京都人による京都案内

京都人が京都の良きところを紹介します。たまに他府県も混じります。




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2007年07月14日(Sat)▲ページの先頭へ
智積院の桔梗と蓮
智積院の桔梗と蓮昨日は雨の中、東山七条の智積院まで、桔梗を見に行ってきました。 智積院の桔梗と蓮智積院本堂に掲げる寺紋は桔梗の花です。
ここは真言宗智山派の総本山で学寮として発展し、今なお修行道場として多くの若い僧が修行に励んでおられます。 智積院の桔梗と蓮金堂への参道にはおおよそ3,000本の桔梗が植わっているとか。 智積院 青や白はもちろんピンクの桔梗もあるそうですが見あたりませんでした。 智積院の桔梗と蓮連日の長雨でひょろ長い桔梗は結構倒れていました。 智積院の桔梗と蓮木の柵から石畳をのぞき込むように咲く桔梗の花達。 智積院の桔梗と蓮 智積院の桔梗と蓮どれも雨の影響を受けており残念。 智積院の桔梗と蓮 智積院の桔梗と蓮 智積院の桔梗と蓮 智積院ここは先日の蛍の会を見逃してしまいました。 智積院の桔梗と蓮智積院は梅、桜、サツキと順に何かしらの花が咲いています。 智積院の桔梗と蓮続いて明王殿と金堂の間の蓮池。 智積院の桔梗と蓮 思いがけず、蓮の花の見頃でした。 智積院の桔梗と蓮蓮の花と葉につく水滴。油っぽいのか他の植物より良く弾いています。 智積院の桔梗と蓮今、将に開かんとす。
透き通るような花弁の色と緩やかなカーブ。蓮の花は、泥の水の中から、きれいな花を咲かせます。 智積院の桔梗と蓮開ききった物。 智積院の桔梗と蓮花が大きいので散り際も画になります。 智積院の桔梗と蓮早く咲いたのは種になっています。 智積院の桔梗と蓮桔梗の寺という割に桔梗が無いと言われますが、智積院は寺内が広いので、まばらに感じても桔梗の株数は余所より多いと思われます。

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2007年07月11日(Wed)▲ページの先頭へ
丹波ワイン
丹波ワイン昨日、立杭焼陶の郷へ行く予定があったので帰りに国道9号沿いの丹波ワインと丹波ワイナリーへ行ってきました。 丹波ワイン 京都と兵庫の県境にまたがる丹波、京都の人は丹波は京都と思っていますが、逆に兵庫の人は丹波は兵庫県と言い切る人がいまもおおいです。 丹波ワインここ京都府船井郡丹波町にある丹波ワイン、1年ほどで出荷してしまうので熟成が浅く、どれもサクサク飲みやすいので個人的に大好きです。 丹波ワイン丹波は昔から京都の裏庭、食材を数多く産出する「食の宝庫」として都を支えてきました。京都とワイン、ミスマッチに思えますが、京丹波で葡萄が作られるのは有機質を含んだ粘土質の土壌と緩やかな斜面、昼と夜の気温差が非常に大きいので葡萄の栽培に最適なのだそうです。

しかし残念なことに丹波ワインもすべて自社農園産葡萄(鳥居野農場)だけでまかなっているのでなく、余所から買ってきてブレンド、宇治茶のようでした。 丹波ワイン気軽に工場を見学させてくれましたが、最盛期は来月8月から9月、ビール工場と違い、小規模なワイン工場のラインはストップしていました。 丹波ワイン工場見学終了後、しこたまワインの試飲をさせて頂いて、おみやげに丹波ワインを数本買ってきました。
写真の青いラベルのワインは京都城陽の青谷の梅で作ったワイン、和歌山の南高梅より青谷の梅のほうが高級なんだそうです。あまりの旨さにその夜一本空けてしまったのは云うまでもありません。

京都で作った素材を使って京都の人がそれ食す。これこそが最高の贅沢、文化的な食卓だと思いました。

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2007年07月08日(Sun)▲ページの先頭へ
廬山寺の桔梗
廬山寺の桔梗桔梗見頃の声を聞いて、御所の東側寺町通、紫式部の邸宅跡に建つ廬山寺へ行って参りました。 廬山寺の桔梗紫式部の邸宅址 廬山寺
去年の秋にも訪れていますが、そのときは桔梗が咲き終わった後で残念でした。 十二単を纏った紫式部人形 
紫式部はここの縁先で庭の風景を見ながら源氏物語を執筆したと言われてます。 廬山寺の桔梗廊下を渡って綺麗に手入れされた庭が見えてきました。右上の黒い物体は鐘です。 廬山寺の桔梗源氏庭こと源氏の庭です。
平安朝の庭園の「感」を表現した白砂と苔の庭、青紫の桔梗の花が噂通り満開でした。 廬山寺の桔梗雲型をかたどった白砂と苔の上にぽつぽつと植えられた桔梗。ここ廬山寺でしか見れない不思議な花景色です。

桔梗豆知識
ちなみに万葉の時代の日本、桔梗の花のことを朝がほと言ったのご存じでしょうか。
そして欧米ではつぼみが膨らました風船のような形をしているところから桔梗はバルーンフラワーと呼ばれています。 廬山寺の桔梗残念ながら庭の下へは降りられませんので小さくしか撮影出来ませんでした。 廬山寺の桔梗目一杯ズームインしてここまで。 廬山寺の桔梗さらに日照のせいで、手前の桔梗はみんな向こうをむいて咲いていてなかなか美味く撮れません。東側に縁側が有れば良いのですが。 廬山寺の桔梗 よく見ると青紫の桔梗に混じって二株だけ白い桔梗が咲いていました。 廬山寺の桔梗暑い夏に白い桔梗は涼しげで良いですが、そのほかにピンクや八重の種類も有るそうです。 廬山寺の桔梗これだけ花が咲くとこの庭園が枯山水であることを感じさせません。 廬山寺の桔梗緑の苔の合間を蛇行する白砂、その植えられた桔梗。向こうの塀の桔梗は白砂を渡って水をやりに行かれるのでしょうか。 廬山寺の桔梗節分に行われる「鬼の法楽」の時も良いですが、桔梗の頃の廬山寺も一見の価値ありです。 廬山寺の桔梗パンフレットには9月末となっていますが、廬山寺のバルーンフラワー今盛りです。


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2007年07月07日(Sat)▲ページの先頭へ
京都人の熊野詣 3
京都人の熊野詣はるばるとさかしき峯を分け過ぎて 音無川を今日見つるかな

京都人の熊野詣その3です。
熊野本宮大社の旧社地「大斎原」(おおゆのはら)を訪れた後、いよいよ熊野本宮社殿へ向かいます。

表参道大鳥居に並んでいる御神旗はごぞんじサッカー日本代表でお馴染みになった八咫鳥(やたがらす)です。

八咫鳥は、神武天皇の東征の際に熊野の地を道案内した神の使いで、三本の足の意味は、本宮大社のご祭神 家津美御子大神(スサノオの別名)のご神徳である 智・仁・勇、又は、天・地・人をあらわしています。 熊野本宮大社ちなみに熊野本宮大社の御神符、熊野午王神符(宝印神符)はよく見ると八十八羽のカラスでデザインされています。 京都人の熊野詣参道にはいくつもの熊野大権現の幟、観光写真でよく見る景色です。 京都人の熊野詣 全国各地に鎮座する熊野神社の数3000社以上です。少ない京都でもなんと55社もあるそうです。 京都人の熊野詣熊野本宮大社手水舎。 手水舎 さすが山中、水の透明度にびっくりしました。 京都人の熊野詣 御社殿を参拝するにも順序があるらしく事細かく案内されていました。 京都人の熊野詣神門から先、本殿は撮影禁止になっていました。 神門外側からちょっとだけ。

檜皮葺きの古色蒼然とした社殿が向かって左から第一殿・第二殿の相殿(あいどの)、第三殿、第四殿と3棟並んでいます。
神門の先、中央にあるのが第三殿。この第三殿が本社です。社殿は重要文化財で、「証誠殿(しょうじょうでん)」といい、主神の家都美御子大神(けつみみこのおおかみ。家都御子大神(けつみこのおおかみ)ともいいます)を祀っています。商売繁昌、開運招福、衆災削除、無病息災、交通安全、大漁満足、特に心願成就にご利益があるそうです。 京都人の熊野詣生涯に28回もの熊野御幸をした後鳥羽上皇が音無川に出会った感動を詠んだ歌碑。 京都人の熊野詣幟の向こうに見えるのは御祈祷や結婚式などが行われる拝殿です。 京都人の熊野詣その日熊野本宮大社を参ったことで甦る神々への道ひとつ完了しました。 京都人の熊野詣神門の大注連縄です。 熊野速玉大社続いて新宮にある、熊野速玉大社へ向かいました。


