京都人による京都案内

京都人が京都の良きところを紹介します。たまに他府県も混じります。




[PR]



2006年11月17日(Fri)▲ページの先頭へ
新風館のクリスマスイルミネーション
新風館のクリスマスイルミネーション 妻を車で迎えに行った時、烏丸通りを通ったら、新風館(旧電電公社)でも、クリスマスイルミネーションが始まっていた。 新風館のクリスマスイルミネーション 車を止めて中に入ってみる。 新風館のクリスマスイルミネーション そこはディズニーの世界が広がっていた。 新風館のクリスマスイルミネーション ステージの上の大きなクリスマスツリー。 新風館のクリスマスイルミネーション 新風館のクリスマスイルミネーション 新風館のクリスマスイルミネーション 新風館のクリスマスイルミネーション 二階にも昇ってみる 新風館のクリスマスイルミネーション 新風館のクリスマスイルミネーション 三階にも。 新風館のクリスマスイルミネーション メリーゴーランドの形をした屋根。 新風館のクリスマスイルミネーション
ほんまもんの清水焼を売る店









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







黄桜カッパカントリーのイルミネーション
キザクラカッパカントリーのイルミネーション 昨日の夜、伏見の龍馬通りを通ると黄桜酒造のカッパカントリーのイルミネーションが始まっていたのでカメラで撮りました。 キザクラカッパカントリーのイルミネーション 今日は本業が忙しいのでこちらを字幕無しでご覧下さい。 キザクラカッパカントリーのイルミネーション キザクラカッパカントリーのイルミネーション キザクラカッパカントリーのイルミネーション キザクラカッパカントリーのイルミネーション キザクラカッパカントリーのイルミネーション 黄桜カッパカントリーのイルミネーション
ほんまもんの清水焼を売る店









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月15日(Wed)▲ページの先頭へ
知恩院 夜のライトアップ
知恩院 夜のライトアップ 昨日、夜の店番を抜け出して知恩院さんのライトアップを見てきました。 知恩院 夜のライトアップ こちらが有名な三門です。本日昼間は中を特別に拝観できましたが写真はいつも不可となっています。 知恩院 夜のライトアップ 照明が違うのかこちらで写した写真はすべて黄ばんで撮れました。 知恩院 夜のライトアップ こちらが国宝 三門の下からのアングルです。 知恩院 夜のライトアップ 有名な知恵の道こと女坂を上がっていきます。男坂は通行止めになっています。 知恩院 夜のライトアップ 有名な知恩院の梵鐘は見れませんが、御影堂、方丈庭園、友禅苑などが見れます。 知恩院 夜のライトアップ 国宝の巨大な御影堂です。法然さまを祀る知恩院の本堂です。 宝佛殿 宝佛殿です。 経蔵経蔵です 知恩院の御影堂角度を変えた御影堂。夜は一際大きくみえます。 知恩院・方丈庭園そのあと、玉淵坊作の方丈庭園へ 行きました。 知恩院・方丈庭園 小方丈、大方丈には、慈鎮石や三代将軍家光、昭和天皇お手植えの松などもありましたがどれがどれか解らず仕舞い。  徳川権現堂 徳川権現堂です。知恩院は浄土宗徒であった徳川家ゆかりの寺院で、京都に置ける二条城とならぶ徳川家の拠点でしたので権現堂があります。 友禅苑 最後に宮崎友禅の友禅苑に入りました。

ここ友禅苑は京都を代表する伝統産業となった友禅染の始祖とされる宮崎友禅が知恩院近くに暮らしていたことを記念して生誕300年の1954年に造園されました。 補陀落池に浮かんだ高村光雲作の聖観音菩薩像補陀落池に浮かんだ高村光雲作の聖観音菩薩像です。 これが紅葉の時期だったらと思うと残念です。 知恩院・三門 以上で終了です。



ほんまもんの清水焼を売る店









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月14日(Tue)▲ページの先頭へ
長楽館
長楽館 京都の円山公園脇にたっている洋館 長楽館です。正式名称は 旧村井吉兵衛京都別邸といい、明治の煙草王こと 村井吉兵衛氏の別荘として、明治42年(1909)年に建てられました。現在では京都市指定有形文化財に登録されています。 長楽館パリやウィーンあたりなら何処でもありそうな建築物ですが、古都京都では目を引きます。外観はルネッサンス様式。1階部分が石張り、2階及び3階部分がタイル貼りになっています。 長楽館 中はレストランになっていて当時のままの状態で残されているそうですが、残念ながら入ったことはありません。 長楽館 中庭はロータリーになっており、写真では写っていませんがアーチ形の門の装飾も凝っていました。

こんな家一度で良いから住んでみたい!


ほんまもんの清水焼を売る店









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月13日(Mon)▲ページの先頭へ
霊山 正法寺
正法寺 京都に観光に来て、ここを訪れずして帰るのは不幸に思う。

今日は京都人の私が市中が一望できる穴場寺院 霊山正法寺を紹介します。

ここは観光客で賑わう清水寺や高台寺ほんの近く、地域民の心静まる隠れ場所、本当は教えたくないのですが。 正法寺 正法寺さんは東山 霊山の鳥居から参道を更に上がったところにあります。ホテル霊山あたりからでももうこの景色が見えていますが、山頂からは遙かに素晴らしい眺望が望めますので階段を登ってみてください。 正法寺ただし素晴らしい眺望を眺めるにはハードワークをこなす必要があります。 正法寺 二年坂から上がると115段。鳥居門前からも相当数の階段が待っています。 正法寺ようやく山門が見えてきました。 正法寺霊山 正法寺は平安遷都の頃の延暦年間に最澄が創建した寺院です。当初は霊山寺と号していたが、 室町時代に入って、国阿上人が入山して正法寺と改名したとされています。往時は数十の塔頭が並ぶ大寺院でしたが、清閑寺同様、今は本堂などわずかな建物が残っているだけです。 正法寺 山門の先にもまだ階段が続いているのが解ります。 正法寺 ラストスパートです。私は二年坂から上がってきたのでもう青息吐息。 正法寺 参道の途中にある分かれ道です。こちらを通っても本堂へと上がることができます。 正法寺 登り切って振り返ると下には山門が、 正法寺 目前には素晴らしい青空と京都の町が広がっていました。 正法寺 京都タワーはもちろん。 正法寺 本願寺の修復中の御影堂(ごえいどう)も望めます。西かな、東かな、ちょっと解りません。 正法寺 どんな建物が見えるかは御自身の目で確かめてください。

久しぶりに登った正法寺の階段ですが、じつは案外、立木さんや四国の金比羅のほうが数段すごかったかもしれまん。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







