊験があるといわれ、目の悪い方のお参りが絶えません。 仲源寺−目やみ地蔵− よく間違われるのですが、正面左は目やみ地蔵さんではありません。こちらは子供養地蔵さんです。

目やみ地蔵は仲源寺正面のお堂の中に安置されている黒光りした木彫りの地蔵です。 仲源寺−目やみ地蔵− 子供地蔵さんには手前に置かれた柄杓を使って水を頭からかけてお参りします。昔は写真のような赤い涎掛けは無かった気がするのですが。 仲源寺−目やみ地蔵− こちらが本堂です。最近は寺の名前から仲違いになった男女の仲を取り持つ御利益があるとされています。 仲源寺−目やみ地蔵− 本堂右側にある観音堂の大きな千手観音菩薩は平安期の作で国の重要文化財であります。 仲源寺−目やみ地蔵− またこちら本堂そばの阿弥陀座像は室町時代の作といわれる山越阿弥陀像です。 仲源寺−目やみ地蔵− 最後に仲源寺の御詠歌を紹介して終了です。

さしのべん せんじゅのみてを もろびとに ぎをんのまちに おわすみほとけ

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2007年01月12日(Fri)▲ページの先頭へ
悪王子社−暴れん坊の荒魂−
悪王子社−暴れん坊の荒魂− 八坂神社にある素戔嗚尊を祀る摂社、悪王子社へ参ってみました。 悪王子社−暴れん坊の荒魂− 悪王子社は本殿東側、美御前社のすぐ横にあります。美御前社へ女性のお参りが絶えないのに比べ、こちらは静かです。でもお洒落に興味のない男性の私はお参りするならこっちです。

悪王子の悪は悪い意味ではなく、強力ということなんだそうです。 悪王子社−暴れん坊の荒魂− 本日、本業が忙しいため、続きは後日 記します。 悪王子社−暴れん坊の荒魂− 悪王子社−暴れん坊の荒魂− 悪王子社−暴れん坊の荒魂−

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美御前社−美の神様−
美御前社−美の神様− 八坂神社の本殿東側にある女性に人気の美御前社(うつくしごぜんしゃ)へ行ってみました。 美御前社−美の神様− 祇園の舞妓さんなども多数参られる美御前社、その名の通り、美人の誉れ高き宗像三女神が祀られています。

市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト)
多岐理比売命(タギリヒメノミコト)
多岐津比売命(タギツヒメノミコト) 美御前社−美の神様− 境内には写真のような美人祈願の絵馬、

それから美守り(うつくしまもり)という女性をより美しく輝かせてくれる御利益をもたらすお守りが売られています。 美御前社−美の神様− お参りの方はほとんどが女性。美に興味のない私もとりあえずお参りしました。

人の美を現すものには、目に見える容姿をはじめ、言葉や立ち居振る舞いなど、様々なものがあります。これら美徳の根元は、清く美しい心にあるといえます。美御前社は特に美徳成就の祈願をするおやしろです。美の神の御神徳をお受け頂き、常に心身の清浄に心掛け、道の開運を祈願して下さい。−駒札より引用− 美御前社−美の神様−社殿前には、特にお肌の美容にいいとされる御神水が湧き出ており、肌の健康はもとより、心から美しく磨かれる「美容水」ということです。 美御前社−美の神様− この美容水ですが、お肌の健康を守るために、二、三滴だけ顔につけるのだそうです。
飲料水ではないと横に小さく書かれていますのでご注意下さい。

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2007年01月11日(Thu)▲ページの先頭へ
三社詣 −八坂神社−
八坂神社南門 1月9、10日の二日間、八坂さんでは初蛭子にちなんで三社詣(さんじゃもうで)が行われていました。

三社詣は北向蛭子社・御本社・大國主社の3ヶ所をまわり、それぞれの社で朱印を押してもらい、家に持ち帰ると福が授かると言うものです。

こちらは八坂神社の正門にあたる南門です。(重要文化財の西楼門は正門ではありませんのでご注意を) 北向蛭子社 八坂神社の三社詣の御朱印紙は祇園のえべっさんこと北向蛭子社で配っています。北向きに建てられた神社は全国的にも珍しいのです。

