島原界隈

太夫の故郷、島原界隈を散策してみました。

2006年11月05日(Sun)
島原界隈
島原界隈 京都には上七軒、先斗町、祇園甲部、宮川町、祇園東の5つの花街が現存していますが、このほかにもかつて江戸時代には島原という大きな花街がありました。昨日はそんなJR丹波口駅付近にある島原界隈を散策してみました。(京都検定を目指している皆様、ここは必ず出ますよ)

島原の名前の由来は寛永18(1641)年、幕府の命によって島原の前身である六条三筋町から現在の朱雀野の地に移されました。 そのときの移転の騒動が、バタバタゾロゾロと九州で起きた島原の乱を思わせたところからきています。

歴史に名高い西郷隆盛・桂小五郎・久坂玄端・坂本龍馬・山縣有朋・伊藤博文や、近藤勇・芹沢鴨といった新撰組の面々も島原の常連でした。

江戸中期には島原俳壇が形成われ、有名な俳人として炭太祇や与謝蕪村らも句を残しています。 島原大門 こちらが今も残る島原への入り口、島原大門です。島原は、江戸期以来の公許の花街です。良く出てくる言葉、揚屋は今でいう料亭で、太夫や芸妓を置屋から呼び、宴席でもてなす場でした。また置屋は芸者や遊女を抱えている家のことです。

島原は遊郭とは関係ありません。単に宴席として料亭と、文人や俳人らが集い、書や和歌を読んだり、茶会を開いたりと当時の社交場として考えて下さい。 京都島原文芸碑めぐりには以下のように島原大門について記されていました。

寛永18年(1641)に開設された島原は、当初堀と塀で囲まれ、東北角の大門のみであったが、享保17年(1732)ににしの大門が設けられた。その後東北角の大門は明和3年(1766)に島原の中央を東西に位置する道筋(どうすじ)と呼ばれる道の東端である現在地に着け替えられた。

当初の門については明らかではないが享保14年(1729)には冠木門であったと考えられ、その後塀重門、さらに腕木門となった。嘉永7年(1854)の島原東半分の大火ではこの大門も焼失した。大火後、簡易な冠木門で再建されたが慶応3年(1867)には、神社仏閣並みの本格的な高麗門として建て替えられた。これが現在の大門である。 昭和61年(1986)に京都市登録有形文化財として登録された。 輪違屋 次に向かったのが有名な輪違屋です。創業は元禄年間(1688−1704年)、太夫や芸妓をかかえていた由緒ある置屋で、今でも営業していて、唯一現役の「太夫」が居ます。(公開されている角屋さんは揚屋なんでご注意を)

一度建物は焼失し、安政4(1857)年に再建されました。残念ながら非公開ですがすんばらしい趣のある建物です。 輪違屋 屋号、輪違屋の名前は写真の家紋から来ています。かつての様子が知りたい方は 浅田次郎の輪違屋糸里を読んでみて下さい。 輪違屋 輪違屋は、建築的には価値が高く古い置屋の遺構として貴重ということで昭和五十九年六月一日、京都市指定有形文化財に指定されています。 島原大銀杏 一番メインの角屋はパスして次に訪れたのは大銀杏です。

樹高20m、幹回り3.5m、樹齢推定300年以上という見事な大木です。この場所は、かつて島原住吉神社の境内の北端だったところにあります。

神社は明治の初めに廃社になったのですが、この木はご神木として残されたのだそうです。現在では家に囲まれて目立ちませんが、幕末の頃は島原のランドマーク的役割だったと思われます。 東鴻臚館址
 角屋北側角にある、東鴻臚館址です。

以下は石碑の文字を引用

平安時代、京の中央を南北に朱雀大路が貫き、その七条以北の東西にふたつの鴻臚館が設けられていたが、この島原付近は東鴻臚館址にあたる。

当時この館を利用したのは、唐ではなく、渤海国の使節に限られた。時の政府は渤海客を大いに歓待し、日本の国威を示すために林邑楽を演奏したり、詩文の会などを催していたが、延喜二十年(920)頃には廃せられた。

そうした由緒ある顕客接待の場が、江戸時代の島原にもてなしの文化の場として蘇ったことは意味深いことといえる。

平成十三年十一月吉日
            島原伝統保存会
白梅や墨芳しき鴻臚館   蕪村
   与謝蕪村(俳人1716〜1783)
島原住吉神社 次に向かったのが島原住吉神社です。 島原住吉神社 元は住吉屋太兵衛という人物の自宅で祀られていた住吉大明神だったが、御利益があるとして祭神を島原の西北に遷座し建立された。 明治維新後に一時廃社となってしまったが、後に現在の社名に改称して旧に復することとなりました。 島原西門 島原住吉神社脇、島原西門跡の石碑です。島原の入口は,当初は先ほど紹介した東の大門だけでしたが、享保17(1732)年に西門が設けられ,天保13(1842)年,この地に大門が建てらました。近年まで島原の旧観を伝えていたが、二度の交通事故により西門は倒壊したとのことです。 幸天満宮 神社内にある幸天満宮です。 幸天満宮 当初揚屋町の会所に天神の祠があり、それが、享保十九年に当社に遷座したものである。延喜五年(1748)筑紫大宰府天満宮にならい、鶯替の神事が営まれるようになったということです。鶯替の神事とは色紙、短冊などを持ち集まり、『鶯を替えん』と言いつつ取り交わす珍しい神事で、諸客の見物で賑わったそうですが、明治以後は完全に廃れてしまったとか。

もう一つ島原には歌舞練場跡記念碑があるそうですが、私は見つけられませんでした。


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