清水寺秋の夜特別拝観2006
清水寺秋の夜特別拝観2006 昨日11日(土)から始まった今年の夜の清水寺ライトアップですが、私の夜景の撮影練習がてら行って参りましたので御高覧ください。 清水寺秋の夜特別拝観2006 こちらが仁王門こと通称 赤門です。平成15年に修理され、きれいな朱塗りの門に成りました。軒下にある扁額は平安時代の名書家 藤原行成の筆で清水寺と書かれています。 清水寺秋の夜特別拝観2006 左手に赤門、右手に西門と三重の塔が美しくライトアップされています。真ん中に走る一本の青い筋は観音様の慈悲の光です。青い光は西方浄土を指し示しているのと、京都市中に向けてあまねく照らすようにあてられています。 清水寺秋の夜特別拝観2006 随求堂(ずいぐどう)の胎内めぐりですが、今日は人がすごかった。カップルにお勧めです。 清水寺秋の夜特別拝観2006鐘楼もライトアップされ、昼間より一層赤みが引き立って見えます。 清水寺秋の夜特別拝観2006開山堂ことライトアップされた田村堂です。謡曲「田村」に謡われている田村堂は清水寺創建の坂上田村麻呂夫妻の像と清水寺元祖の行叡居士こと開山の延鎮上人が祀られています。 清水寺秋の夜特別拝観2006 田村堂、経堂を経て三重塔を写して見ました。経堂がライトアップされていないので三重塔が引き立ちます。 清水寺秋の夜特別拝観2006 北総門へ続く道もライトアップされていました。北裏側の月照・信海兄弟上人の歌碑と西郷隆盛の詩碑もライトアップされています。その奥が成就院ですが、本日はまだ夜間拝観をしておりません。 清水寺秋の夜特別拝観2006 こちらが三重塔です。ライトアップされているので昼間より迫力があります。 清水寺秋の夜特別拝観2006 見下ろすと門前会による券売所や赤門、その向こうにも京都の町が見えます。 清水寺秋の夜特別拝観2006 本堂は思いの外、人で一杯。有り難いことです。写真は撮れませんでした。こちらは奥の院から撮した清水寺の本堂。ベストスポットです。 清水寺秋の夜特別拝観2006 清水寺の舞台を支える柱もライトアップ。 清水寺秋の夜特別拝観2006 子安の塔のほうへ回って帰りました。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月12日(Sun)▲ページの先頭へ
仙洞御所
仙洞御所 京都大宮御所からの続きです。 仙洞御所紅葉橋 北池と南池の掘割にかかる紅葉橋を渡ると、 仙洞御所紅葉山 紅葉の木々で一杯の紅葉山に入ります。仙洞御所は京都御所と違い、お庭の拝観が中心です。紅葉山が赤く染まる頃にぜひ見に行ってみてください。 仙洞御所 更に汀線に沿って歩みを勧めるといよいよ南池の二つの中島が見えてきます。 仙洞御所 見事な藤棚が設けられた八ツ橋です。この八ツ橋は中島と中島を短い石橋でつなぎ、東岸にかけて、反橋が渡されるなど、趣向の異なる橋が渡れるように工夫されています。 仙洞御所 反橋を渡った所にはかつては滝殿、釣殿、鑑水亭などの建物があったそうですが、焼失でいまはもう見られません。 仙洞御所 根っこを見ると年代を重ねているのがよく分かります。いつかこの藤が枯れてしまわないように根のすぐ横にも新しい藤を植えているとのことです。 仙洞御所 水戸藩より献上された珍しい形の寒水石灯篭(雪見灯篭)です。 仙洞御所 南側一帯には美しい州浜が広がっており、楕円形や平たい粒の揃った11万1千個の石が池の中程まで緩やかに敷き詰めてあります。玉石を敷き詰めたものは京都御苑にもありますが、柔らかな広がりを感じさせる点においてはここ仙洞御所に勝るものは無いと言われています。 仙洞御所 余談ですが、この石一つにつき、米一升の約束のもと、交換したんだそうで、献上の際は桐箱に入っていたとか。最近はカラスが来てひっくり返すので釣り糸を張ってありました。 仙洞御所・雄滝 また、対岸には自然石と切り石を組んだ出島の護岸が見事に眺められます。紅葉の下にはとうとうと布落ちする雄滝、幅80cm、高さ180センチなんだそうです。 その右手には三畳敷きの大きな平石が見られ、こちらは草紙洗の石(そうしあらいのいし)と呼ばれているんだそうです。こちらには大伴黒主と小野小町の有名なエピソードがあります。

ともに平安時代 六歌仙になっている大伴黒主が小野小町を妬み、宮中で歌合わせがあった折に、小町の歌が万葉集に載っていると訴えたが、小町は、その万葉集をここで水で洗い、この歌が最近書き加えられたことを証明し、身の潔白をはらした場所といわれています。 仙洞御所 更に池に沿って回っていくと悠然台という高台が見えます。 古墳跡 こちらからは後水尾上皇が祇園祭を登って見ていたとか?伝えられています。 写真はその近くの古墳跡です。 万葉の歌人柿本人麻呂を祀った小社 万葉の歌人柿本人麻呂を祀った小社がありました。 氷室氷室です。ここで平安時代、冷やしたり氷を作ったりして光源氏が食べたと伝えられています。 醒花亭 醒花亭が見えてきました。 醒花亭 ここ醒花亭は庭園の最も南に位置にあり北面している茶亭です。

南池を一望する格好の場で、今はない止々斎、鑑水亭とともに回遊式庭園における三店の一つとされてきました。 醒花亭正面の玄関には廂を付け出し、腰高障子をいれ、その右は奥に四畳半の書院、手前には五畳の入側(縁側)を取り、書院と入側の境に建具を入れないところが特異といわれています。 醒花亭 扁額には

「夜来月下に臥し醒むれば花影雲飛して人の襟袖に満つ雅なること魄を氷壺に濯ぐが如し」

と書かれています。 醒花亭 醒花亭の醒花はこの李白の詩から取られたもので、入側の東、鴨居の上に拓本の額として掲げられています。額の字は中国明時代の文徴明(ぶんちょうめい)の筆です。この建物は煎茶で言う三店式(酒店、飯店、茶店)ともいい、いずれの場合も利用できるように作られています。 朝鮮灯籠 東の庭には「ふくろう」の銘のある手水鉢を据え、飛石を配し、銭型の蹲いと加藤清正献上の朝鮮灯籠が植え込みに植わっていました。 仙洞御所・八ツ橋 そしてまた、先ほどの八ツ橋を見ながら汀線を回遊していくと 又新亭 最後に又新亭という茶室が待っています。 又新亭 又新亭は明治17年(1884年)に近衛家から献上された茶室です。もともとこの場所には修学院離宮から移築した茶室 止々斎があったそうですが、火災により焼失しました。 又新亭 茅葺きと柿葺きの屋根と大きな丸窓を備えた茶室で、中門により内露地と外露地に隔てられています。四つ目垣で囲むことで結界を設け、ここだけは侘茶の小天地を形づくっています。 又新亭 亭の門外に外腰掛があり、紅葉山裾野の蘇鉄山と相対しています。 又新亭 こちらの又新亭は雅子様が先日入られたそうですが、写真のように刺のある四つ目垣を見るといかにも女人御所らしい茶室になっているのが解ります。 仙洞御所最後に州浜に沿って直線に広い道があります。この道は桜の馬場と呼ばれ、延享4年(1747年)に桜町上皇が歌人冷泉為村に選ばせた仙洞十景の一つ、醒花亭の桜として挙げられています。

当時の仙洞十景は寿山の早苗、古池の山吹、茅葺の時雨、神祠の夜燈、滝殿の紅葉、釣殿の飛蛍、鑑水の夕照、悠然台の月、醒花亭の桜、止々斎の雪です。 大宮御所御車寄 最後にもう一度 大宮御所に戻って終了です。

仙洞御所を訪れてみて、返す返すも日本の風土を活かした木造の建築というものははかない物だと思いました。と同時に風流人として名高い後水尾天皇に対して更に興味を深めました 。

当時としては異例、宮家ではなく、徳川秀忠の娘 和子(後の東福門院)を妻にもらうのですが、幕府と天皇の間の軋轢、父子の不和に嫌気がさして上皇になり、仙洞御所と修学院離宮に移り住みます。今回のように彼ゆかりの地どこを訪れても彼の多芸ぶりの片鱗が随所に込められていました。


ほんまもんの清水焼を売る店









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月11日(Sat)▲ページの先頭へ
京都大宮御所
京都大宮御所の正門先日、京都御苑にある大宮御所と仙洞御所を拝観してきました。

嘉永7年(1854年)の大火で御所と共に仙洞御所はほとんど無くなっておりますので、現在ではその2つの御所を隔てる塀を取り除いて一つの敷地として拝観できます。写真は拝観者入り口となっている大宮御所の正門です。 京都大宮御所 大宮御所は別名、女人御所と言い、皇太后の御所です。

現在築地堀内北西隅にある大宮御所は慶応3年(1867年)に英照皇太后(孝明天皇の女御)のために女人御所の跡に造営されたものです。

英照皇太后が東京に移られた後は、御常御殿のみを残して整理され、現在に伝えられています。 京都大宮御所御車寄 こちらが京都大宮御所の御車寄です。大宮御所の正門にあたり、現在も天皇皇后両陛下や外国元首等が入洛された際には使用されています。