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2007年07月05日(Thu)▲ページの先頭へ
梅雨時花模様
梅雨時花模様梅雨真っ盛り、7月の声とともに京都市内はそろそろ祇園祭モードに突入です。 梅雨時花模様昨日はここ京都東山でも雨が良く降りました。今日は東山界隈の梅雨にぬれる自然の植物を紹介します。

まずはねねの道のノウゼンカズラ。 梅雨時花模様梅雨時の定番、アジサイ。 梅雨時花模様暦にもあるドクダミ科の半夏生(ハンゲショウ)。 梅雨時花模様ミゾソバ。 梅雨時花模様夾竹桃ことキョウチクトウ。 梅雨時花模様姫アジサイ。 梅雨時花模様ヤブカンゾウ。 梅雨時花模様白椿。 梅雨時花模様サトイモ科のカラー。
花びらのように広がっているピンクの部分、実は葉の変形です。 梅雨時花模様木槿か芙蓉か。 梅雨時花模様アガパンサスこと紫君子蘭。 梅雨時花模様ジトッと苔の絨毯に生える茸。 梅雨時花模様まるでタコのようなザクロの子供達。 木賊の花木賊こと十草です。
若い人はあまりしらないそうですが、玄関の前に植える節だけの植物で、その昔は金を磨くのに使ったことから金運がつくと云われたりもします。 梅雨時花模様すべて鉢植えではなく東山界隈に自生している植物の姿です。 梅雨時花模様おまけ1
大雨に怪気炎をあげるツル。 梅雨時花模様おまけ2
雨で滑り落ちないようしがみつく、八坂の庚申さんのくくりざる。 梅雨時花模様ジトジトとした梅雨はイヤですが、梅雨は梅雨らしく、夏は夏らしく。
自然も人も本来の姿であって欲しいと年を経るごとにそう思います。


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2007年07月04日(Wed)▲ページの先頭へ
金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−
 金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−丹後峰山のこんぴらさんこと金刀比羅神社を訪ねました。

金刀比羅神社は平成23年に、御鎮座二百年祭が盛大に行われるらしく、境内では記念事業に向けて参道石畳敷設工事 等がすでに始まっていました。  金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−金刀比羅神社は写真のように小高い丘の上に立ち、階段をあがるその途中に小さな境内社が立っているという配置になっています。

峰山と言えば、楽天の野村監督が思い浮かぶくらい、京都市内に住んでいる私にとって金比羅といえば、東山安井の金比羅さんが一の一番にあがります。  金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−金刀比羅神社の御由緒。

旧峰山藩主 京極家は、代々縁の讃岐金毘羅権現を深く信仰され、この峰山の地に金毘羅社を文化8年(1811)現在の峰山町泉の地に社殿を建立してご奉祀されたのが御由緒です。

御祭神は大物主大神、古来『人の身につき願ひて叶はざることなき大神』と称えられるほどの広大無辺なご神徳のある神様です。また「10月の神無月には八百万の神々は出雲へ集う」とされていますが、このこんぴら様だけは出向かわれず、祭礼にお残りになるのだそうです。  金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−とりあえず、鳥居をくぐり、社務所や車祓所、亀の池を見ながら長い長い階段を上がって本殿へ向かいます。  金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−金比羅さんと云えばこのマーク。

峰山随一の大社、丹後半島全般から参拝客を集めるだけあって人事百般に御利益があります。
家内安全 商売繁盛、交通安全、開運厄除、大漁満足、海上安全、学業成就、夫婦和合、病気平癒、安産。  金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−四国讃岐の金比羅さんを彷彿とさせるこの長い階段。  金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−朱塗りの赤が目に鮮やかな神門です。

ここ金刀比羅神社も昭和2年の丹後大震災の被害を受けています。丹後地方を襲ったM7といわれる大震災で社殿は倒壊し、現在のご本殿をはじめすべての社殿はこれ以降に再建されたものです。  金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−神門より下を見下ろすと結構な高さを昇ったことに気が付きます。  金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−まだまだ続く長い本殿への階段、途中にはいくつもの末社、小社がありました。  金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−粟島社、秋葉社、稲荷社はもちろん。  金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−猿田彦神社や、狛猫で有名な木島神社。  金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−佐々木神社、なんと八坂神社はここにもありました。  金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−息を切らして登り切ると土地は急に開け、本殿、絵馬舎がありました。(途中、お百度参りをしている方に出会いました。本殿と石段下を真剣な面持ちで往復されていました)  金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−絵馬舎の中はベンチが置かれひんやりと涼しく、天井を見上げると峰山と神社にまつわる多くの祭礼が描かれた古い絵馬が奉納されてるのに気づきます。
特に秋祭り、神輿渡御祭の様子、金刀比羅大神の大神輿が巡行する様子は絵巻物のように詳しく描かれていました。  金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−こちらが拝殿とその奥、本殿です。  金刀比羅神社−峰山のこんぴらさん−当日は、商売の町・峰山を反映して、商売繁盛や縁結び、受験の神様を拝む人など、丹後一円からの参詣客でにぎわい、峰山の人々とこここんぴらさんの深いつながりを知りました。


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2007年07月03日(Tue)▲ページの先頭へ
御香宮神社−伏見の御香水−
御香宮神社−京の名水−地元の人には御香の宮の名で親しまれている伏見の御香宮神社へ早朝詣でました。(表門は伏見城の大手門の遺構を水戸藩祖徳川頼房が寄進したもので、重要文化財) 御香宮神社−京の名水−この御香宮神社、当初は「御諸(みもろ)神社」と称していたのだそうです。
平安時代に境内から良い香りの水が湧き出て、飲めばたちどころに病も治ったことから、清和天皇より「御香宮」の名を賜り改名されました。

ご存じかと思いますが、このあたりは御香宮に限らず、地下水が豊富で古くは「伏水(ふしみ)」とも呼ばれ今も酒蔵が多いです。 御香宮神社−京の名水−御香宮神社の神紋(社紋)。桃にも見えますがはっきりと解りません。 御香宮神社−京の名水−境内には伏見城跡残石が今なおごろごろと転がっていました。 御香宮神社−京の名水
−境内の道真公を祀る末社、桃山天満宮。 ここにも幕末の「伏見の戦い跡」の碑があります。慶応四年一月、御香宮から南へ少しの所にあった伏見奉行所には土方歳三らの新撰組、林権助らの会津藩士、そして久保田備中守らの伝習隊などが陣を構えていました。 御香宮神社−京の名水−室町時代、御香宮神社も応仁の乱で荒廃しましたが豊臣秀吉が社領を与え、ここを伏見城の守り神としました。

さらに江戸時代に入っても徳川家康らが伏見城の建物を移築したことから、豊臣家と徳川家どちらにもつながりが深く、境内には豊国社と東照宮が併設された珍しい神社です。 御香宮神社−京の名水−御香宮神社の拝殿へ参ります。近年修復され、桃山文化の豪壮華麗な極彩色が復元されました。 御香宮神社−京の名水−接写した写真は載せませんが、よく見ると琴高仙人、鯉の滝登りが彫刻され、伏見城御車寄の拝領ではないかと疑われたのもなる程の豪華さです。 御香宮神社−京の名水−本殿への廊下です。この先に390年ぶりに修復された狩野派の極彩色の壁画のある本殿があります。本殿は安産と子育ての神様「神功皇后」をお祀りしています。 御香宮神社−京の名水−あちらこちらに大手酒造メーカーの酒樽が寄進されています。 御香宮神社−京の名水−歴史を感じさせる絵馬堂や神馬堂もあり。社務所の奥には小堀遠州ゆかりの枯山水の庭があります。 御香宮神社−京の名水−大きな能舞台は神能奉納に使われます。また10月の伏見祭とも呼ばれる神幸祭は、伏見九郷の総鎮守の祭礼で洛南随一の大祭です。 御香宮神社−京の名水−最後に本殿左手に涌く御香水です。御香水は伏見の酒にも欠かせない超軟水で、昔から灘の辛口男酒に対し、伏見の酒は甘口女酒と言われています。

いまなおこんこんと湧き出る御香水には誰彼と無くひっきりなしに水を汲みに来られていました。

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2007年07月02日(Mon)▲ページの先頭へ
京の良きもの
レ・フレール・ムトウの食パン京都にヨキモノ数あれど、なにがおすすめかと訊ねられるとレ・フレール・ムトウの食パン、いつもこれをあげます。

堀川油小路を少し東に入った所にあるレ・フレール・ムトウの食パン(正式名称はお湯ねりだったか)、いつ食べても抜群に美味しい。 レ・フレール・ムトウの食パンパンの都 神戸のビゴの店やコムシノワのも美味しいと思いますが、京都のムトウのパン、その数段上を行きます。

焼いてサクサク、生でもしっとり、まるでケーキを食べているよう。一度これを食べるとスーパーの食パンには戻れません。

ご存じない方、騙されたと思ってご賞味ください。


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2007年06月26日(Tue)▲ページの先頭へ
京都人の熊野詣 2
京都人の熊野詣平安、鎌倉の世から現代へ至っても、人々の魂を魅了してやまない熊野はいったいどんなところでしょうか。