蛭子社前では、福笹や飾りの品々も売られていました。 祇園蛭子社 まずこちらで商売繁盛を願ってお祈り。
そのあとで巫女さんに鈴でお祓いをしてもらいます。 続いて大国主社です。 大国主命は出雲の神さんです。俗に「大黒さん」といわれる福の神、また縁結びの神様でもあります。子歳の私はねずみが大黒さんのお使いであることから、とりわけ多く参るようにしています。 商売繁盛は蛭子社で、良縁成就、家内安全をこちら大国主社で祈願します。 最後に祇園さんの御本社です。

今年すでに三回目。

ヤマタノオロチを退治した素戔嗚尊(すさのをのみこと)とその家族を祀った本殿は厄除け・災難除けの御利益があります。 完成。

結構その三つが隣接しているので、七福神巡りほど時間がかからず、手軽にできました。
今年はもう終了しましたので2008年、詣でられてはいかがでしょうか。

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2007年01月08日(Mon)▲ページの先頭へ
正月の摩利支尊天堂
正月の摩利支尊天堂 年が明けましたので、正月の摩利支尊天堂がどうなっているか見に行ってみました。 正月の摩利支尊天堂通称、摩利支尊天堂こと禅居庵は普段非公開ですが、干支「亥」にちなみ12年に一度「亥年」の今年に5日間のみ御開帳が行われます。(1月10日まで) 正月の摩利支尊天堂訪れた日が丁度その日にあたり、境内は多くの参拝客で賑わっていました。 正月の摩利支尊天堂近くで十日えびすが開かれるので、そのお参りを兼ねてこられている方も多数。 正月の摩利支尊天堂神社と寺の違いはあれ、護王神社に負けません。 正月の摩利支尊天堂門前の狛犬ならぬ狛亥も、 正月の摩利支尊天堂 よくみるとちゃんと阿吽の姿になっていました。 正月の摩利支尊天堂12年ぶりのご開帳にあわせ、錦の緞帳の飾り付けがされています。 正月の摩利支尊天堂 正月の摩利支尊天堂狛亥にあやかろうと 正月の摩利支尊天堂私もまた頭を撫でました。

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十日ゑびす大祭−京都のえべっさん−
京都えびす神社 明日から十日ゑびすが始まるので、京都のえべっさん こと京都えびす神社へ一足先にお参りに行ってきました。 京都えびす神社 京都ゑびす神社は西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され、京都でも「えべっさん」の名で親しまれています。 京都えびす神社由緒は 健久二年(1191年)に栄西禅師が宋より帰途についた際、時化に遭い船が 転覆しそうになったところ、海上に現れた恵美須神の加護により救われたそうで、 京都恵美須神社は建仁寺創建時に恵美須様を祀り、鎮守社としたものだそうです。 京都えびす神社 知り合いのお店がこの期間中は露店を開かれるのでこの日はその陣中見舞いも兼ねています。 京都えびす神社特に 毎年1月10日を中心に前後5日間は「十日ゑびす」が行われ、商売繁盛、交通安全、家内安全のご利益を求める参拝者で賑わいます。

この日は都七福神めぐりの詣で客も混じっています。 京都えびす神社商売繁盛の恵美須神社境内には財布塚、名刺塚もあります。松下幸之助の名前もありました。 京都えびす神社本日8日ですが、すでにいっぱいの人。 京都えびす神社 この石像はびりけんではありません。恵比寿さんです。 京都えびす神社8日のこの日は 招福祭と言って 神主、巫女による湯立て神楽神事や餅つき神事が行われています。 京都えびす神社 お餅は奉仕ですので、人だかりの山。 京都えびす神社古い笹や御札を納めて、 京都えびす神社新しい笹を買います。

えびっさんにつきものの笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった縁起を担いで家運隆昌、商売繁盛の象徴となったんだそうです。 京都えびす神社私も商売繁盛を祈ってお参りしました。

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2007年01月05日(Fri)▲ページの先頭へ
正月の安井金比羅宮
正月の安井金比羅宮4日から金融機関が営業しているので、近くの京都銀行と京都信用金庫へ行ったついでに立ち寄ってみました。