古くはダイアナ妃が最近では皇太子妃雅子様がお泊まりになられたようです。 大宮御所御車寄 御車寄の屋根は三層に優美な姿で、女人御所らしい造りになっています。 京都大宮御所御常御殿京都大宮御所 御常御殿です。 大正年間に内部を洋風に改め、周りにガラス戸がはまっています。前の庭は紅梅、白梅、竹林、松が植樹され松竹梅の庭と言われています。 京都大宮御所御常御殿の屋根 余談ですが、最近の御所にはとてもカラスが多いです。集団で来て悪さをするので困っているとの話でした。拝観中もちらほらカラスを見かけました。 松竹梅の庭松竹梅の庭です。青々とした竹と松の緑の競演。 御庭口 その次に、小さな御庭口門をくぐると仙洞御所にいったん入ります。 御庭口ふと、横を見ると仙洞御所の塀の礎石が列になって残っているのがわかります。 大宮御所・北池北池です。 現在の仙洞御所の庭園は2つの大きな池を中心にしています。北池、南池がそれで、おおむね北池は大宮御所の庭、南池は仙洞御所の庭だったのです。 庭園 庭園は、寛永4年(1627)小堀遠州が作事奉行として造営したとのことですが、造営などの都度に改変、拡張されています。

その間に2つの池は堀割によって池水が通じ合うようになったため、緊密な一体感を持つようになっています。これらの改修のため、後水尾上皇のために造営された当初の姿をほとんど留めていません。 東山を借景に取り入れれた地泉回遊式庭園を右回りに回ると、北池との境に六枚橋が架かる古びた入り江の阿古瀬淵(あこがせふち)があります。 阿古瀬淵 阿古瀬淵(あこがせふち)の阿古瀬(あこがせ)とは紀貫之の幼名 阿古久曽(あこくそ)がなまったものだそうです。この北のこんもりとしたところに、平安時代、紀貫之の邸宅があったと石碑が建てられいます。 土橋 土橋を渡ると、 雌滝 次に雌滝が見えてきます。雌滝は滝というよりも遣水で、緩い傾斜面を曲がりながら北池に流れ込むんでいます。雌滝といえば、南池には雄滝があります。 鎮守社の朱色の垣緩やかな汀線に沿って東へ進むと紅葉山が土提上には鎮守社の朱色の垣が見え隠れしています。 京都大宮御所・北庭 仙洞御所、南庭につづく



ほんまもんの清水焼を売る店









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







三宅八幡神社
三宅八幡宮 京都で虫八幡と呼ばれる子供の夜泣き、かん虫に御利益のある三宅八幡宮へお参りに行ってきました。

三宅八幡宮は鞍馬行きの叡山電鉄に乗り、八幡前駅下車、徒歩2分のところにあります。 三宅八幡宮 三宅八幡宮(駒札には三宅八幡神社と書かれています)の歴史は古く、話は推古天皇の頃に遡ります。

遣隋使の小野妹子がその行程の途中、筑紫と云うから今の九州で病に倒れたおり、宇佐八幡宮で平癒を祈願したらたちまち病も治ったので、帰京後、八幡神を勧請したと伝わります。

祭神は応神天皇で元は三宅八幡駅との中間地点付近にある伊多太神社に祀られていたけれど、伊多太神社は祟道(すどう)神社の末社となるなどの変遷を経て、現在の地に移ったとされています。 三宅八幡宮 なお、この神社では鳩を神のお使いとして祀っており、境内の至る所に鳩のお印が見かけられます。 八幡宮前の狛犬ならぬ狛鳩です。 三宅八幡宮一見、普通の清め水 ですが、 三宅八幡宮 赤い幕にも鳩の絵が描かれています。 三宅八幡宮 屋根に止まっているのはホンマモンの鳩ではありません。 三宅八幡宮 特別に作られた珍しい鳩瓦です。 三宅八幡宮 こんな可愛い仲良し瓦も置かれていました。 三宅八幡宮この地には場所柄、比叡山の地下水が湧き出ているとのことです。 井戸の井桁は市川團十郎が奉納したもので成田屋の紋が入っています。 三宅八幡宮 三宅八幡宮の拝殿。 三宅八幡宮 絵馬堂です。古の絵馬も鳩にちなんだ物が奉納されていました。 三宅八幡宮 絵馬堂脇にかけられた絵馬ももちろん一対の鳩が描かれています。 三宅八幡宮 本殿脇、燈籠にはいくつもこんな小さな鳩が置かれています。鳩って解りやすく抽象化するとこんな鮮やかな青と赤の鳥になるんですね。 三宅八幡宮 今は使われなくなった錆びた鐘らしきオブジェ。こちらにも鳩が不自然なむきで付いている。 三宅八幡宮 また本殿脇には一際大きな燈籠と手水鉢が置かれているが、 三宅八幡宮 もちろん、鳩の彫りを入れるこだわり。 三宅八幡宮ちょっと見、アヒルにも見えるが。 三宅八幡宮このほかにも三宅八幡宮には鳩餅という鳩の形をした三色のおしんこのような餅が売られています。 聖護院製となっていましたが、残念ながら売り切れでした。 三宅八幡神社 最後に鳩の幕がかかった本殿に参拝して終了です。 三宅八幡神社 次は京のウサギ神社へ参ります。


ほんまもんの清水焼を売る店









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月08日(Wed)▲ページの先頭へ
角屋
角屋 島原界隈散策、最後はもちろん角屋です。江戸時代の揚屋建築唯一の遺構として知られる重要文化財建造物です。

敷地面積は七百坪あるんだそうです。これに匹敵するのはもう祇園の一力ぐらいしか無いのでは。

揚屋は今でいう料亭で、太夫や芸妓を置屋から呼び、宴席でもてなす場でした。また置屋は芸者や遊女を抱えている家のことです。 角屋 この間口の大きさをご覧下さい。京都を訪れる皆様、ここは絶対行って下さい。 長州藩士久坂玄瑞謀議の角屋 角屋の前には、長州藩士久坂玄瑞謀議の角屋という石碑が建っていました。 角屋 門をくぐり、弁柄が施された独特の赤い土壁に囲まれた石畳を進んでいくと、 角屋角屋の玄関にあたる中戸口に出ます。 新撰組の刀傷新撰組の刀傷が残っています。ちなみに新撰組組長 芹沢鴨は角屋での遊宴を楽しんだその夜に土方歳三に暗殺されました。 角屋の暖簾こちらは角屋の家紋が入った暖簾です。 ガンダムに出て来そうな複雑な形状の家紋です。 角屋中にはいると大きな大所があります。その広さ五十畳です。

比較的凝った階上の座敷とは一変し、極めて素朴な民家風に造られており、特に箱階段や帳場などは町中の商家とまったく変わりません。 角屋 角屋 この竈の数をご覧下さい。 氷室 昔の氷室、冷蔵庫だそうです。 角屋の坪庭 長い廊下を渡ると坪庭があり、 角屋・松の間43畳の大広間、松の間に到着です。

これでも相当広いですが、前川邸の146畳の間とはいったいどんなもんだろうか。 見事な松は「臥竜松」と名付けられています。松の間から続く渡り廊下。長い軒先は庭を柱で邪魔しないよう一本柱でてんびんにして釣り上げているんだそうです。見事な庭には三つの茶室があります。 部屋の襖絵は「桐に鳳凰の図」、床の間の掛け軸は「寒山拾得図」など、 その他にも、「網代の間」「緞子の間」「扇の間」などあります。二階は有料で撮影も出来ませんが、「青貝の間」は異国情緒たっぷりです。全面に螺鈿を施し、薄暗い中、埋め込まれた貝が青く光る様子は幽玄と幻想そのもの、ぜひご覧下さい。