京都から和歌山の熊野本宮、新宮まで行こうと思ったら、近畿道柏原インターを降りてからは下道を通って奈良の山奥を横断するしかありません。
昔の人が聞いたら怒るでしょうが、交通網が発達した現代でも熊野詣はなにせ不便でした。 京都人の熊野詣その後168号、169号を使うのですが、熊野は天川村や谷背の吊橋で有名な十津川村のまだ先にあります。 京都人の熊野詣片道200キロはあったでしょうか。(山道の1キロは市内の1キロとは全然距離感が違います)。 道中は山紫水明風光明媚、「熊野古道」の入り口が多数あり、山里の暮らしにふれる情緒豊かな雰囲気を楽しめました。 京都人の熊野詣土砂崩れがあったため迂回し、熊野本宮へ到着したのは昼頃。 京都人の熊野詣熊野三山の一つ、熊野本宮大社です。

熊野と聞くと、山の神様という印象を持ちますが、旧社地は熊野川の河原にあり周りを水が流れていました。 しかし1889年(明治22年)の大洪水で流されてしまい、現在の山地に移されます。
創建以来中州にあったそうですが山林の伐採が急激に行なわれたため、山林の保水力が無くなり大規模な洪水を引き起こしたのだと考えられています。 京都人の熊野詣 なお、その時の大洪水で被災した上流、奈良の十津川村の一部の集落の人々が、村を捨てて移住した先が北海道の新十津川村です。 京都人の熊野詣熊野川中州にあるこの大鳥居が旧社地のあった場所で「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれています。中は写真撮影厳禁。熊野本宮は至る所写真撮影禁止されています。 京都人の熊野詣とりあえず旧社地の大斎原を見学した後、熊野本宮大社へ参ります。 京都人の熊野詣世界遺産に登録された熊野ですが、たどり着いて解ったのは驚くほど観光地化されていたことです。 京都人の熊野詣人生の出発の地、甦る日本の心!
どういう意味でしょうか。人生経験の浅い私に皆目わかりません。いずれも熊野本宮大社神門に貼られていた言葉です。


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2007年06月25日(Mon)▲ページの先頭へ
乃木神社-殉死の霊−
乃木神社-殉死の霊−伏見区桃山御陵の明治天皇陵南にある乃木神社です。

乃木神社の神門。(樹齢3千年、幹の太さ2mといわれる台湾の山、阿里山のヒノキでできています) 乃木神社-殉死の霊−乃木神社はもちろん明治時代の軍人 乃木希典大人之命(ノギマレスケウシノミコト)を祀る神社です。

京都をはじめ北海道、栃木、東京、香川、山口など全国各地に乃木さんを祀る神社はありますが、乃木希典の殉死から京都のはもちろん明治天皇陵のそばにあります。 乃木神社-殉死の霊−当神社は宇多源氏第八皇子敦賀親王の後裔佐々木四郎高綱の子孫にある乃木希典を祭神とする。 明治天皇桃山御陵の点し南面に対して北面の武士として殉死して尚侍らうという意味をもって 当時京阪電鉄の取締役であった村野山人翁をはじめ全国崇敬者により大正五年九月十三日創建されました。 −神社駒札より引用− 乃木神社-殉死の霊−軍旗を喪失した逸話、
旅順攻防戦や二百三高地で多数の死傷者出す話など
乃木希典は軍人としての評価はいまいちですが、それでも乃木のお守りには勝守、出世、スポーツ、病気など勝ち運はつくそうです。 乃木神社-殉死の霊−神門をくぐるとまず学習院長時代の乃木将軍、晩年の胸像があります。(五十九歳のとき明治天皇の要請で学習院院長に就任) 乃木神社-殉死の霊−さざれ石。
国歌(君が代)にも歌われているさざれ石はここにもありました。 乃木神社-殉死の霊−乃木神社の神殿
神社は一般的に南面ですが向いの明治天皇陵が南面しており、ここは乃木希典として明治天皇に背を向けられないということで珍しく北面向きに建てられています。 乃木神社-殉死の霊−乃木将軍が生前、こよなく馬を愛したことから愛馬(壽号、璞号)が御霊を護って対峙する拝殿。 愛馬には他に轟号、英号、雷号などがいました。 乃木神社-殉死の霊− 日露戦争で活躍した巡洋艦”吾妻”の主錨をモニュメントにした旧海軍将兵慰霊碑です。 乃木神社-殉死の霊− 乃木神社-殉死の霊− 乃木神社-殉死の霊−そのほかにも多数の慰霊碑が建立されています。 乃木将軍の遺墨・遺品他日露戦争前後の関係資料を展示した資料館は直筆の掛け軸や、書、静子婦人が日常使用された調度品も展示され、さながら宝物殿となっています。 乃木神社-殉死の霊−乃木希典が少年時代に住んでいた家を模したもの。 乃木神社-殉死の霊−中では乃木少年が長府(山口県)で父母妹達と慎ましい生活、父母が乃木少年に毎日一条の教訓を与えている様子を再現されています。 乃木神社-殉死の霊−日露戦争時に旅順柳樹房で第三軍司令部。
もと南満州(現在の中国東北部)の柳樹房と言う所にあった周玉徳氏から買受け土台石等もすべて移送し復元したそうです。 乃木神社-殉死の霊−乃木神社拝殿。 乃木神社-殉死の霊−ガラス越しに本殿が見えます。 乃木神社-殉死の霊−境内はそのほかに山城えびす社があり。 乃木神社 笑い獅子
板倉屋敷にあったものが、神社建立の際に置き換えられました。昭和天皇の教育係だった乃木は明治天皇の死にあたって殉死します。 以下は乃木辞世の二首です。

   神あかりあかりましぬる大君の
     みあとはるかにをろかみまつる

   うつし世を神さりまさしゝ大君の
     みあとしたいて我はゆくなり



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日向大神宮−京のお伊勢はん−
日向大神宮−京のお伊勢はん−京都の山科区日ノ岡にある京の伊勢の別名を持つ日向大神宮へお参りに行きました。 日向大神宮−京のお伊勢はん−京都疎水のほとりにあるこの神社を知ったのはつい最近の京都一周トレイルの頃、いままでノーマークでした。 日向大神宮−京のお伊勢はん−トイレに立ち寄った際、日向(ひむかい)とは逆の苔生した境内や丘陵地の景色、他の京都の神社とは異質の雰囲気があり驚きました。 日向大神宮−京のお伊勢はん− 日向大神宮は「ひむかいだいじんぐう」と読みます。
顕宗天皇時代に筑紫日向の高千穂の峯の神蹟を移したのが始まりとされ,天智天皇がこの山を「日御山」と名づけ,清和天皇が天照大神を勧請したといわれています。

 同じ天照大神を祭神とする伊勢神宮に倣い,境内の高低差のある土地や川を利用して神明造の外宮,内宮を配してあります。 日向大神宮−京のお伊勢はん− 案内板より引用
日向大神宮は、顕宗(けんそう)天皇の時代に日向国(宮崎県)の高千穂峰から天照大神の神蹟を勧請したのが創建とされているが、年代は不明。天智天皇から神領の寄進、清和天皇から日向宮の勅額を賜り、そして醍醐天皇から官幣社に列せられるなど、歴代天皇から厚く信仰されていたようだ。貞観年間に疫病が流行したとき、水を汲んだ「朝日泉」と名付けた霊泉は、恵美須神社の北側にあり、現在も毎年元旦に両本宮へ献供されていて、正月三が日は一般参拝者へも授与されるという。社殿は、応仁の乱(1467)により焼失したが、寛永年間(1624-44)に伊勢の野呂左衛門宗光が再建し、伊勢神宮に準じ外宮・内宮の社殿を建てたと伝える。伊勢神宮への代参としても尊崇されていた。その伊勢神宮遥拝所が駐車場南側の山の中腹にある。また、粟田口という東国などへの重要な出入り口を出た、最初の難所が日ノ岡峠。その峠に面していたことから、旅の安全を祈願する旅人の信仰を受けていたと伝える。現在は、開運・厄除け・縁結びに御利益があると知られている
日向大神宮−京のお伊勢はん−南に面し、拝殿・外宮・内宮と一直線に並んでいる境内。 日向大神宮−京のお伊勢はん−伊勢神宮を模した簡素な鳥居。 日向大神宮−京のお伊勢はん−まずは外宮です。外削の千木と堅魚木7本。 日向大神宮−京のお伊勢はん−伊勢神宮のように橋を渡って内宮へ。この川に名前はあるのでしょうか。 日向大神宮−京のお伊勢はん−内宮拝所にて。 日向大神宮−京のお伊勢はん−裏山の「天の岩戸」は厄をくぐりぬけ、運が開けるという言い伝えがあり、もちろんくぐってみました。 日向大神宮−京のお伊勢はん−そのほかに厳島神社、朝日天満宮、宇受女神社、花祭神社、猿田比古神社、多賀神社、春日神社などの多数の小社があり。 日向大神宮−京のお伊勢はん−大昔、日御山と呼ばれたここ山科日ノ岡の地にひっそり佇む日向大神宮。
古くは伊勢神宮への代参や、東海道を往来する旅人たちの道中安全祈願でたいそうにぎわったそうです。