正月の安井金比羅宮はどんな装いか見たかったのです。ちなみに以前にも安井金比羅宮は書いております。 正月の安井金比羅宮 安井金比羅宮の謳い文句は悪縁を切り、良縁を結ぶということで全国からたくさんここへ詣でられます。 正月の安井金比羅宮 境内は正月飾りがされ、雅楽などもならされておりました。 正月の安井金比羅宮今年京都の正月は二日の日だけ雨、今日も天気が良い。鳩も元気。 正月の安井金比羅宮新発見。多分狛犬だと思う。 正月の安井金比羅宮正月らしくまゆ玉があちこちにくくりつけられています。 正月の安井金比羅宮商売繁盛の宝の入船が売られていました。 正月の安井金比羅宮 身代わりなる形代(かたしろ)に願いを書き 縁結び碑(いし)に貼り付けます。 正月の安井金比羅宮以上、とりとめもなく書き綴り申し訳ありません。2007年も世の中穏やかにスタートできホッとしております。

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2007年01月04日(Thu)▲ページの先頭へ
満足稲荷神社−太閤秀吉も満足した神社−
満足稲荷神社 何日か前のヤフーニュースで初詣は有名神社ではなく、近所の小社を詣でる人が増えていると書かれていたため、今年の初詣は近場を訪れました。 満足稲荷神社 満足稲荷神社。

東山三条、東大路に面したこの満足稲荷神社は以前からその名前ゆえ、気になっていました。

満足?何が満足なのだろうか?初詣客は私以外、誰もいないのです。 満足稲荷神社御祭神は 倉稲魂大神 (うがのみたまのおおかみ)、天照大御神、猿田彦大神、大国主大神、岩神様、御神木。

確かに欲張りさんではあります。 満足稲荷神社 この満足稲荷神社の名前の由来ですが、 もともとは伏見桃山城内で守護神として祀られていたところ、秀吉がこの大神のお陰で天下統一を叶えたため、満足稲荷と名付けたとされています。

元禄6年にこの地に移されて以降、開運、商売繁盛の御利益があると言われています。
満足稲荷神社余談ですが、満足稲荷神社の看板の文字、とても味があると思いません? 満足稲荷神社 境内には、樹齢400年の大きなモチノキの御神木や岩神様があります。 写真の岩神さんは、なでると頭がよくなり、悪いところをなでると 治るんだそうです。私もとりあえず頭なでました。 満足稲荷神社 拝殿。正月の飾り付けなど置かれていません。また満足ガレージといって境内には車が何台か置かれています。 満足稲荷神社満足龍。 満足稲荷神社満足馬。

確かに皆様満ち足りたお顔立ちをしています。 満足稲荷神社 天照大御神、猿田彦大神、大国主大神が祀られた脇社。 満足稲荷神社秀吉も目標を定めたからこそ満足したのです。何に満足するかは人それぞれですが、私も明確な目標を今年はもって行動したいと思います。

2007年最初(?)の初詣、完了。(私の目標はヒミツ。公言しません。口にする程度の目標なら大した事ない思ってますよってに)

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大福まいり 六波羅蜜寺
大福まいり 六波羅蜜寺 元日は近所の六波羅蜜寺へ皇福茶(おうぶくちゃ)と初稲穂を頂きに参ってきました。 大福まいり 六波羅蜜寺 東山の六道の辻にある六波羅蜜寺では正月三ヶ日間、皇服茶と福徳自在初稲穂が授与されます。 大福まいり 六波羅蜜寺この日は都七福神めぐりの弁財天が六波羅蜜寺にあたるので、そのために詣でた人も多数いらっしゃいました。上の写真のところでお参りすると稲穂が頂けます。 大福まいり 六波羅蜜寺 こちらが先着3000名限定の稲穂です。福徳自在の弁財天初稲穂には福徳の飾りを付けてもらいます。(こちらは有料) 大福まいり 六波羅蜜寺 六波羅蜜寺には日本史の教科書で有名な 念仏を唱える口から六体の阿弥陀が飛び出した空也上人像があります。

他にも十一面観音立像、平清盛像、地蔵菩薩像、薬師如来像、弘法大師座像などの多くの重要文化財がありますが、すべて有料の宝物館に収蔵されています。 大福まいり 六波羅蜜寺 こちらが大福茶です。正式には皇福茶(おうぶくちゃ)と書きます。

