淀城を巡る冒険 (前)

淀城址を訪れました。




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2007年05月22日(Tue)
淀城を巡る冒険 (前)
淀城を巡る冒険初夏の頃、淀城址を訪ねてみました。 淀城ひとことで淀城と言っても淀には二つあったとされています。一つは淀古城とも古淀城とも呼ばれる、桃山時代、秀吉が側室の淀君に与えたものがひとつ。
淀城 もうひとつは徳川二代将軍秀忠が、元和5年(1619)の伏見城廃城に伴い、新たに桂川・宇治川・木津川の三川が合流する水陸の要所である淀の地に松平越中守定綱に築城を命じて建てさせたものとです。 淀城を巡る冒険五月の頃訪れたので、堀にはいくつもの大きな鯉のぼりがなびいていました。 淀城現在、徳川家の建てた淀城は春日局の子孫である稲葉家が明治維新まで城主でしたが、1868年鳥羽・伏見の戦いで戦場となり、いまは掘と城壁しか残らず、淀城址公園として市民の憩いの場です。 淀城淀小橋旧趾(よどこはしきゅうし)
淀城故址(よどじょうのこし)
唐人雁木旧趾(とうじんがんぎきゅうし)
鳥羽・伏見の戦いで主戦場となった伏見街道の石碑

明治に至ってもここは交通の要所ということで公園内にはいくつもの石碑が残されていました。 淀城跡明治天皇御駐蹕址。明治天皇は,慶応4(1868)年3月21日親征・海軍検閲のため大坂行幸。同日この地淀城で休憩したことを記す碑です。 淀城こちら淀城の天守閣の址ですが、中へはいることはできません。現在、淀城復元計画が進められ、天守閣と水車の復元が計画されているようです。 淀城淀城の由来です。 淀城淀城址の碑です。

淀城は,宇治・桂川合流点と木津川に挟まれた川中の島にあり,廃城となった伏見城に代り,京都警衛の拠点となった。元和9(1623)年松平定綱(1592〜1651)が最初の城主となり,享保8(1723)年稲葉正知(1685〜1729)が,下総佐倉より移封され明治維新に及ぶ。
淀城 戊辰戦争時,幕府軍の宿泊所となり,慶応4(1868)年正月2日,この城から京都に向けて進軍した。5日には敗走の幕府軍の入城を拒んだ。この石標は淀城の跡を示すものである。なお,淀君が住んだ淀古城は,別の場所であり,文禄4(1595)年廃城となった。
ここまでいしぶみデータベースより引用

淀城つづいて五〇〇メートル離れた納所小学校裏にある淀古城跡のある妙教寺へ行きました。



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