紅葉の頃、また行ってみます。


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熊野神社-京都熊野三山の一つ−
熊野神社京都の東大路丸太町にある熊野神社へお参りに行きました。 熊野神社ここ熊野神社は哲学の道の熊野若王子神社、今熊野の新熊野神社と並び、京都三熊野の一つに数えられています。

子供の頃は今熊野神社と熊野神社、馬町も含めて区別がつきませんでした。昔、市電が走っていた頃、ここを通って西にある踏水会へ通ったものです。 熊野神社熊野神社駒札より
当社は伊弉冉尊を主神とし、相殿に伊弉諾尊、天照大神、速玉男尊、事解男尊を祀っている。 社伝によれば、弘仁二年(811年)紀州熊野大神を勧請したのに始まると伝えられる。 嘉承年間(1106〜1108年)増譽僧正は聖護院を建立し、当社を鎮守神とし、別当を置いて管理した。 平安末期、後白河法皇は度々熊野詣を行ったが、当社にも厚く尊信を寄せ、同法皇が勧請した熊野若王子神社、 新熊野神社とともに京都の熊野三山として、崇敬を集めてきた。 応仁の乱により焼亡したが、寛文六年(1666年)聖護院宮道寛法親王の命令により再興され、 その寺域は鴨川に至る広大なものであった。 天保六年(1835年)にも大修造が行われたが、その後、大正二年(1912年)の市電軌道敷設により社地をせばめられた。 祭礼は四月二十九日神幸祭、五月十六日例祭が行われる
熊野神社もちろん三つ足のヤタガラスはあちこちに見られます。
熊野神社のご利益は縁結び・安産・病気平癒・鎮火だそうです。 熊野神社ここ熊野神社も応仁の乱で焼失後再建され、江戸期に整備されました。その後、大正二年(1912)と昭和二年(1927)の市電軌道敷設により社地をせばめられ、現在に至っています。 熊野神社今熊野神社ほどでないにしても境内を覆う大楠のせいで日が差し込みません。 熊野神社ご本殿の屋根は風化と腐食が激しくただいま葺き替え作業中です。 熊野神社境内にある八ッ橋発祥之地石碑です。

ステッキを持った和服姿の紳士の銅像。元禄時代にできたとされる八ッ橋の中興の祖、本家八ツ橋西尾株式会社十二代目の西尾為治氏その人です。 熊野神社熊野三山の別当職をかねた聖護院の近くにあり守護神として古くから結びつきは深そうです。


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2007年06月23日(Sat)▲ページの先頭へ
三室戸寺の紫陽花と蓮
三室戸寺の紫陽花あじさい寺の別名を持つ宇治三室戸の三室戸寺のアジサイも満開です。 三室戸寺の紫陽花ここは西国観音霊場第10番札所 本山修験宗の別格本山です。
もともとは御室戸寺という名だったそうですが、後に三室戸寺に改称されたそうです。
年中、参詣で賑わい、大型バス駐車場が止まる駐車場などが備わった宇治を代表する観光寺院です。 三室戸寺の紫陽花 紫陽花庭園を含む広大な三室戸庭園には1万株のあじさいが杉木立の間に咲き乱れる素晴らしい景観を見せてくれます。 三室戸寺のアジサイ また6月下旬の見頃の季節にはあじさい園がライトアップされて夜も楽しめます。 三室戸寺の紫陽花三室戸寺山門前です。 三室戸寺の紫陽花訪れた日はついに雨の日、恵みの雨を受け潤いを増す紫陽花の世界そこにありました。 三室戸寺の紫陽花角出し、槍出し、目玉出す蝸牛。
日頃葉の裏で隠れているカタツムリも湿った葉の上では意外にすばしっこいです。 三室戸寺の紫陽花白い紫陽花。
紫陽花の花言葉は『移り気』ということで、咲き始めから咲き終わりまで色が変化していきます。
ただ白いアジサイは白のまま咲き終わって欲しいもんです。 三室戸寺の紫陽花これは紫陽花でしょうか。葉の形は他の紫陽花とは異なります。
山門を通り、花園を右下に見て進むと、本堂前に登る石段に至る道にその紫陽花はありました。 三室戸寺の紫陽花リーフレットには西洋アジサイを中心に額あじさい、柏葉アジサイ、幻の紫陽花・七段花、30種云々とありますので、葉の形から柏葉アジサイと思われます。 三室戸寺の紫陽花ほとんど人が写ってないように見えますが、庭園は参拝客やカメラマンでいっぱいでした。 三室戸寺の紫陽花梅雨入りしたものの雨が降ってなかったので生き生きと感じられます。 三室戸寺の紫陽花やっぱあじさいには雨が似合います。 三室戸寺の紫陽花石段横の『みむろどう』と書かれた灯籠や『ようおまいり』と書かれた石柱が立っている石段を登って本堂へ参ります。 三室戸寺の紫陽花『山吹や宇治の焙炉のにほふとき』
芭蕉に詠まれた本堂は重層入母屋造りです。また本堂に安置されている本尊「千手観世音菩薩」は秘仏です。 三室戸寺の紫陽花本堂の前に「宝勝牛」と名付けられた牛の像が置かれています。

牛の口の中には金属製の小さな仏像を貼り付けた石の玉が入っており、牛の口の中に手を入れ玉を転がし指で仏像に触れると勝ち運がつくと書かれています。
ちなみに宝勝牛は勝運、ガン封じ、病気平癒、金運、健康に効があるそう。 三室戸寺の紫陽花 本堂右奥の鐘楼と三重塔。ここは鐘を自由に突くことが許されています。 三室戸寺の蓮本堂手前には蓮の鉢、その数250鉢ありました。 三室戸寺の紫陽花蓮を見るとやはり仏教を連想します。
仏教の聖地 印度では最高の美女を蓮女(パドミン)とよぶのだそうです。 三室戸寺の紫陽花まもなく咲く物。
三室戸寺本堂前の蓮の種類150種だそうです。 三室戸寺の紫陽花咲いた物。
葉っぱについた水滴が何とも風情を感じます。 三室戸寺の紫陽花咲き終わりの物。
三室戸寺の蓮は七月が見頃となりそうです。 三室戸寺の紫陽花三室戸寺はしばらくぶりでしたが、なだらかな斜面に5000坪を誇る広い庭園は藤森神社と異なりゆったりとアジサイを堪能できました。 三室戸寺の紫陽花花の都、京都、次回は大原三千院のアジサイを見に行ってみます。


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2007年06月18日(Mon)▲ページの先頭へ
藤森神社の紫陽花祭
藤森神社の紫陽花苑京都も梅雨真っ盛り、藤森神社の紫陽花苑では恒例のあじさいまつりが開かれています。 藤森神社の紫陽花苑6月上旬から一ヶ月間開苑される紫陽花苑も参道左脇の第1紫陽花苑と本殿右奥の第2紫陽花苑二つに分かれています。 藤森神社の紫陽花苑聞けばその数3500株もの紫陽花が植えられているそうです。 藤森神社の紫陽花苑 背丈ほども伸びる紫陽花、草と云うより樹の感あり。 藤森神社の紫陽花苑紫陽花といっても百花繚乱。 藤森神社の紫陽花苑 おあとは様々な花火のような紫陽花の千変万化をお楽しみ下さい。 うどんの小松さんの前のガクアジサイ 藤森神社の紫陽花苑 藤森神社の紫陽花苑 藤森神社の紫陽花苑 藤森神社の紫陽花苑 藤森神社の紫陽花苑 藤森神社の紫陽花苑 藤森神社の紫陽花苑 藤森神社の紫陽花苑 藤森神社の紫陽花苑 藤森神社の紫陽花苑 これ、あじさいの蕾。
苑内の紫陽花、5分咲きにも満たず、これから本格的に楽しめそうです。 藤森神社の紫陽花苑最後に
いかつい神鎧像も一休み。
菖蒲の節句に武者人形を飾るのはこの神社の祭礼が起源だと言われております。


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桃山御陵な朝
桃山御陵主に明治天皇を祀る広大な桃山御陵、初夏の早朝、散策しました。 桃山御陵な朝桃山御陵はJR桃山駅から歩いて20分ほどの丘陵地、広大な敷地のもとは伏見城の本丸跡にあたります。 桃山御陵な朝明治天皇陵と昭憲皇太后陵、ご夫妻揃って眠っておられます。 桃山御陵な朝8時半に御陵地は開門、早朝はジョキングやトレーニングをする人を多数みかけます。 桃山御陵な朝 整備されたどこまでも続く杉並木道、スケールの大きさに驚きます。 桃山御陵な朝ここ桃山御陵の正門がどこになるか解りませんが、あちこち入れます。 桃山御陵明治天皇陵参道の長い急な階段は230段。 桃山御陵な朝体力のありそうな学生が筋トレに駆け上がっていました。 桃山御陵な朝登り切ると頂上からは洛西、宇治方面が一望でき、絶景の地です。 桃山御陵な朝振り返ると明治天皇陵。