平安時代、京都に悪疫が流行した時に、空也上人が本尊に供えた薬湯を病人に飲ませ、病気を平癒したという寺伝にちなんでいます。

元旦に汲んだ若水でお茶を点て梅干しと昆布を入れた「皇服茶」は正月の三日間だけ参詣者にふるまわれ、お守り付きです。

器の底には六はらと書かれていました。 大福まいり 六波羅蜜寺 ここ六波羅蜜寺は平家ゆかりの寺で、最盛期には5千を超える堂や邸が建ち並び、六波羅探題などもここにあったそうです。 大福まいり 六波羅蜜寺 境内には平清盛公の塚が建っています。平家が都落ちの際に、自ら火を付け焼き払ったといわれています。 大福まいり 六波羅蜜寺 初稲穂には有料の飾りは一切付けてもらわずにこれだけ持ち帰りました。

ケチだからではありません。このあとすぐに十日恵比寿が控えているのです。 大福まいり 六波羅蜜寺 家に帰り、とりあえず来年2008年子年、お返しするまで飾っておきます。

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2007年01月02日(Tue)▲ページの先頭へ
をけら詣り
をけら詣り 大晦日31日の夜は続いて新年の無病息災を祈る古都の年越し行事「をけら詣り」に八坂神社へ行ってきました。 をけら詣り をけら詣りはおけら詣り、朮詣りとも書く京都の伝統的風習です。もとは写真の絵馬にあるように、舞妓さんのいる祇園で始まったとされています。

キク科の薬草「をけら」を燃やした火を、竹を編んだ「吉兆縄(きっちょうなわ)」に移して自宅に持ち帰り、雑煮を炊いて食べると、無病息災、一年を健やかに過ごせるといわれています。 をけら詣り この夜から、年越し以降、初詣客も集まり、境内は凄い人出となります。 をけら詣り これだけ露店も集まると勝ち組、負け組があり、飴細工や焼き鳥は凄い売れていました。 おけら詣りこの日は厄除けのをけら酒、白朮酒の授与や 御祈祷もされていました。 朮詣り をけら木と掛火縄は八坂神社でも巫女さんが売っています。をけら木はその木に願い事を書き、白朮火に燃やします。 朮詣り購入した火縄は白朮火に差し出して火を灯します。 朮詣り 火が恐い人は係のおじさんが手伝ってくれます。 おけら詣りブルンブルン。

ぐるぐる振り回して帰らないと火が消えますのでご注意ください。

余談ですがこの吉兆縄こと掛け火縄、素材は何で出来てると思われますか?藁ではなく竹です。 おけら詣りこの時間になると人出も増えてきました。 おけら詣り とりあえずぶらぶらしていますと一つ気づいたことがあります。 八坂神社昔は鳴らせた八坂神社の鈴が奥へ引っ込んでいることです。混雑解消のためと思われますが、いつからなんでしょうか。この日初めて気がつきました。

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2007年01月01日(Mon)▲ページの先頭へ
除夜の鐘 知恩院
知恩院の除夜の鐘 大晦日は 知恩院さんの除夜の鐘を聞きに行ってきました。 知恩院の除夜の鐘知恩院の大鐘は高さ3・3メートル、口径2・8メートル、重さ70トン。方広寺、東大寺とともに日本三大梵鐘のひとつで、江戸時代初期の1636年に鋳造された日本最大級のものです。 知恩院の除夜の鐘東山の諸寺と違い、ここ知恩院の除夜の鐘は参拝客は僧侶が鐘を突くのを見るだけです。

先日の新聞には 鐘を撞く撞木(しゅもく)が12年ぶりに新調され、27日に僧侶30人で試し突き。この試し突きのさなか、鐘の下部に数センチのひびの入っているのが分かったと記事が載っていました。(最下にその記事を記載) 知恩院の除夜の鐘 ライトアップされた御影堂のなかで本日鐘を突く僧侶さんは読経の最中。 知恩院の除夜の鐘 鐘楼内での参観時間は一人5分という決まりになっています。 知恩院の除夜の鐘京都の他の寺院より突き初めが早く10時45分から始まるのもここ知恩院さんの除夜の鐘の特徴です。この列。全国から続々と参観客が集まってきます。 知恩院の除夜の鐘 読経が終わり、僧侶が御影堂より続々と出てこられました。これから一列に並んで鐘楼へ向かわれますが、その足のはやいこと。 知恩院の除夜の鐘こちらが知恩院の大鐘です。大きさは魅力。威風堂々。