ほんまもんの清水焼を売る店









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







神光院 蓮月ゆかりの寺
神光院 京都市北区西賀茂車庫近くにある西賀茂の弘法さんこと神光院へ行ってみました。ちなみに地元の人にはじんこいんさんと親しまれるこの寺の後ろで五山の送り火、舟形が灯されます。 神光院 神光院(じんこういん)は弘法大師ゆかりの寺です。江戸時代末期の女流歌人太田垣蓮月尼が隠れ住んだことでも有名です。 神光院京都の町中の観光寺院ではないので人気も無く静かです。 神光院 境内は清掃が行き届いております。 神光院 本堂は上賀茂神社の一宇を再興したもので、弘法大師自作と言われる自像が安置されているそうです。毎月21日はお大師さんの日、また毎年7月21日と25日には疫病除けの祈祷会が行われています。 神光院 蓮月が住んでいた茶所の庵が残されており、庵の手前に「蓮月尼旧栖の茶所」という石柱が立てられてました。 神光院 太田垣蓮月尼の歌碑です。

ただならぬ枕の草に虫鳴ひて秋あはれなるわが庵かな

暮れぬとて帰る家路もそこはかと夏草しげし西賀茂の里

願くはのちの蓮はちすの花の上へに曇らぬ月を見るよしもがな

蓮月
神光院最後に神光院ゆかりの蓮月を偲ぶ与謝野晶子の歌を紹介します。

道たまたま蓮月が庵のあとに出でぬ雨に相行西の京の山


                                      

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月07日(Tue)▲ページの先頭へ
真如堂
真如堂 くろ谷さんの帰りに、京都の隠れた紅葉の名所 真如堂へ行ってみました。 真如堂 真如堂は 正式には真正極楽寺 と呼ばれ、その歴史は千年を越え数ある洛中の古寺の中でも由緒ある寺です。開基は延暦寺の僧、戒算(かいさん)上人で、平素は解りにくい場所にあり静かですが、紅葉のシーズンはすっごい人出となります。 真如堂訪れた日は残念ながらここも青紅葉でした。ここの紅葉は京都で最高ちゃうかなあ。 真如堂 真如堂のシンボル三重の塔です。11月末にはこの青は確実に赤に変わります。 真如堂本堂の前に立つ樹齢300年、菩提樹の木です。 真如堂 真如堂の名前はこの本堂が真如堂というところから来ています。 真如堂 本堂の右手に回ってみました。

真如堂は江戸時代の再建です。秘仏の阿弥陀如来像が安置されている本堂は、巨木を使った柱の豪壮さと、中国風の人物などが描かれた欄間の彫刻の精緻さが同居するすばらしい空間です。 真如堂歴代天皇や将軍・時の権力者の厚い信仰を集めたことでも知られ、後醍醐天皇が寄進した舎利塔や、足利将軍義政が寄進したルソン(フィリピン)の壷などの寺宝が展示されていました。 真如堂 今回は時間が無くて行けませんでしたが次回は名園の誉れ高い涅槃の庭を訪れます。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







くろ谷 金戒光明寺
くろ谷 金戒光明寺 久しぶりに黒谷さんへ行ってみました。

京都では黒谷さんの愛称でよばれているこの寺は正式名は金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)といい京都市左京区黒谷町にある浄土宗の寺院です。 写真はくろ谷の高麗門です。 くろ谷 金戒光明寺広大な敷地の黒谷は幕末の頃に京都守護職 松平容保の会津藩の本陣と新撰組の屯所が置かれていたことでも有名で知恩院と並ぶ軍事拠点とされていました。 くろ谷 金戒光明寺軍隊が配置できるようにとおよそ寺らしからぬ城構えの広い境内を歩くと 有名な三門(山門)に到着です。 くろ谷 金戒光明寺三門は 応仁の乱で焼失後、万延元年(1860)完成。京都府指定文化財となっています。

楼上正面に後小松天皇による「浄土真宗最初門」の勅額がかかっており、楼内の階上には釈迦三尊座像と十六羅漢の像が安置されています。

現在ではよく時代劇のロケ地としてよく使われています。 勢至丸この要塞としての機能をもつ黒谷ですが、創庵したのは勢至丸こと法然上人です。

比叡山で天台学を学んでいたが、疑念をもち比叡山を降ります。その比叡山西塔の黒谷に倣って承安5年(1175)、この地に あった禅舎・白河禅房(しらかわぜんぼう)を譲り受けて草庵したのが黒谷の始まりと伝えられています。 鐘楼を経て、阿弥陀堂、御影堂 更に急な階段を上っていくと鐘楼を経て、阿弥陀堂、御影堂と続きます。現在阿弥陀堂は修復作業中でした。 こちらが御影堂です。右側の大きな松は“熊谷よろいかけ松”といい、源平合戦で知られる熊谷直実が出家する際に、洗った鎧をこの松にかけたという言い伝えが残されています。 御影堂 正面の御影堂は大殿とも呼ばれますが、昭和9年に火災で焼失し、昭和19年に再建されたものです。内陣には法然上人の御影が祀られています。 宿坊 武家屋敷のような黒塗りの宿坊を越えると、 極楽橋と蓮池 極楽橋と蓮池があります。

極楽橋は石の橋で、1641年寛永18年造、京都の社寺では最も古い石橋とされていました。

また蓮池は、源平の戦いで有名な熊谷直実が出家を決意した際に兜を洗ったと伝えられ、「兜の池」との別名を持ちます。 黒谷墓地 橋を渡ると広大な墓地になっています。ここ黒谷墓地は西大谷、東大谷と並ぶ、京都三大墓地の一つです。

熊谷直実、平敦盛、山中鹿之助、田中吉政、春日局、崇源院(徳川秀忠夫人)、国学者山崎闇斎、茶人藤村庸軒、箏曲開祖八橋検校、松平忠長ら名だたる有名人の墓があります。

振り返ると遙か向こうに京都市中が見渡せます。 文殊塔 更に急な階段を上ると坂の頂上には三重の塔である大きな文殊塔が待っています。 文殊塔塔内に安置されている文殊菩薩と脇士の像は運慶作で、日本三文殊の一つに数えられてるとのことです。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







五条大橋 牛若丸と弁慶
五条大橋平安時代、 弁慶と牛若丸が出会ったといわれている五条大橋に来ています。

大きな擬宝珠が並ぶ五条大橋ですが、現在の橋は秀吉の時代に架けられた物で、昔話に出てくるのは現在の松原通りにかかる橋であったと言われています。 松原橋 こちらが一本北側の松原橋です。 五条大橋現在の五条大橋の欄干越しに遠くは比叡山が見えます。 五条大橋 現在の五条通りは京都の大動脈となっているので交通量が激しいんです。ちょうど真ん中のグリーンベルト地帯に牛若丸と弁慶の石像が飾られています。 五条大橋 物語では弁慶が五条近辺に現れては通行人から太刀を奪い取ること999本、あと一本盗れば千本目という時の夜、ここで牛若丸(後の源義経)と出会い、打ち負かされるとされています。なぜか牛若丸と弁慶ともに童子の姿です。 五条大橋 すぐそばには緑のきれいな小さな三角公園がありましたので入ってみると 五条大橋 なんとその名も 牛若ひろば。 五条大橋 歌碑がありましたが残念ながらだれの読んだ句が読めません。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月06日(Mon)▲ページの先頭へ
明智光秀の首塚
明智光秀の首塚東山区三条白川沿いには明智光秀の首を祀る光秀公祠があります。 明智光秀の首塚天正10年(1582)6月2日、主君である織田信長を本能寺に襲撃した明智光秀ですが、その十日後、13日には山崎合戦で秀吉軍に破れ、近臣とともに近江の坂本城に逃れる途中、小栗栖付近で土民に襲われ生涯を閉じます。 明智光秀の首塚 小栗栖郷で討たれた光秀ですが、首屍は後年になって、東山の梅宮町に住む能楽の笛師で、光秀の子孫と称する明智理右衛門という人が私宅に移したと言われています。 明智光秀の首塚小さな祠の中には明智光秀の木像が安置されていると写真が貼ってあるのみで中はカギかかっています。 明智光秀の首塚 首は白骨化して年々風化していますが、年一回の地蔵盆には壺の蓋があけられて丁重にお祀りされています。