さすが明治天皇、日本の天皇陵としては最大級の規模を誇るんだそうです。伏見城の跡地に明治15年(1912)8月、天皇崩御の1カ月後に、明治天皇伏見桃山御陵の建設が発表され、 今に至っています。 桃山御陵な朝御陵は、上円下方墳、周囲を石の玉垣で巡らされています。 桃山御陵な朝続いて、明治天皇の皇后、昭憲皇太后陵へ。 桃山御陵な朝明治天皇が山頂に祀られているのに対し、昭憲皇太后陵は山の中腹にあります。 桃山御陵な朝伏見桃山東陵、昭憲皇太后陵です。
女性の陵墓らしく右脇に一本の枝垂れ桜が植えられているそうですが、確認できませんでした。 桃山御陵な朝最後にここ桃山御陵にはもう一つの巨人、平安京遷都で有名な桓武天皇の御陵がありますが、あまり知られてないことです。 桃山御陵な朝鬱蒼と茂った森の中を貫く参道。 桃山御陵な朝やがて伏見桃山キャッスルランドの正門と交わります。 桃山御陵な朝ここが桓武天皇柏原陵。上の方に伏見桃山城の天守閣が見えています。 桃山御陵な朝京都の礎を作った桓武天皇も、ここ桃山御陵にその霊は眠っておいでです。


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伊根の舟屋
伊根の舟屋京都の丹後半島にある伊根町舟屋集落。
漁村では初となる重要伝統的建造物保存地区に指定された伊根の舟屋を先日訪れました。 伊根の舟屋まずは男はつらいよ、NHKドラマ「ええにょぼ」や釣りバカ日誌の舞台となったことで当時の撮影風景や記念モニュメントがある、道の駅「舟屋の里公園」へ行って、俯瞰します。 伊根の舟屋伊根湾に沿って海面すれすれにずらりと建ち並んだ200軒以上の舟屋集落が詩情を漂わせています。舟屋は要するに船のガレージ、京都だけでなく、全国的にも珍しい光景です。 伊根の舟屋向こうに大きな青島が見えます。 伊根の舟屋ここ伊根町の舟屋集落ですが、岡の上から降りるとその道の狭さに驚きます。少し溜まりがあったのでそこで車を止めて撮影しました。舟屋前、緑色した海が印象的でした。 伊根の舟屋1階は船揚場(船の格納庫) 物置、作業場として、2階は客室、 民宿、通りを挟んで向こうが母屋など今も実際に使われています。 伊根の舟屋建物はだいぶ老朽化が目立ちますが、この景観を保つため規制されているのでしょうか。
ここもこの景色がいつまでも続くことを祈ります。


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2007年06月15日(Fri)▲ページの先頭へ
京都人の熊野詣 1
だいぶ前に京都人の私が辿った熊野詣、ときどき記憶を遡ってここへ綴ろうと思います。

鳥羽上皇の21回を筆頭に、
白河上皇の12回、
後鳥羽上皇の29回、
後白河上皇の33回、

上皇、法皇が詣でられた総回数は、1000回にも及ぶ熊野詣。

『アリの熊野詣』と呼ばれるほど平清盛や西行、上皇や貴族、武士や庶民、大勢の人々が目指したこの道を現代人の私は車で訪れました。 ちなみに熊野詣でとは紀伊半島南部、熊野にある、本宮・新宮・那智の熊野三山を参詣することですが、その道は京都からは車でもあまりに遠かった。


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2007年06月14日(Thu)▲ページの先頭へ
経ヶ岬灯台−京都の北の果て−
経ヶ岬灯台−京都の北の果て−京都の最北端というか近畿の最北端にあたる丹後半島 経ヶ岬灯台に先日行きました。 経ヶ岬灯台−京都の北の果て−天橋立あたりから、伊根町を経て、国道178号線を更に北上。
海沿いの景色と道路が整備されて走りやすいのか多くのバイカーとすれ違いました。 経ヶ岬灯台−京都の北の果て−経ヶ岬レストハウス横の道を折れると1キロほどで灯台へ昇る駐車場につきます。(ここから見る景色、ペルーのマチュピチュに見えてるの私だけでしょうか) 経ヶ岬灯台−京都の北の果て−ここから山頂展望所と灯台へは400メートルの山道。 経ヶ崎灯台−京都の北の果て−北側には京都の海がよく見えます。(別にタヒチや沖縄にいかずとも日本海いや、京都の海のほうが青かった)

ちなみにここ経ヶ崎の名は昔、岬に悪竜が住みつき、暴れまわり、海は大荒れに荒れつづけ、舟人や漁師を困らせました。人々は困り果て、大陸の文殊菩薩にお願いし、文殊菩薩は経をもって、悪竜と長い間戦い、やがて文殊菩薩の教化で悪竜は善竜になりました。そして、二度と再び、悪竜に戻らないように、一万巻のお経を納めたので、経ヶ岬と呼ばれるようになったといわれています。 経ヶ崎灯台−京都の北の果て−結構悪路ですが、ここ京都ととても思えないほど自然の宝庫です。写真を載せませんがモリアオガエルの卵を久しぶりに見ました。 経ヶ崎灯台−京都の北の果て−まるでギリシャ神話の世界。
やがて青い海と緑の山のなか、美しい白亜の灯台が見えてきます。 経ヶ崎灯台−京都の北の果て−到着。
高さ12メートルの経ヶ岬灯台、犬吠埼灯台、室戸岬灯台と並ぶ日本三大灯台の一つなんだそうです。


下記は経ヶ崎灯台案内板より
明治31年12月25日に建設、初点灯 をして以来今日まで、日本海を行き交う船舶の安全を 守り続けてきました。  この灯台のレンズを回転させる機械は、水銀槽式 回転機械と呼ばれるもので、1893年フランス技師、 プール・デーュ氏が重いレンズを円滑に回転させるた めに発明したもので、当時、画期的な発明として、世 界中から注目され、パリで開催された万国博覧会に 展示されたものを、そのまま購入して、経ヶ岬灯台に設置したものです。


経ヶ崎灯台−京都の北の果て−海抜140m上、一世紀以上日本海を守り続ける海の守り神も灯台守はおられず無人でした。 経ヶ崎灯台−京都の北の果て−映画「喜びも悲しみも幾年月の舞台」とも知られるこの場所、多くの老夫婦と出会いましたが映画を知る私は話しかけてはいけません。 経ヶ崎灯台−京都の北の果て−そして経ヶ岬山頂展望所にて。
かまや海岸と丹後松島、犬ヶ岬、冠島などすべてが見通せます。

紺碧の海と空、碧緑の山々とのコントラストが美しく日差しのせいか、最高級の見晴らしでした。
京都百景にも選ばれたのも納得できます。


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木島神社の狛猫
狛猫のいる風景日本でも珍しい狛犬ならぬ狛猫です。 金刀比羅神社の狛猫京都は峰山のこんぴらさんこと金刀比羅神社の境内 木島神社の前に守り神として鎮座しています。 狛猫のいる風景左側の口を開けた阿形の猫は子猫を抱いているのでメス。 狛猫のいる風景吽(うん)形の表情はオスでしょうか。 狛ねこ親子で神にお仕えしています。以前は涎掛けがかかっていたと思うのですが、訪れた日にはありませんでした。 狛ネコなぜ、狛犬ではなく狛猫なのか?