こうやってライトアップされるとその美が際だちます。 知恩院の除夜の鐘 いよいよ17人の僧侶による鐘突きが始まります。その荘厳で美しい音色は昔は市中の西の端、嵐山まで聞こえたとか。 知恩院の除夜の鐘鐘をつく直径約45センチの丸太のような撞木(しゅもく)につながる子綱を16人が引き、太い親綱を握る1人が体を投げ出す独特の方法でつかれます。 知恩院の除夜の鐘親綱を手にした僧侶が子綱を持つ僧侶とともに「えーい。ひとーつ。そーれ」と掛け声を合わせます。そしてあおむけに倒れるようにダイナミックに撞木を打つ。 知恩院の除夜の鐘17人の僧が4メートルの撞木(しゅもく)を引き、その瞬間 親綱を持つ僧の体は地面にまで反りかえります。

まるでプロレス技のジャーマンスープレックスみたいに。 知恩院の除夜の鐘 ヴォーン。

カタカナだとコンナカンジ。 知恩院の除夜の鐘その瞬間のシャッターの量がすごいです。 この日はゆく年くる年の撮影ももちろんありテレビ局も多数来ています。 知恩院の除夜の鐘 最後に久しぶりに動画で撮影しましたので良かったらご覧下さい。


知恩院の梵鐘の撞木 新調。〜以降は京都新聞の記事より〜

 お手軽が好まれる時代だが、「手間ひま」がかかっている。水に浸し樹液を抜くのに十年。乾燥させるのに、もう十年。合わせて二十年かけた▼京都・東山、知恩院の梵鐘(ぼんしょう)(重文)をつく撞木(しゅもく)の話だ。日本三大梵鐘の一つで、約七十トンもある大鐘とあって、十二年ぶりに新調された撞木のスケールも半端ではない。長さ四・五メートル、直径〇・五メートル、重さは推定三百五十キロ▼芯(しん)の部分を除いたうえで、これほどの太さの木材を国内で調達するのは難しく台湾産の直径二メートルのスギを使っている。つくたびに先端が欠けるため、「先代」は当初に比べ五十センチも短くなったという▼撞木を納めた京都市内の業者によると、部材が軟らかいとすぐに欠ける。かといって堅すぎても鐘を傷めてしまう。「手間ひま」によって、ほどよい堅さが保たれるというわけだ▼それでも鋳造から三百七十年、「梵鐘の老齢化」が予想以上に進んでいることが、十二日のテストづきで判明。専門家のアドバイスを受け、撞木を短くしたり、先端にラバーを張るなど緩衝策を検討することになった。

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2006年12月28日(Thu)▲ページの先頭へ
京都一のラーメン天
ラーメン天 よくお客様から京都のラーメンどこか紹介してと言われるので後にも先にも一件だけ紹介させてください。

麺類はラーメンに限らず、うどんも蕎麦も大好きで、特に日本蕎麦は手形を持って日本全国を食べ歩くのを一つの趣味にしております。

ラーメンもまた岡山や尾道、福井、奈良と車を走らせて食べに行ってはいますが、手前味噌ながらどうも京都のラーメンがレベルが一番高いと言う結論に達しています。

ますたに、夜鳴きや、いいちよ、珍遊、高安、源や、一通り雑誌に載っているのは食べたつもりです。行列の出来ている店ほど、またどこぞのラーメン博士が言う店ほど、たいしたことが無いという持論に至っています。

また好みの味も歳とともに変化し、昔は天下一品のこってりが食べられなくなったらその時は死のうと思っていましたが、現在はもう口にすることはありません。

結果、私が京都一番を選ぶとなると、まずチェーン店ははずします。(天天有、新福、萬福、第一旭など)

すると自然生まれ育った山科にあるラーメン 天か五条のラーメン 藤のどちらかになります。残念ながら後者は経営者が変わったのでラーメン 天に軍配を。 ラーメン天ラーメン天。