京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







白峯神宮 サッカーの神様
白峯神宮御所近く上京区今出川通堀川東入 飛鳥井町にある白峯神宮へパープルサンガの残留祈願をかねて行ってみました。 白峯神宮 白峯神宮は和歌と蹴鞠の宗家であった飛鳥井家の邸宅のあったところで、その邸宅には鎮守の神として(鞠の精)を祀った精大明神があり、白峯神社創建後もその敷地内に置かれています。

神社の創建は明治元年。京都の中では最も新しい神社ですが、祭神は崇徳上皇と淳仁天皇で、明治天皇の勅願ということで社格は最上位に位置づけられています。 白峯神宮 鳥居をくぐり、更に正門をくぐると、 白峯神社 有名な白砂の鞠庭が見えてきます。

もともと平安時代に栄えた蹴鞠ですが、日本史においては中大兄皇子が藤原鎌足と蹴鞠を機縁に非常に親密な仲になり、以後、大化の改新へとつなげたこと、また平安末期の蹴鞠の名手・大納言藤原成通は、清水寺に詣でたとき、清水の舞台の欄干の上で鞠を蹴りながら何度も往復した史実が残っています。

なお、毎年4月14日、7月7日には「蹴鞠保存会」による蹴鞠奉納がこちらで行われています。 白峯神宮蹴鞠の碑です。

飛鳥井家は蹴鞠道の家であったところから、境内の末社に蹴鞠の神である精大明神が祀られました。近年、サッカー熱の高まりとともに球技の神様としての信仰されています。

明治36年に明治天皇のご下賜金により、有志による保存会が結成され、2003年に1百年目を迎え、その記念として蹴鞠碑が建立されています。 白峯神宮境内には全国のサッカーはもとより、各種球技の部員さんの絵馬が奉納されています。 白峯神社銘木、おがたまの木です。その名は招霊(おぎたま、霊を招くの意)が、なまったものとも言われるところから、神社の境内によく植えられています。

こちらは樹高約13mで一説では樹齢800年、京都では最大のもので、京都市指定天然記念物に指定されています。長い歴史が感じられるその風貌から、如何にも霊を招いて寿ぐような雰囲気が漂います。 白峯神社 その他にも白峯神宮にはたくさんの霊木が植えられています。右近の橘とくれば左近の桜です。正面から見たら右側に橘、左側に桜と逆に配置されています。これは、玉座から天皇が見られた左右の位置が正式な配置だからです。

これと同じものに、左馬と右馬、右京区と左京区があります。地図をみると右が左京区、左が右京区ですが、現在では京都人のだれもが気にしていません。 白峯神社 珍しい含笑花の木です。

その名のとおり慎ましく微笑んでいるような花を咲かせ、宋の李 網の含笑花の賦に「南方花木の美なるもの含笑に若くはなし」とあります。 白峯神社 こちらもまた珍しい三葉の松です。

三葉の松はその姿から「夫婦和楽・家内安全」を象徴して、その松葉は黄金色になって落葉し、身につけると「金運」のご利益があるところから別名「金銭松」ともいわれています。 白峯神社 鏡のように磨かれた廊下の神楽殿です。この神楽殿で執り行われる主な年中行事には以下のものあります。

4月14日 春季例大祭 淳仁天皇祭(蹴鞠)
7月 7日 精大明神祭 七夕祭・山城舞楽・蹴鞠・小町おどり
9月21日 秋季例大祭 崇徳天皇祭(薪 能)
11月23日 新嘗祭 御火焚・潜龍大明神祭・献茶
白峯神社 その他に境内には崇徳天皇欽迎之碑や平安の昔からの名水 飛鳥井、潜龍井があります。毎年11月23日に行われる献茶式にはこの名水を汲み上げて煎茶道方円流の宗匠がご奉仕され、奉献されお茶席が設けられます。 白峯神社 最後に白峯神社の本殿です。

最後に私も願掛けをして終了です。

パープルサンガがJ1になんとか残留しますように!


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月05日(Sun)▲ページの先頭へ
旧前川邸 新撰組屯所
前川邸 新撰組屯所 かつて新撰組屯所となっていた旧前川邸へ行ってみました。

こちらは新撰組が西本願寺に屯所を移すまでの約2年間、ここ前川邸と八木邸、南部邸など壬生の旧家に分宿して屯所としていたのですが、その中でも最も大きな屋敷で、多くの隊士が住んでいた場所です。 前川邸 新撰組屯所重厚な当時のままの旧前川邸、外観です。 現在は田野製袋所と個人宅となっており、残念ながら内部は非公開です。

2003年NHK大河ドラマ新撰組!が放映されるようになってから土日祝のみ開門され、土間で絵はがき等グッズが売られるようになっています。 前川邸 新撰組屯所当時の刀傷はもちろん、池田屋事件の前に古高俊太郎が五寸釘責めの拷問にかけた地下室、芹沢派で最後まで残った野口健司が切腹した出格子窓の部屋、 総長・山南敬助が切腹した八畳間、古高俊太郎を拷問に掛けたという地下室、近藤勇が落書きを残したとされる雨戸など。

八木邸を越える新撰組史の遺産が残っている邸宅です。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







島原界隈
島原界隈 京都には上七軒、先斗町、祇園甲部、宮川町、祇園東の5つの花街が現存していますが、このほかにもかつて江戸時代には島原という大きな花街がありました。昨日はそんなJR丹波口駅付近にある島原界隈を散策してみました。(京都検定を目指している皆様、ここは必ず出ますよ)

島原の名前の由来は寛永18(1641)年、幕府の命によって島原の前身である六条三筋町から現在の朱雀野の地に移されました。 そのときの移転の騒動が、バタバタゾロゾロと九州で起きた島原の乱を思わせたところからきています。

歴史に名高い西郷隆盛・桂小五郎・久坂玄端・坂本龍馬・山縣有朋・伊藤博文や、近藤勇・芹沢鴨といった新撰組の面々も島原の常連でした。

江戸中期には島原俳壇が形成われ、有名な俳人として炭太祇や与謝蕪村らも句を残しています。 島原大門 こちらが今も残る島原への入り口、島原大門です。島原は、江戸期以来の公許の花街です。良く出てくる言葉、揚屋は今でいう料亭で、太夫や芸妓を置屋から呼び、宴席でもてなす場でした。また置屋は芸者や遊女を抱えている家のことです。

島原は遊郭とは関係ありません。単に宴席として料亭と、文人や俳人らが集い、書や和歌を読んだり、茶会を開いたりと当時の社交場として考えて下さい。 京都島原文芸碑めぐりには以下のように島原大門について記されていました。

寛永18年(1641)に開設された島原は、当初堀と塀で囲まれ、東北角の大門のみであったが、享保17年(1732)ににしの大門が設けられた。その後東北角の大門は明和3年(1766)に島原の中央を東西に位置する道筋(どうすじ)と呼ばれる道の東端である現在地に着け替えられた。

当初の門については明らかではないが享保14年(1729)には冠木門であったと考えられ、その後塀重門、さらに腕木門となった。嘉永7年(1854)の島原東半分の大火ではこの大門も焼失した。大火後、簡易な冠木門で再建されたが慶応3年(1867)には、神社仏閣並みの本格的な高麗門として建て替えられた。これが現在の大門である。 昭和61年(1986)に京都市登録有形文化財として登録された。 輪違屋 次に向かったのが有名な輪違屋です。創業は元禄年間(1688−1704年)、太夫や芸妓をかかえていた由緒ある置屋で、今でも営業していて、唯一現役の「太夫」が居ます。(公開されている角屋さんは揚屋なんでご注意を)

一度建物は焼失し、安政4(1857)年に再建されました。残念ながら非公開ですがすんばらしい趣のある建物です。 輪違屋 屋号、輪違屋の名前は写真の家紋から来ています。かつての様子が知りたい方は 浅田次郎の輪違屋糸里を読んでみて下さい。 輪違屋 輪違屋は、建築的には価値が高く古い置屋の遺構として貴重ということで昭和五十九年六月一日、京都市指定有形文化財に指定されています。 島原大銀杏 一番メインの角屋はパスして次に訪れたのは大銀杏です。