丹後ちりめんで有名な峰山町、地元ちりめん織業者らの信仰によってここの神はお迎されたものだそうです。

養蚕の大敵はネズミで、マユや蚕などを食い荒らすということで養蚕を営む家にはネズミ退治するネコは有り難がられました。

そういう理由で、今もこの丹後峰山の地で「機織養蚕の守護神」にお仕えしているのです。 木島社の狛猫ちなみにこの神社、狛猫だけでなく他の動物もこんなにいっぱい。面白いものを見つけましたがその話は次回に。


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阪急電車の家、発見。
阪急電車の家先日、福知山へ行った際、176号線を通ると例の阪急電車の家を発見しました。
雨晒しなので残念ながら半年前より塗装が剥げてきている模様。 阪急電車の家雲原の環境は素晴らしいですが、阪急電車の家、はたしていまも住みやすいのでしょうか。

私ごとですが阪神電車でなく阪急電車なのは嬉しい限りです。

なぜって京都人の私はもちろん阪急ファン、子供の頃、西京極球場に通っては福本豊選手にサインをもらいましたもん。。
(今は京都サンガファン)

以下は両丹日日新聞2007年1月 2日付より引用
景色に溶け込むアズキ色 車内を改装し居住空間に    福知山市雲原に、阪急電車の車体1両が置かれている。尼崎市に住む男性が、セカンドハウスとして持ち込んだもので、車内は床などを張り、生活できるように改造。おなじみのアズキ色の車体は山々に囲まれた周囲の風景に溶け込み、地域の「名物」にもなっている。   1両を3部屋に仕切り     持ち主は尼崎市武庫之荘在住の芳森澄男さん(71)。以前から電車が欲しくて、当初はJRの車体を望んでいたが、自宅近くの阪急電鉄・武庫之荘駅の駅員から、解体される阪急電車の車体を売ってもらえることを知り、阪神淡路大震災の翌年の1996年(平成8年)に購入。雲原に所有する土地に置くことにした。   冬の寒さは厳しいが住み心地は抜群    車体は64年(昭和39年)に製造されたもので、全長20m、幅2・8m、高さ3・7m、重さは38tある。京都線や嵐山線で走り、震災の年まで現役として活躍した。    購入費はレールと枕木がついて10万円と安かったが、福知山までの運搬・設置費が約300万円かかった。セカンドハウスとしての利用のため、車体内部は消毒したあと、生活できるように改装。床に板を敷き、その下には断熱材を入れて、1両をカーテンレールなどで3部屋に仕切った。座席は取りはずさないで、ソファ替わりにしている。つり革も一部はずしているものの、多くがそのまま。運転室は国道175号に面しており、見晴らしが良い。   玄関には表札も    運転室の後ろの部屋は家族が訪れた時に使う部屋。その後ろは芳森さんの寝室。最後尾は居間としてこたつなどを置き、くつろげるようにしている。車体の最後尾とくっつくような形で台所とトイレ、玄関などを備えた建物を造った。改装や建築はほとんどが自分の手で。大工経験を生かして、住みやすいように工夫している。電気や水道をひき、玄関には表札もかけた。    住居として使うようになったのは6年前から。建築のオペレーターの仕事をしながらも月の半分は雲原に戻り「電車」で暮らす。      「住み心地は抜群」と芳森さん。この地方は盛夏でも涼しく、扇風機も夕方に使うぐらいという。半面冬は、車体が鉄製のため、寒さがこたえるが、「こたつに入っていたら大丈夫」と話す。    国道に面していて、車の行き交う音は響くが、実家のある尼崎のほうが、飛行場が近いためジェット機の騒音でうるさく感じるという。最初のころは家族も来ていたが、今はほとんど芳森さんだけが訪れ、炊事や洗濯、掃除などをこなす。「こちらにいる時は草刈りやペンキ塗りなど、忙しく動き回っています」    車体はさびやすく、特に雪が当たることが多い右側面は腐食が激しい。このため3年に1回程度塗り直す。   ドライバーの注目の的 かつての車掌も訪れる   「なんでこんなところに阪急電車が…」と驚くドライバー。「珍しい」と車から降りて、記念写真を撮る人。偶然、車体番号「2861」を見て、家の近くを走っていた電車と分かり、じっくりと眺めに来た人がいた。この電車の車掌だったという人が、かつての仕事場だった車体を懐かしそうに見つめる姿もあった。    趣味は「ここ(雲原)で暮らしてのんびりすること」という芳森さん。「車体は塗装さえきっちりすれば何年も持つ。元気な間は補修していつまでも大切にして住みたい」と望む。    アズキ色の車体は雲原の四季の自然によく似合う。「この色で本当に良かった」と、つくづく思っている。
 
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2007年06月11日(Mon)▲ページの先頭へ
勧修寺の睡蓮と菖蒲
勧修寺の睡蓮と花菖蒲山科にある勧修寺の菖蒲が見頃を迎えています。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲ここは1100年前に醍醐天皇が母を弔うためその故郷に創建した門跡寺院です。皆さんには「かんしゅうじ」でおなじみも、正式名は「かじゅうじ」です。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲寝殿や書院、本堂が並び立つ境内は優雅そのものですが本日のメインは勧修寺庭園です。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲ここ庭園、氷室池に咲く満開の睡蓮を見に行きましたが残念ながら夕刻では時すでに遅し。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲ごらんの通りです。
かつては氷の厚さで五穀豊穣を占ったという氷室池にはそれでもいくつかの白い睡蓮がちらほら水面で花を開かしていました。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲 白は珍しくここ勧修寺で咲く睡蓮のほとんどは朱色です。

ちなみにハスは、葉や花が水面から立ち上がりますが、 睡蓮は、葉も花も水面に浮かんだままです。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲代わりに池の畔に咲く菖蒲が満開です。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲可憐な白と薄紫の大輪。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲 勧修寺に咲く菖蒲は白を基調にしたものが多いです。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲 なじみの色も。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲この日は平安貴族の庭を堪能しました。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲 池の中ノ島に目をやるとサギのつがいが固まって子育ての最中です。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲シロサギ。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲アオサギ。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲ゴイサギの赤ちゃんか。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲水ぬるむこの季節、濁った池の中には餌が豊富なんでしょう。 勧修寺の睡蓮と花菖蒲肝心の睡蓮の花は7月が見頃と予想をたてて渋々帰ってきました。


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2007年06月09日(Sat)▲ページの先頭へ
平安神宮の花菖蒲と睡蓮
平安神宮の花菖蒲と睡蓮平安神宮神苑の花菖蒲と睡蓮が見頃を迎えています。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮神宮門前、花菖蒲見頃とおふれが出ていました。毎年今頃の時期に、平安神宮の神苑が1日だけ無料公開されており、昨日8日がその日でした。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮神苑も4つに分かれていますが、菖蒲の咲くのは西神苑白虎池です。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮そこは八ッ橋がかかり在原業平の住む古典の世界が広がっていました。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮さすが平安神宮、土が良いのか、菖蒲の花のサイズが余所より大きく感じました。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮白虎池の周辺の菖蒲その数なんと2000株だそうです。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮京都随一の菖蒲の名所だけあって早朝より多数のカメラマンが来苑。それを避けるように撮影しています。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮 平安神宮の花菖蒲と睡蓮伊勢系、肥後系、江戸系、どれも武家に好まれた日本古来の品種です。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮紫、白、絞りなど、微妙な色合いの花を神苑でも咲かせていました。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮菖蒲の葉と花に朝露が滴っています。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮5月に咲く杜若より花菖蒲は立派で種類は500種以上あるんだそうです。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮聞けばこの八ッ橋、見頃のこの時期にしか架けられないんだそうです。
またここ池泉回遊式庭園の白虎池はもちろん小川治兵衛の手によるものです。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮続いて池中央に目をやると、睡蓮も満開です。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮 平安神宮の花菖蒲と睡蓮 平安神宮の花菖蒲と睡蓮さながらモネの世界。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮黄色い睡蓮もありました。つぼみがこぼれそうになっています。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮水面にパーッと広がった花弁。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮 平安神宮の花菖蒲と睡蓮一言で睡蓮と云っても色はもちろん花弁の形にも違いが。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮ここ京都平安神宮には恵みの雨を受け潤いを増す花々の世界がありました。 平安神宮の花菖蒲と睡蓮初夏の花咲き誇る京の社寺、次回は勧修寺へ行ってみます。


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野村別邸の花菖蒲
野村別邸の花菖蒲南禅寺ほど近く、野村別邸の花菖蒲、こちらも満開を迎えています。 野村別邸の花菖蒲桜の頃訪れた野村別邸、菖蒲の頃に再訪しました。ここは現在お住まいのため残念ながら、柵の中へは立ち入ることができません。 野村別邸の花菖蒲柵越しにみえる玄関脇の花菖蒲がすらりと長い葉を伸ばし咲き乱れていました。 野村別邸の花菖蒲こちらあの野村碧雲荘へ通じる橋だと思われます。 野村別邸の花菖蒲 玄関の左手が絶好の撮影スポットです。 野村別邸の花菖蒲琵琶湖の疎水が流れ、水路には多くの菖蒲が活き活きと開花しています。 野村別邸の花菖蒲 白と紫、平安神宮でもこれだけ密集して咲いていませんでした。 野村別邸の花菖蒲菖蒲を楽しめるのは6月まで。この後どうなるのでしょうか。 野村別邸の花菖蒲偶然、菖蒲園を守るボクサーにも会いました。 野村別邸の花菖蒲東山学園界隈も変わりつつありますが、ここから見る菖蒲の景色、昔も今も変わっていません。


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2007年06月05日(Tue)▲ページの先頭へ
京都一周トレイル 東山コース 始まりのゴール
京都一周トレイル 東山コース 遙かなるゴールトレイル 東山コースの終着点、ケーブル比叡駅にまだいます。 京都一周トレイル 東山コース 遙かなるゴールあらためて無い知恵を絞って思うのは
コースが誰しも楽しめるように始点と終点を電鉄系の駅に設定してあるのは私のような壮年にとって少々物足りなく感じる訳です。