場所は一号線沿いの山科にあるお店でここは駐車場が止めにくいので気を付けてください。
味ももちろんのこと、年中無休という商売人魂が凄いです。すっきりした醤油系、セットの唐揚げや無料サービスのキムチもすべて美味しいです。脂っこい店員さんもみなさん親切。店内は子供からお年寄りまでいっぱい。一口食べたら地元の人に大変愛されている理由がわかります。

余談ですが、ここのラーメンやJRの高架下ということで、新幹線が通過するたびにガタガタと机が揺れます。でもそれも含めてこの店の味なんです。

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2006年12月26日(Tue)▲ページの先頭へ
松尾大社−お酒の神様−
松尾大社嵐山にある京都最古の神社といわれる松尾大社へ行ってみました。

松尾大社は京都盆地の西一帯を支配していた秦氏により、西暦701年(大宝元年)創建された京都最古の神社です。(創建から数えますと1300年を超えています)

京都洛西の総氏神で、開拓・治水・土木・建築・商業・文化・寿命・交通・安産など、幅広い守護神とされています。 松尾大社 神輿庫 中でも秦氏に酒造りの技能者が多かったことから、「酒造第一祖神」として崇拝されています。

寄贈された酒樽の数からも酒を飲む人、売る人、造る人、酒に関わる全ての人たちの守り神ということがわかります。 松尾大社また松尾大社境内には月読神社、宗像神社、衣手神社、三宮神社、松尾総神社などの末社、摂社があります。 松尾大社 こちらは松尾大社の楼門です。こちらは江戸時代初期の建造で、堂々たる風格です。左手にはお酒の資料館があります。 松尾大社 松尾大社では絵馬代わりにしゃもじに願い事を書きます。願い事が「すくわれる」という意味なんだそうです。 松尾大社撫で亀さんです。

「亀」と「鯉」は松尾大神様のお使いと伝えられています。中でも「亀」は健康長寿のシンボルということで、直接手を触れてその霊戒にあやかって ご利益をお受けください。と書かれていました。 松尾大社 手水舎の口も亀になっています。

境内の霊泉の「亀の井」の水を醸造の時に混ぜると酒が腐らないといわれ、そうしている醸造元も多いとか。ポリタンクに水を汲まれている方もいらっしゃいました。 松尾大社こちらは松尾大社の拝殿です。 平成19年度の干支 亥のジャンボ絵馬が置かれています。 松尾大社高さ3.5メートル、横幅5.5メートル、重さ約300キロだそう。これだけ大きければ本当に願い事が叶いそうです。 松尾大社こちらはおみくじをくくる竹。恋みくじということでハート型になっています。 松尾大社 招福 樽うらない。松竹梅の樽めがけて弓を射ます。境内では迎春、初詣の準備が進んでいます。 松尾大社夫婦和合・恋愛成就の象徴、相生の松です。

この古木はもと雌雄根を同じくし相生の松として350年の樹齢を保ち、昭和31、32年に天寿を全うした名松の大株だそうです。 松尾大社 椋の霊樹です。蓮菜の庭の入口に立っていた樹齢800年の京都の名木だったそうですが、 平成5年7月の大雨で枯朽したと書かれています。 松尾大社 こちらが松尾大社の本殿ですが全景は見れません。

檜皮葺の本殿は、重要文化財で、正面3間、側面2間の母屋の前後両側に庇を設ける独特の両流造は「松尾造」とも呼ばれています。 松風苑 松尾大社境内にはその他に有料の松風苑があります。

磐座(いわくら)の庭、曲水(きょくすい)の庭、蓬莱(ほうらい)の庭、即興の庭の4つの庭があるそうですが、今日は時間が無いので又の機会に。

松風苑
庭園学の第一人者 重森三玲の作庭
重森三玲の得意とした立体造形で動と静が表現される 4つの庭の約200個の石は、すべて徳島県吉野川の青石(緑泥片岩)が用いられているんだそうです。

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狸谷不動院−交通安全の神様−
狸谷不動院京都では交通安全の神様で知られる狸谷不動院へ行ってみました。 狸谷不動院京都人のいうところのタヌキダニフドウサンは自動車祈祷の総本山です。ですので京都では、狸谷のステッカーを貼った車をよく見ます。