樹高20m、幹回り3.5m、樹齢推定300年以上という見事な大木です。この場所は、かつて島原住吉神社の境内の北端だったところにあります。

神社は明治の初めに廃社になったのですが、この木はご神木として残されたのだそうです。現在では家に囲まれて目立ちませんが、幕末の頃は島原のランドマーク的役割だったと思われます。 東鴻臚館址
 角屋北側角にある、東鴻臚館址です。

以下は石碑の文字を引用

平安時代、京の中央を南北に朱雀大路が貫き、その七条以北の東西にふたつの鴻臚館が設けられていたが、この島原付近は東鴻臚館址にあたる。

当時この館を利用したのは、唐ではなく、渤海国の使節に限られた。時の政府は渤海客を大いに歓待し、日本の国威を示すために林邑楽を演奏したり、詩文の会などを催していたが、延喜二十年(920)頃には廃せられた。

そうした由緒ある顕客接待の場が、江戸時代の島原にもてなしの文化の場として蘇ったことは意味深いことといえる。

平成十三年十一月吉日
            島原伝統保存会
白梅や墨芳しき鴻臚館   蕪村
   与謝蕪村(俳人1716〜1783)
島原住吉神社 次に向かったのが島原住吉神社です。 島原住吉神社 元は住吉屋太兵衛という人物の自宅で祀られていた住吉大明神だったが、御利益があるとして祭神を島原の西北に遷座し建立された。 明治維新後に一時廃社となってしまったが、後に現在の社名に改称して旧に復することとなりました。 島原西門 島原住吉神社脇、島原西門跡の石碑です。島原の入口は,当初は先ほど紹介した東の大門だけでしたが、享保17(1732)年に西門が設けられ,天保13(1842)年,この地に大門が建てらました。近年まで島原の旧観を伝えていたが、二度の交通事故により西門は倒壊したとのことです。 幸天満宮 神社内にある幸天満宮です。 幸天満宮 当初揚屋町の会所に天神の祠があり、それが、享保十九年に当社に遷座したものである。延喜五年(1748)筑紫大宰府天満宮にならい、鶯替の神事が営まれるようになったということです。鶯替の神事とは色紙、短冊などを持ち集まり、『鶯を替えん』と言いつつ取り交わす珍しい神事で、諸客の見物で賑わったそうですが、明治以後は完全に廃れてしまったとか。

もう一つ島原には歌舞練場跡記念碑があるそうですが、私は見つけられませんでした。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月04日(Sat)▲ページの先頭へ
舞楽奉納 八坂神社
八坂神社 舞楽奉納昨日11月3日の文化の日、八坂神社では舞楽奉納の行事が行われました。 八坂神社 舞楽奉納この日は 大太鼓を組み、弥栄雅楽会などが中心となって、終日舞楽を奉納します。 八坂神社 舞楽奉納 笙(しょう)・篳篥(ひちりき)はもちろん、大太鼓などその他の雅楽器もありました。 八坂神社 舞楽奉納 演奏が始まりました。間近で聞くと笙(しょう)の音はすごいと改めて感じました。 八坂神社 舞楽奉納手前に置かれた火鉢で 笙(しょう)を暖めながらの演奏は大変です。 八坂神社 舞楽奉納 舞楽は楽器の合奏である「管絃」と対になる物です。写真は平舞だと思います。優雅な装束を着てのゆったりとした舞に魅せられました。雅楽の舞は能と違い型の美しさを楽しむものが多くストーリーはありません。 八坂神社 舞楽奉納 走舞かな。どれも派手な色目は衆目を集めていました。 八坂神社 舞楽奉納すべての演目が終了後、唐楽・太食調の長慶子という曲が演奏されます。
こちらは終了後の動画です。 肝心なところでメモリーが足らず録音できておりません。悪しからず。

京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月03日(Fri)▲ページの先頭へ
京都 祇園の鍾馗さん 
京都 祇園の鍾馗さん 東山清水界隈に続いて、今度は京都祇園界隈の鍾馗さんの写真を集めてみました。 京都 祇園の鍾馗さん古いしもたやが密集しているせいか、鍾馗信仰が清水界隈より遙かに強かったんです。 京都 祇園の鍾馗さん 横向いた鍾馗様。 京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  新種発見! 京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  これも鍾馗? 京都 祇園の鍾馗さん こいつはよく見る。 京都 祇園の鍾馗さん  またまた新種発見。 京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  磔(はりつけ)の刑にあった鍾馗さん。 京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  心優しい主の家の鍾馗様。 京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  フー! 京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  だんだん首が痛くなってきました。 京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  磔(はりつけ)の刑2号。 京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  新種発見! 京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  京都 祇園の鍾馗さん  最後の二枚は鍾馗の写真ではなく、七福神や鬼瓦です。田中瓦屋さんという新門前の瓦屋さんで、店内には鍾馗がたくさん並んでいましたが撮影はご遠慮しました。 京都 祇園の鍾馗さん 次回は開発が進む西陣へ参上つかまつる。



京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







南禅寺 天授庵
南禅寺 天授庵 臨済宗南禅寺の塔頭の一つで庭園の美しい天授庵へ訪れてみました。

天授庵は、南禅寺を開山された大明国師を奉祀する塔所です。  文永元年(1264)、亀山天皇が母大宮院の御所として離宮禅林寺殿を造営。その後、正応4年(1291)当時の東福寺第三世大明国師に帰依された天皇は法皇となり、離宮を禅寺に改め国師を奉じて開山され竜安山禅林禅寺としたのが南禅寺の起源です。 南禅寺 天授庵 大明国師は離宮を賜り禅寺とされたが、すでに老境にあったことから禅寺としての体裁を整える前、正応4年(1291)の12月に生涯を終えられました。このため大明国師の開山としての功績は少なく、開山塔はなかったのです。 南禅寺 天授庵暦応2年(1236)南禅寺第十五世は、光厳上皇へ請願、勅許を得て南禅寺に開山塔の建立がとうとう叶いました。庵を天授といい、塔を霊光と称し、これが天授庵の開祖です。 南禅寺 天授庵 本堂には、開山大明国師の等身大木像を安置し、一角には天授庵の多大な復興に寄与された細川藤孝(幽斎)夫妻をはじめとする細川家歴代の位牌も奉られています。 ( 非公開) 南禅寺 天授庵 本堂庭園は枯山水で、正面から本堂に続く幾何学的な石畳を中心に、周囲に数個の石と白砂、それに緑苔を配置したものです。その石畳の中で、正面から本堂に続く石畳は暦応4年の創建当時のものと言われています。 南禅寺 天授庵 さつきの刈り込みが美しい枯山水の東庭を抜けると今度は南北朝時代の古庭の味わいをもつ池泉回遊式の南庭があります。 南禅寺 天授庵南庭にある書院です。 南禅寺 天授庵 書院の南側の庭園は庭園の設計上は鎌倉末期から南北朝時代の特徴を持っています。 南禅寺 天授庵中央の池に大小の出島を造ることによって東西に池を区切っている点、大小の出島で池の輪郭に多くの変化を持たしている点や、二つの池の間になだらかな斜面の堤を設けるなどの点は、天授庵創建当時に作庭されたものです。 南禅寺 天授庵 はすの葉がたくさん浮かんでいました。 南禅寺 天授庵 地泉回遊式庭園の天授庵南庭ですが、明治期には残念ながら、庭園に手を入れられたため、明治調にも感じられるんだそうです。(私には分かりませんでしたが)