このトレイルの目的は健康的に京都の山を一周できる ハイキングコースですから、私のように東山三十六峰を結んで歩けると考えている強者(もさ)はその対象からはずれるのかもしれませんが。 京都一周トレイル 東山コース 遙かなるゴールこうなればいつの日か東山三十六峰をGPSを使って三角点を暴き出すことも考えてみる次第です。 京都一周トレイル東山コース 大比叡の頂点に立つことなくここでゴールと云われるのはまるで徒然草の仁和寺にある法師の心境のごとし。

ちょっと残念に思いながらコース案内図を見上げて道程を振り返ります際、ふと脇に道が続いていることに気がつきました。 京都一周トレイル 東山コース 北山コースなんと!?そこはトレイル北山コースの入り口になっているではありませんか。 京都一周トレイル 東山コース 北山コースこれは紛れもなく京都一周トレイル 北山コース第1番の標識。 京都一周トレイル 東山コース 遙かなるゴール特にこのあたりは北山東部コースにあたります。

浄土院、釈迦堂など延暦寺境内に点在する伽藍をまわり、大原・三千院方面へ直進して北山を縦断していく前半は特に面白そうです。

北山には東山ほど愛着なけれど、京都人としてこれは迷わず進むしかありません。

東山コース終点は北山コースの始まり。

我がゴール遙かなり。



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2007年06月04日(Mon)▲ページの先頭へ
京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅
京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅水飲対陣碑まできたらあとはゴールのケーブル比叡駅を目指すのみです。 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅ただしここからが更に急で暗い坂道になりました。 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅不気味な浄刹結界跡あり。 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅様々な無縁仏も。
ただ崖のような道を登るだけ。同じ三十六峰でも大文字山や稲荷山とここは大違いです。 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅ここは霊峰比叡は王城鎮護の山。京都の鬼門中の鬼門に当たるこの地は、観光地化されたいまも京都を守っているのです。 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅駅の手前あたりに千種忠顕郷の碑が立っています。 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅そこから高度を上げ一気に駆け上がるとケーブル比叡駅に到着。ついにゴールです。 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅スタートの京阪稲荷駅からゴール ケーブル比叡駅、ここまで距離にして24.6キロ。長かったような短かったような。 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅駅には帰りの京福電気鉄道 比叡ケーブルカーがすでに待ちかまえていますが、せっかくここまで来たのだからゆっくりと東山コースのゴール周辺を散策してみます。 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅ケーブル比叡駅とロープウェー比叡駅周辺の案内板。人気はなく、ケーブル比叡駅に自販機があるのみです。 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅役目を終えた一昔前の比叡ロープウェー。 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅かわらけ投げ広場。昔投げた記憶がありますが、神護寺とごっちゃになっています。(人に連れられた旅行の記憶はその程度です) 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅駅の待合室はさながら千日回峰写真館になっていました。
この写真、懐かしい。これは八坂の塔あたりです。 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅標高690メートル。もちろんいままで最高地点です。

中腹には望遠鏡が置かれ比叡ビュースポット、パノラマ広場となっています。植物園や下鴨神社、御所、二条城など、緑の多いところはすぐ分かります。なんと晴れた日には大阪の景色まで望めるのだとか。 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅雲はあるものの晴れていて良かったです。自分の足で伏見から比叡山まで登って見た景色は格別でした。

ひとつだけ自分の想像と違っていたのはトレイルの東山コースのゴールが比叡山の三角点でなかったことです。 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅大比叡山頂848メートル、その三角点にはここから40分ほど上の延暦寺からいけます。(ご存じかと思いますが延暦寺は1200年ほど前に桓武天皇が最澄に命じ平安京の鬼門封じのために造ったお寺です) 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅延暦寺にはここからハイキングコースを使うほかにロープウェーでも行くことができます。 京都一周トレイル 東山コース 最終標識なんか納得できない点もあるけれど、京都一周トレイル 東山コース。 京都一周トレイル 東山コース 水飲対陣碑〜ケーブル比叡駅
我、ここに完遂せり。



→→京都一周トレイル 東山コース 始まりのゴールへ続く

 
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京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑
京都一周トレイル、東山コースの続きです。前回は日本バプテスト病院横から北白川史跡と自然の道へ入り、 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑大山祇神社までアップしました。 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑今回はその後、瓜生山尾根を経てゴール手前の太平記ゆかりの水飲対陣碑までをお伝えします。 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑標高301メートルの瓜生山頂へは実際登りませんので、狸谷不動尊の奥の院、白幽子岩屋跡などももちろん拝めません。 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑 ここからは唯ひたすら歩くのみです。 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑途中、何度も迷いそうになるものの、標識を頼りに乗越・谷道合流点、尾根道合流点、越える頃には60番を指していました。 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑洛北の景色が林道から垣間見ることができます。ここにはもはや京都タワーも日本電産のビルもありません。 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑分かれ道も標識からどうやら曼殊院門跡の裏手あたりへ来ているのがわかります。 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑一乗寺林道です。 以前訪れた修学院離宮もここからははるか下にあります。
比叡山延暦寺の別院赤山禅院の文字を見てゾクソクするのは私だけでしょうか? 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑一乗寺風呂ヶ谷、 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑一乗寺南高山、掛橋といった立て札立っていますが詳しい意味はわかりません。 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑道中、白いハナミズキが満開でした。 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑 さすがにサルは見かけませんでしたが、スズメバチが多いので用心して下さい。 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑一乗寺林道も終点が見えてきました。 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑 脇には展望台があり、 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑 洛北の景色が一望。ここは左京区の北、今まで見た東山三十六峰からとは見える建物、全然違いました。 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑標識67番、石鳥居です。休憩が出来る大きな広場があり、この先直進すれば弁天堂が待っていますがコースには入っていません。 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑石鳥居横左の細い急な山道を沢まで一気に降りアップダウンを繰り返すと再び登り道になります。 京都一周トレイル 東山コース 大山祇神社〜水飲対陣碑標識69番、水飲対陣碑までくれば比叡山はすぐそこです。

水飲対陣之跡

太平記の時代、延元元年(1336)に足利氏の攻撃から比叡山へ逃れた後醍醐天皇を擁護するための戦いがありました。千種忠顕と足利直義の比叡山麓西坂本水飲での戦いから水飲対陣之跡と呼ばれています。また千種忠顕が戦死した場所とも知られています。


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2007年06月03日(Sun)▲ページの先頭へ
城南宮神苑 源氏物語 花の庭
城南宮神苑 源氏物語 花の庭6月の朝、京都は洛南の地にある方除の大社城南宮、それも神苑を訪れました。 城南宮神苑 源氏物語 花の庭雅やかな曲水の宴が行われる城南宮神苑、別名楽水苑には源氏物語ゆかりの植物が説明文の書かれた扇とともに植えられ、四季折々の花をたのしめるようになっています。 城南宮神苑 源氏物語 花の庭城南宮の中へは入っているものの500円の拝観料を惜しんで神苑にはここ数年訪れていません。 六条院 平安時代、白河上皇は光源氏の邸宅「六条院」の理想の姿を実現すべく鳥羽離宮を立てたそうですが、現代ではここ神苑に源氏物語の世界があります。 神苑は城南宮の社殿を取り囲む形で広がっています。 城南宮神苑 源氏物語 花の庭まず最初にみえる源氏物語の景色は春の山。
春の草木が次々と花咲くように秋の山に対して築山されました。 城南宮神苑 源氏物語 花の庭ナデシコが咲いていましたが、旧暦ではこれも春の草木なのでしょう。 城南宮神苑 源氏物語 花の庭城南宮名物の枝垂れ梅もこの季節はごらんの通りです。私も花咲く頃は見たことがありません。 城南宮神苑 源氏物語 花の庭夏草の小径。禊の小川をすぎ、夏草の小径を経て、藪椿竹林を抜けると 神殿の背面神殿の背面 に出ます。流れ造りの本殿は、変形入母屋造りの前殿、そして左右に伸びる翼廊が一体となった城南宮独特の複合建築。
平安時代後期の様式で統一されています。 三光の紋城南宮本殿の屋根瓦。