専用の自動車交通安全祈祷殿が設けられています。交通安全の御祓いをするところで、もちろん無料駐車場も大変広いです。 狸谷山不動院 狸谷不動院がある狸谷山へは北白川通り下り松から詩仙堂前、八大神社前を通り、 野仏庵の辺りから傾斜がきつくなる坂道を車で上がります。 狸谷不動尊 山の名前が狸谷ということもあり 信楽焼のタヌキの置物ががいたるところにあります。 狸谷不動尊 本堂へは険しい急な階段を上らねばなりません。写真は白龍弁財天が祀られた祠。 狸谷不動尊 阪神タイガース2003年度優勝記念碑です。 狸谷不動尊 この不動院は阪神の選手の信仰も篤く、ミスタータイガース吉田義男監督のものやサイドスローの名投手 小林繁投手の階段登りお百度参拝記念の石碑も建てられています。 狸谷不動尊 急な階段途中に迎え大師がいます。 健脚を祈願してたくさんの 健脚わらじの御守りが下半身にお供えしてありました。 狸谷不動尊 本堂まで250段。まだまだ階段は続きます。 狸谷不動尊光明殿(大師堂)や七福神の像を見たりして休憩。 狸谷不動尊 ようやく本堂に到着です。 狸谷不動院 狸谷不動院の本堂は懸崖造りで清水寺の舞台によく似ています。 男厄坂 本堂へは急な男厄坂42段か、 女厄坂 緩やかな女厄坂33段が選べます。 武蔵の滝女厄坂の途中にある武蔵之滝です。 慶長九年(1604)、剣豪宮本武蔵が、滝に打たれて、修業を続け、己に克つ不動心を感得したとか、現在も修行場として信仰されています。 狸谷不動院本堂は恋するハニカミのロケ地に選ばれたんだそう。(なんのことかわかりません) 狸谷さんはガン封じ・手術成功の御利益もあることから人の体の治したい箇所に丸で囲むと良いのだそうです。 狸谷不動院 ここ狸谷不動院は険しい山の中にありますが、その分、本堂からの見晴らしは良いです。

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2006年12月24日(Sun)▲ページの先頭へ
100万人のキャンドルナイト in 北山
100万人のキャンドルナイト in 北山 毎年、冬至の日に行われている100万人のキャンドルナイトin 北山に参加してきました。 100万人のキャンドルナイト in 北山100万人のキャンドルナイトをご存じない方のために。

100万人のキャンドルナイトとは日本の環境NGO発の自主消灯ムーブメント。

『1年中で一番昼が短い冬至の日、夜8時から10時の2時間、みんなで一斉に電気を消して、スローな夜を過ごそう。』と呼びかけたことに発するイベントのこと。 当日使用済みキャンドルも回収し、NGO団体に寄付をし、灯りをともす火種としてリサイクルされている。 100万人のキャンドルナイト in 北山 この北山にある京都ノーザンチャーチ北山教会では何時にもましてローソクが置かれていました。 また、この冬至にあたる22日、北山通りではルアンジェ教会でもゴスペルコンサートをやっていました。 100万人のキャンドルナイト in 北山 訪れた人は一同に置かれたベルにマジックで願い事書きます。 100万人のキャンドルナイト in 北山 その小さなベルはガーデンに設置された大きなクリスマスツリーに想いをこめてつるすと、その願いが叶うよう、礼拝の際に牧師がお祈りしてくれるのだそうです。 100万人のキャンドルナイト in 北山 8時に一斉に消灯するので、しばし待ちます。 100万人のキャンドルナイト in 北山 100万人のキャンドルナイト in 北山 この北山通り界隈は北山倶楽部もルアンジェ教会もどこもそうしています。 100万人のキャンドルナイト in 北山 消灯一分前。 100万人のキャンドルナイト in 北山 消灯。 100万人のキャンドルナイト in 北山 冬至のこの日、電気を消してスローな夜を体感しました。

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京都イエナリエ−最終便−
京都イエナリエ−最終便− いくつか京都のイエナリエを紹介しましたが、どうしても気になった二件があったのでもう一度、訪れてみました。