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







南禅寺 南禅院
南禅院 水路閣に隠れて見落としそうな場所にある、南禅寺発祥の地とされる寺院、南禅院へ行ってみました。

もともと南禅院は1264年この地に離宮を営まれた亀山天皇が禅宗に帰依し出家された離宮の遺跡です。応仁の乱で荒廃したところ、1702年に徳川綱吉の母、桂昌院らの寄進で再興されました。 南禅院ここ南禅院には鎌倉時代後期、無窓国師の作庭と伝わるの池泉回遊式庭園が残されています。天龍寺庭園、苔寺庭園と共に京都の三名勝史蹟庭園の一つに指定されています。 南禅院 五大将軍徳川綱吉の母、桂昌院によって再建された本堂。 南禅院 本堂に腰掛けると方丈の西は苔の庭、南には曹源池が広がり、石組みから滝壺に落ちる水音が静寂な庭園に響きわたります。 南禅院 吉野の桜、難波の葦、龍田のカエデなどを移植して作られたという風流な庭園で、背後の東山の借景を取り込んでいるので回遊しても広く感じられます。 南禅院訪れた日は10月末で、紅葉がようやく色つき始めたところでした。 南禅院 南北朝の対立、蒙古軍の襲来と多くの難題に見舞われた亀山天皇は閑静なたたずまいの南禅院に心の安らぎを求めたのです。 南禅院 滝が流れ背景となる東山の森が相まって、ここ南禅院はとても雄大な印象を受けます。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







拾翠亭
拾翠亭 京都御苑のなかにある茶室 拾翠亭へ行ってみました。 拾翠亭 拾翠亭とそれを取り囲む九条池は五摂家の一つであった九条家の屋敷内に設けられた庭園の遺構で、200年ほど前の江戸時代後期に茶室として建てられたものです。当時は九条家の別邸として茶会や歌会等の社交場として利用されました。 今でもお茶会等に利用されている他、春から秋にかけての毎週金曜日と土曜日に一般公開されています。

また九条池は安永7年(1778年)頃、東山を借景とし、拾翠亭からの眺めを第一につくられたといわれています。 拾翠亭 もともと九条家の敷地面積は35300uもありましたが、明治初期に殆どの建物が取り壊され、この拾翠亭のみが残されたということです。 拾翠亭ちなみに拾翠亭の「拾翠」とは、緑の草花を拾い集めると言う意味です。平安時代の貴族が、晴れた日に野原に出て草花を摘んで楽しんだ風習にちなんで名付けられました。また「翠」という文字には、御所に生息する「カワセミ」の意味があります。 拾翠亭 建物は数寄屋風の書院造りで二層からなります。二層の外回りには、縁高欄(えんこうらん)と言う手すりが施されており、また屋根の形も「切妻造」「入母屋造」が組み合わされて、簡素な中にも貴族的な優美な外観を呈しています。 拾翠亭 一階は主として、十畳の茶室の広間と七畳半の控えの間、その広間の北側の小間になっており、現存する貴族の茶室としては数少ない建造物と言えます。 拾翠亭長い年月を経て、黒くなった小間の壁。ほたる壁と言って、ところどころに残る本来の色をほたるに見立てる公家ならではの風情が感じられます。 拾翠亭 二階にも上がれます。 拾翠亭 二階から見た九条池です。橋にかかる高倉橋や厳島神社が望めます。九条池はその形から当時は勾玉池とも呼ばれていました。たくさんの百日紅が植えられ、夏には一面咲き誇ります。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年11月02日(Thu)▲ページの先頭へ
京都府庁旧本館
京都府庁旧本館 重要文化財の京都府庁旧本館が一般公開されていましたので見てきました。 京都府庁旧本館ルネッサンス様式の京都府庁旧本館は明治37年に竣工され以後一世紀の間、府庁のシンボルとして存在しています。(現在でももちろん使用) 京都府庁旧本館 全国でも重要文化財に指定されている府庁舎は北海道、山形、三重、山口、京都の5件しかないそうです。京都のはシェーンブルン宮殿を思わせる黄色い外観、マンサード屋根に彫刻、角柱に、車寄せなど西洋建築の意匠が巧みに取り入れてあります。 京都府庁旧本館 玄関入り口には府庁の建築様式について設計図を基に詳しく紹介されていました。 京都府庁旧本館 裏手に回りますと旧議事堂があります。正面同様に車寄せが取り付けられ、一階部分の吹き抜けの連続アーチや二階上部の半円窓が特徴です。現在は床を平にして府政情報センターとして面影はありませんが、国会中継でお馴染みの扇形の議員席が並んでいた場所です。 京都府庁旧本館中央階段は京都白川の花崗岩を用い、手摺りには草花の装飾を施した大理石がふんだんに使用されていました。 京都府庁旧本館二階は赤い絨毯が印象的です。訪れた日は盲導犬のセミナーや彫刻の展示など各種催しが行われていました。 京都府庁旧本館こちらが旧知事室です。昭和46年まで使用されていました。大理石の暖炉や重厚な廻り縁や格天井など他の部屋より一層手の込んだ造りとなっていました。歴代の知事も東側の窓から比叡山を望んでいたことでしょう。 京都府庁旧本館 こちらは旧食堂だそうです。年代を経て風合いが出ています。京都府知事、蜷川虎三氏もこちらで食事をされていたと思われます。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年10月31日(Tue)▲ページの先頭へ
閑院宮邸跡
閑院宮邸跡 京都御苑にある閑院宮邸跡の修復工事が終わりましたので行ってみました。

こちらは江戸時代から続く閑院宮家の屋敷跡で、京都御苑の公家町の創建場所にある唯一の建物です。 閑院宮邸跡 現在の閑院宮邸跡、内部は庭園やレクチャーホール、収納展示室になって近代化されています。 閑院宮邸跡収納展示室では京都御苑の自然と歴史について詳しく知ることが出来るので、京都御苑を散策する際には最初に立ち寄るのが一番良いかも知れません。 閑院宮邸跡 公家町の屋敷跡を調査したときに出て来た京焼のかけらなど。 閑院宮邸跡 遷都したときの貴重な資料など。 閑院宮邸跡 御苑の野鳥や植物、昆虫などの標本も展示されています。 閑院宮邸跡 御苑の樹木を透く御所透かしの説明板。 閑院宮邸跡3年間に及ぶ建物改修工事の工程の説明など。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







金地院
金地院 南禅寺の塔頭の一つ 金地院へ行ってみました。 金地院 金地院はもともと室町時代応永年間、大業和尚が足利義持の帰依を得て北山に開創した禅寺です。

しかし金地院の名前が脚光を浴びるのは江戸時代初めで、37歳で南禅寺の住職になった金地院崇伝の登場を待ちます。

金地院崇伝は徳川家康に近侍し、天海僧正とともに幕議に参画、外交使節として公家との調整役を担うなど、江戸幕府の権力強化に一役買いました。黒衣の宰相とも呼ばれ畏怖尊敬を集めた名僧で、寛永三年にはあの後水尾天皇から円照本光国師の号を賜っています。また晩年には寺大名とまで称されました。あの有名な方広寺の鐘事件も彼が画策しました。

金地院には当時の権勢を偲ばせる遺産が多く残されておりますが、訪れた当日は改修工事の真っ最中でした。 金地院 明智門をくぐって庭園へ向かいます。明智門は天正十年、明智光秀が母の菩提のために、黄金千枚を寄進して大徳寺に建立したのを明治初年、こちらへ移建されました。 弁天池 弁天池を越えて東照宮へ向かいます。 東照宮 東照宮へ向かう趣のある参道です。 東照宮参道 ようやく門の向こうに東照宮が見えてきました。 東照宮 こちらが重要文化財の東照宮です。崇伝が徳川家康の遺嘱に依り、家康の遺髪と念持仏とを奉戴して、寛永五年造営した建物です。創建当初は諸堂完備し輪奐の結構さは日光東照宮に比すべきものだったそうです。

現存の拝殿、石ノ間、本殿などは京都に残る唯一の権現様式で、拝殿天井の鳴龍は狩野探幽の筆、三十六歌仙の額は土佐光起の筆、歌は青蓮院宮尊純法親王の御筆跡とされています。 東照宮向瓦葺唐門東照宮向瓦葺唐門を後ろ側から撮りました。 開山堂 更に開山堂を経て鶴亀の庭園へ向かいます。 鶴亀の庭園 こちらが金地院の特別名勝にして名高い鶴亀の庭園です。寛永七年 小堀遠州の作とされています。桃山時代の風格を備えた江戸初期の代表的枯山水です。その広さと豪壮なる意匠においていつの世の人にも心に迫ると言われています。