ここ城南宮には鳥居や屋根の瓦など至る所にこのマークが見られます。
これは三光の紋といって日月星を組み合わせ、昼夜隔てることなく城南宮のご神徳がおよぶ神紋なんだそうです。 切り株裏側には注連縄の巻かれた大きな杉の切り株がありましたが、残念ながら子細は解りませんでした。 平安の庭続いて、平安の庭。ここは平安貴族の寝殿造の邸宅の庭園倣い、池に段落ちの滝と遣水が注いでいます。 曲水の宴この庭の遣水を使って有名な曲水の宴が行われます。 城南宮神苑 いったん外へでて、神苑の南へ。 室町の庭室町の庭です。雄滝、雌滝、三尊石、礼拝石、蓬莱島など室町時代の庭園様式で作られた地泉回遊式庭園です。 城南宮神苑 楽水軒という茶席があります。 城南宮神苑の鯉立派な錦鯉。人を見ただけで寄ってきます。 城南宮神苑 その横の桃山の庭。大きな刈り込みの前に広がる芝生や蘇鉄が安土桃山の豪壮な気風を反映しているとか。 城南宮神苑ひと月前には華やかだった藤の花や有名な紅枝垂れ桜もこの通り。 城南宮神苑カキツバタでさえも花は散っていました。 城南宮神苑最後に城南離宮の庭。ここは鳥羽離宮の風景と建物を石組で表した枯山水の庭園です。 城南宮神苑 源氏物語 花の庭城南宮神苑 花の庭、次回は早春梅の花咲く頃に行くつもりです。
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2007年06月02日(Sat)▲ページの先頭へ
鳥羽離宮跡を巡って 後編
鳥羽離宮跡以前に歩いた鳥羽離宮跡、その後編です。

鳥羽離宮は平安時代後期に白河上皇が京都の南区鳥羽、現在の南インターあたりに造営 した離宮です。

あの桂離宮や修学院離宮から更に数百年前の建物ですから、すでに形はなく、当時の遺跡が分散して残っています。

城南宮最初に城南宮へ行ってみました。このあたりの町名、鳥羽離宮町が示すように城南宮も鳥羽離宮と無関係ではありません。また当時は城南(せいなん)離宮ともよばれたのだそうです。

延暦13年(794)桓武天皇が平安遷都のあたり平安京の守護神とされ官社となりました。その後、鳥羽離宮が登場するのですが、城南宮を敷地内に取り囲むように造営され、鎮守社として祭られたとされています。 浄菩提院塚陵墓参考墓地です。

城南宮を出て、東側のラブホテル街に金剛心院があったとされています。金剛心院は以前紹介した田中殿、鳥羽上皇の皇女八条院のために建てられ御所附設した建物で、それにちなんでかたくさんの塚があります。 後宮塚陵墓参考地後宮塚陵墓参考地、中宮塚陵墓参考地、小さな陵墓ですがすべて宮内庁の管轄でした。 鳥羽離宮跡公園次に一号線を渡って、鳥羽離宮跡公園へ行きました。 鳥羽離宮跡公園ここは鳥羽離宮の証金剛院、南殿のあった場所、発掘作業終了後、鳥羽離宮跡公園として利用されています。ちなみに幕末の頃は鳥羽伏見の戦いの舞台でした。 秋の山公園の北側には、離宮の築山跡の遺構と考えられる「秋の山」が残っています。平家物語等に登場する「秋の山」、対になる「春の山」は城南宮神苑にあります。 秋の山鬱蒼とした人工の小山を行くと、 秋の山大きな石碑がたっています。鳥羽伏見戦跡碑は戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見の戦いを記念し、明治45年2月、有志によって建立され小牧昌業の撰文、小田得多の筆による碑です。 少年野球でにぎわう鳥羽離宮跡公園を後に、 最後に鳥羽のつくり道を見に行きました。当時の道、平安京の朱雀大路の南端、羅城門に通じています。 小枝橋を渡ると、道の左手にガードレールの陰に隠れるようにしてここにも鳥羽伏見の戦いの石碑がありました。 平安時代の鳥羽離宮跡、幕末の鳥羽伏見戦跡碑、一見、無関係に思えることも、どちらも長期にわたり京都が日本史の中心であったことを私に指し示す貴重な宝物です。


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2007年05月29日(Tue)▲ページの先頭へ
雨後、在水路閣上
雨後、在水路閣上雨上がりの朝、水路閣の上を散歩してみました。 雨後、在水路閣上紅葉で美しい南禅寺のまだまだ蒼い楓も種子を落とす準備中。 雨後、在水路閣上昔は、体育の授業で水路閣から哲学の道を毎週のように歩かされたのですが、ずいぶん水路閣の上を歩くのはご無沙汰となりました。 雨後、在水路閣上時代が変わったのか、こんな立て札も。昔はよく大口バスを釣りにきたのです。 雨後、在水路閣上琵琶湖から山科を経て北へ向かって流れる水路閣の疎水、上には手すりがありませんが、夏は殊の外、涼しいのです。 雨後、在水路閣上雨粒が朝光に輝く水路閣。
黄金に輝いている景色が見れました。 雨後、在水路閣上水量が多いのも雨のせいかもしれません。北へはここから先いけませんでした。 雨後、在水路閣上アールヌーボー?
よく見ると鉄の柵にもハート形の細工がしてあります。 雨後、在水路閣上 仕方なく、東側、山科方面へ歩を進めます。 雨後、在水路閣上行き止まりですが、向こうの船溜まりに 雨後、在水路閣上関西電力蹴上発電所が見えています。 雨後、在水路閣上このあたりのたまり、最も魚がよく釣れたのを覚えています。 雨後、在水路閣上水力発電所へ疎水を送る巨大な送水管(ペンストック)。 雨後、在水路閣上田辺朔朗の銅像。

明治初期の文明開化の時代に弱冠23歳で、京都に琵琶湖疏水を開通させた人物というのは周知の通りです。

横には明治35(1902)年、工事犠牲者慰霊のため、田辺朔郎がこの地に自費で弔魂碑を建立した石碑があります。
「一身殉事萬戸霑恩」(いっしんことにじゅんじばんこおんにうるおう)の銘と,裏面に犠牲者17名の氏名が刻まれています。 雨後、在水路閣上戻って、南禅寺塔頭、南禅院から降りて帰りました。写真は南禅院の鐘楼です。

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2007年05月28日(Mon)▲ページの先頭へ
淀城を巡る冒険 (後)
淀古城徳川二代秀忠の建てた淀城址を見た後、
豊臣家の淀城址を是非見たいと思い、京阪淀駅から五〇〇メートルほど離れた妙教寺にある淀城址へ向かいました。 淀古城このあたり納所(のうそ)周辺にはいくつもの堀がありますが、すべて桃山時代の淀城の堀跡だと思われます。 淀古城こちらが妙教寺、入り口が路地になっていて結構解りづらいです。

淀古城妙教寺は日孝上人を開山とする法華宗真門流のお寺です。 淀古城山門をくぐっても秀吉の建てた淀城址の遺構は一切ありません。

最近の発掘調査で、秀吉の作った淀古城は天守閣があり、城内に城下町が作られたことも分かっています。 淀古城こちらが寺に建てられた唯一の淀城に関する碑です。

納所にあった城を豊臣秀吉が淀君のために修築したのが古淀城で、文禄3年(1594)に廃城となっています。この石標は,妙教寺が淀古城区域の南端に位置すること、および同寺附近が鳥羽伏見戦で激戦地になったことを示すものと書かれていました。 淀古城例にもれずここも、幕末は鳥羽伏見の戦いの主戦場になっており、本堂には当時の砲弾の跡や砲弾自体残っているらしいのですが、拝観は出来ませんでした。  淀古城400年前の巨大な日本の城を作るのに当時大変な人力と費用がかかったと思われますが、破壊するのはいとも簡単なのは、日本に残る城跡の多さからうかがい知れます。 与杼神社淀古城よ、貴方もかと思いにふけりながら、最後に淀の地名の元ととなった京阪淀駅前の与杼神社(よどじんじゃ)を参拝しました。 与杼神社

以下は京都市の駒札から引用

豊玉姫命・高皇産霊神・速秋津比売命を祀り、古くは、淀姫社、又は水垂社とも呼ばれていた。 社殿によれば、応和年間(661−64)僧千観内供が、肥前国(佐賀県)河上村の淀大明神を勧請したことに始まると伝えられている。当初、水垂町に祀られ、桂川の水上運輸の守護神として人々から崇敬されていたが、明治33年(1900)淀川改修工事のためここに移された。 境内には、本殿、拝殿、神輿倉をはじめ日大神社、長姫社、川上社、豊丸社などの各社殿が建てられている。中でも拝殿は、慶長12年(1607)に建築されたもので、国の重要文化財に指定されている。 毎年10月に行われる例祭は「淀祭」と呼ばれ、多くの人々で賑わう。 与杼神社石の鳥居をくぐってまず目にはいるのは参道の両脇が駐車場になっている点。 与杼神社一重入母屋造、こけら葺の拝殿。 与杼神社与杼神社本殿にお参りして終了です。

右側には、朱塗りの鳥居と末社があり、左には神輿庫がありました。現在の本殿は昭和50年の焼失により昭和55年3月に建立されています。 与杼神社最後に
桂川・宇治川・木津川の三川が合流する水陸の要所であるこの淀の地にある史跡の数々、伏見区民のどれほどの人が知っているでしょうか。

また淀を訪れてみて、一言で伏見区と言っても東山区と異なり、稲荷から醍醐、竹田、淀まで広いのを痛感しました。

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