それまでの間、あそこでもやっているよと連絡頂きました。申し訳ありませんが、先日の京都新聞の醍醐池田町のは知っていましたし、マチナリエやミセナリエは省いているのです。

また三田のワシントン村へ行ったらもっとすごいのあると思いますが、京都限定でやっていますので悪しからず。 京都イエナリエ−最終便−私が見せてもらった中で2番目にすごかったのは宇治槙島のこちらのお宅です。 京都イエナリエ−最終便− ずっと前からやっているのでご存じの方も多いと思います。

家の間口がまず広く、上のトナカイ達がフレンチカンカンしています。 京都イエナリエ−最終便− 広い中庭には巨大サンタや青色のトナカイたち。雪だるまのシーソーもあり。 京都イエナリエ−最終便− 近づいてみるといずれも世話しなく動いており、残念ながら写真ではその魅力が伝わっておりません。 京都イエナリエ−最終便− 長い間口のトナカイの動きは必見です。
以上が第2位。 京都イエナリエ−最終便− 少し離れた宇治市広野町にあるこちらの家。私の選んだ京都イエナリエ2006、 ベスト1です。 京都イエナリエ−最終便− こちらへ夜来るときは車の運転に注意してください。

この家を通過する瞬間、どの車も急ブレーキをかけます。 京都イエナリエ−最終便− 暗闇から表れた瞬間のインパクト、あのディープインパクトよりも深し。 京都イエナリエ−最終便− 興奮と緊張の余り、間近でシャッターを切るとピンぼけしてしまいます。 京都イエナリエ−最終便− 雑然という名の計算。 京都イエナリエ−最終便−確信犯的メルヘン。
子供のつぼ、ドラえもんだっています。 京都イエナリエ−最終便− この家をご覧になった上で京都で「更に凄いのあるよ」と言う方、ぜひ、教えて下さい。 京都イエナリエ−最終便− この日、この家にて、2006年、京都イエナリエの撮影を終了しました。

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2006年12月22日(Fri)▲ページの先頭へ
師走のインクライン
師走のインクライン 久しぶりに蹴上のインクラインの軌道跡を歩いてみました。京都の子供なら必ず習う京都の歴史が琵琶湖疎水とインクラインです。 師走のインクライン学生時代、友人達ともっと上流で、カワエビでブラックバスを釣ったのを思い出しました。 師走のインクライン 楽百年之夢。インクラインは使われていません。現在は桜の名所となっています。 師走のインクライン 師走のインクライン冬枯れの今日、京都はどんよりとした曇り空。 師走のインクライン 師走のインクライン 併設された琵琶湖疎水記念館へも続いて行ってみました。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









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アグネス・イルミネーション
アグネス・イルミネーション 御所の西側にある、アグネス通りのイルミネーションを見に行ってきました。 アグネス・イルミネーション 重厚なゴシック様式の聖アグネス教会の西側には平安女学院高等・中等部があり、通り一本を隔てて学校の建物が東西に別れて位置しています。

その学校を隔てている通りがアグネス通りです。 アグネス・イルミネーション イルミネーションがされているのは実は学校の校舎とその壁面です。 アグネス・イルミネーション 今年度のテーマは、「星月夜」だそう。発光ダイオードの光で美しく装飾されています。 アグネス・イルミネーション アグネス・イルミネーション アグネス・イルミネーション 点灯日時は2006年11月21日(火)〜2007年1月15日(月)の期間の16時30分〜22時まで。来年にまたがって行われるのはここアグネスイルミネーションだけです。

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第38回日展 京都展
第38回日展 京都展 京都市美術館で開かれている第38回日展 京都展を拝見してきました。

京都展は関西の入選者と賞の受賞者、会員クラスの先生方の作品が並んでおり、谷口正典先生以外にも他産地の青木龍山や中里、大塩氏などの作品も大作が並んでいました。 第38回日展 京都展普段、彫刻作品はさらっと流すのですが、谷口淳一先生のまほろばへの道標。非常に感銘を受けました。

切り立った道しるべとそこにたたずむ異邦人の対比というか動と静、本来ならもっと大きな空間を支えるべき作品だと思われます。

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これからも時を重ねて育まれた京焼・清水焼ならではの雅な意匠と、職人の手技を次の世代に伝えて行きたいと思います。

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