前面の白砂は宝船を象徴すると同時に海洋を表すとされています。長方形の大きな平面石は東照宮の遙拝石です。 鶴島右の鶴島です。 亀島 左が亀島です。中間に群仙島を象る石を点在し、前方には崖地を利用して蓬莱石組が立っています。背景の大刈込は、幾重にも折りかさなる山々で深山幽谷を表すといわれています。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年10月30日(Mon)▲ページの先頭へ
八木邸
八木邸 新撰組の屯所があった八木邸へ行ってみました。こちらは二条陣屋とならぶオススメのスポットです。新撰組の好き嫌いに関わらずぜひ訪れてみて下さい。 八木邸 八木邸は朝倉家出身の郷士八木家の邸宅で、現在当代は鶴屋という和菓子屋さんを経営されています。拝観料は千円と高いですが、お抹茶と和菓子、ガイドの説明が含まれています。 八木邸 中は撮影禁止となっていますので言葉だけの説明です。

結党当初の新撰組は近藤勇と芹沢鴨のグループに分かれていました。その芹沢鴨らのグループが土方らによってこの地で暗殺される話を誠生々しく説明してくれます。 八木邸 当時の刀傷や芹沢鴨がつまずいたとされる机などが見所の一つです。芹沢鴨と言えば神道無念流の免許皆伝者ですから、島原の角屋で酔わせてから寝込みを襲う。さすがの土方歳三も焦っただろうと思います。 八木邸八木邸の玄関に掛けられた誠の暖簾。

誠の字の由来をご存じですか?別に将軍家への忠義を表しているのではありません。

誠の字は真ん中で言と成に分かれます。言うことを成せという意味です。局中法度(新撰組の決まりごと)を破った者はその場で切腹だった恐ろしい時代の話です。わたしならとっくに屍ですが。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







無隣庵
無隣庵 岡崎にある長州藩出身の山縣有朋の別荘、無隣庵へ行ってみました。無隣庵の名前の由来は有朋が長州に建てた草菴が隣家のない閑静な場所であったところからということだそうです。 無隣庵 山縣有朋の無隣庵へはこの狭い勝手口から入ります。 無隣庵右手に赤レンガ造りの洋館があります。こちらは日本史の教科書でも出てくる無隣庵会議が行われた場所です。明治36年(1903)4月21日、山形有朋、伊藤博文、桂太郎、小林寿太郎等の錚々たるメンバーによる日露開戦直前の外交方針を決める無鄰庵会議がここで開かれました。 無隣庵 無隣庵の庭園はこちらも植治こと小川冶兵衛の作庭によるもので、一階には山縣有朋愛用の品と共に数々の小川冶兵衛作の庭の写真が展示されています。京都では円山公園、平安神宮神泉苑、洛翠庭園、新しく重要文化財になったことで先日新聞に載っていた野村碧雲荘もそうです。 無隣庵 無隣庵の小川は疎水の水を引いています。 無隣庵 中央はゆるやかな傾斜地に東山を借景とした池泉回遊式庭園が広がっています。 無隣庵 西側に母屋があり、縁側に座って広い庭全体を眺めると、えも言われぬゆったりとした気持ちになれました。 無隣庵 南側角には茶室があり、こちらは藪ノ内流燕庵を模してあるんだそうです。 無隣庵

無隣庵

無隣庵残念ながら紅葉にはほど遠いようです。 無隣庵 細長い三角形の1000坪の土地は神社とも寺とも違ういかにも別荘といった心休まる静かで緑豊かな空間となっていました。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







浅井忠と関西美術院展ー京都市美術館ー
浅井忠と関西美術院展ー京都市美術館ー 招待券を頂いたので京都市美術館で開かれている浅井忠と関西美術院展を見てきました。

千葉県出身の浅井忠は明治期に活躍した日本を代表する洋画家で、夏目漱石の三四郎にも深見画伯として登場します。

晩年、フランスから帰国後、5年間だけ活躍の場を京都に移しています。

上洛後は京都高等工芸専門学校(現:京都工芸繊維大学)教授となり、個人的にも聖護院洋画研究所(後の関西美術院)を開いて後進の指導を行われました。 浅井忠と関西美術院展ー京都市美術館ー 今回の展示では浅井忠と彼の弟子達の作品を中心に油彩画に限らず、水彩画や彼のデザインによる陶芸作品までも紹介されていました。 会場には洋画に疎い私でも知っている梅原龍三郎や鹿子木孟郎、黒田重太郎から須田国太郎、安井曽太郎まで。

洋画の冬の時代から、戦前までの歩みとともに分かりやすく時系列で並んでおり、明治期の日本人が西洋に対してどんな目線で見ていたか、また洋画を日本に根付かせるために彼らがどのように奮闘したかが伝わってくる展示会でもありました。


京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







2006年10月29日(Sun)▲ページの先頭へ
花灯路と京の冬の旅-2007-
八坂さんの石榴の木 旅行会社の方から早くも来年の花灯路のお問い合わせを頂きましたので 平成19年度の案内をさせて頂きます。

花灯路2007

平成19年3月10日(土)〜21日(日)


それにプラスして気が早いですが、京の冬の旅もすでに日程と公開先が決まっています。

京の冬の旅 非公開文化財特別公開

期間: 2007年1月13日(土)〜3月18日(日)
時間:午前10時〜午後4時受付終了

大徳寺 聚光院
大徳寺 真珠庵
妙心寺 玉鳳院
妙心寺 龍泉菴
妙心寺 麟祥院
東福寺 龍吟庵
東福寺 浴室・東司
東寺 五重塔
東寺 小子房
東寺 観智院

どちらも一ヶ所 600円の拝観料が必要となります。




京焼・清水焼専門店〜京の器や・夕庵〜









ブログランキング参加中。ワンクリックお願いいたします。
↓↓↓↓↓↓







1 2 3 4 5 6 7 8 9 10    全300件


Facebookはじめました。良かったらいいねボタン。押して下さい。

創業安政2年(1855年)
これからも時を重ねて育まれた京焼・清水焼ならではの雅な意匠と、職人の手技を次の世代に伝えて行きたいと思います。

松韻堂
京都市東山区清水3−319
TEL
075-561-8520


営業時間 9:00〜17:00

定休日 無休

松韻堂の商品買うなら、
松韻堂本店サイトへ。
こちらもよろしくおねがいします。

松韻堂 Yahoo!店

松韻堂 楽天市場店

●松韻堂の地図


新着トラックバック/コメント

清水焼のメルマガ

メルマガ登録はこちらから

登録だけでプレゼント

毎月自動エントリー♪♪


※関連サイト※

京焼清水焼用語集

松韻堂お客様の声

松韻堂店長日記

三年坂窯 作陶日誌

新着・再入荷情報

京都人による東山案内

カレンダ
2017年7月
           
20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

アーカイブ
2005年 (162)
10月 (18)
11月 (64)
12月 (80)
2006年 (959)
1月 (77)
2月 (56)
3月 (61)
4月 (68)
5月 (94)
6月 (40)
7月 (90)
8月 (74)
9月 (91)
10月 (114)
11月 (97)
12月 (97)
2007年 (1115)
1月 (90)
2月 (46)
3月 (77)
4月 (68)
5月 (62)
6月 (96)
7月 (86)
8月 (126)
9月 (95)
10月 (102)
11月 (162)
12月 (105)
2008年 (389)
1月 (212)
2月 (155)
3月 (2)
4月 (3)
6月 (2)
7月 (1)
8月 (5)
9月 (7)
10月 (2)
2009年 (5)
5月 (3)
9月 (2)
2010年 (1)
5月 (1)
2012年 (78)
8月 (20)
9月 (35)
10月 (23)

アクセスカウンタ
今日:840
昨日:837
累計:8,530,097