清水寺の七不思議

清水寺の七不思議を紹介します。




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2006年10月23日(Mon)
清水寺の七不思議
清水寺の桜2006観光客で賑わう京都東山の寺社仏閣ですが、それぞれに昔から伝わっている七不思議があります。

折を見てそれぞれを紹介しようと思っていますが、まずその第一弾は清水寺から始めさせて下さい。

清水寺の七不思議は他の寺よりも多く、七不思議どころか十以上は軽くあると思います。紹介する人によっても本によってもどれを七つとするか違いますが思いつくのは以下の物です。 清水寺首振り地蔵 一つ目。清水寺の首振り地蔵。

門前脇左手に目立ちませんが地蔵院善光寺堂があります。そこのお地蔵さんの首が360度一回転します。 地蔵院善光寺堂 首をぐるっと一回転させてからお願いすると願い事がかなうと言われています。また回らない人は体の調子が悪いんだとか。初代は堂の中に安置されています。 馬駐(うまとどめ) 二つ目。馬駐(うまとどめ)の金具。

清水寺赤門左手にある室町時代の重要文化財 馬駐ですが、そちらの金具が一カ所だけ逆に付いていると言われています。同時に五頭の馬をつなぐことが出来る馬駐ですが、応仁の乱後、再建されたもので、貴族や武士が馬をこの建物につないで徒歩で諸堂へ参拝するための場所です。 馬駐(うまとどめ)の金具 いくつか横向きに並んでいますが・・・ 馬駐(うまとどめ)の金具 ありました。ここだけ下向きに付いています。 赤門前阿阿の狛犬三つ目。阿・阿の狛犬です。 赤門前阿阿の狛犬通常神社にある狛犬ですが、清水寺の奥に地主神社があるため、門前に狛犬が一対置かれています。 また狛犬は口を開いた阿形(あぎょう)と、口を閉じた吽形(うんぎょう)の一対の姿ですが、 赤門前阿阿の狛犬両方とも口をあんぐりと開けています。

阿吽(あうん)とは 人間の生まれた瞬間と死ぬ瞬間の姿で、万物の初めと終わりを意味しています。 八方にらみの虎 四つ目。八方にらみの虎。

江戸後期の画家岩駒(がんく)が寄進した「虎の図」は八方にらみの虎と言ってどこから見ても睨みつけられたように目が合うとされています。 八方にらみの虎 確かに目が合い恐ろしい形相をしています。苔やカビで目立ちにくく、観光客には余り知られていないスポットです。 カンカン貫(ぬき) 五つ目。

七不思議の中で最も有名なカンカン貫(ぬき)です。仁王門、通称赤門の西側、東側の木口に爪でかいてできたくぼみがあり、一人が耳をあて、一人が爪で叩くとその音が電話のように聞こえると言われています。 カンカン貫(ぬき)清水っ子ならだれでも親から教わる話ですが、最近、修復し、赤く塗られたため、昔とイメージが変わってしまいました。 カンカン貫(ぬき) みんなが触っているのでこんなにすり減っています。 鐘楼の柱 六つ目。鐘楼の柱。

清水寺の梵鐘を支える切妻瓦葺きの鐘楼の丸柱が六本。 鐘楼の柱 天下一の梵鐘のある知恩院さんの鐘楼でも四本なのに、不思議だと言われています。 爪彫の観音 七つ目。景清爪彫りの観音です。

胎内めぐりで有名な随求堂手前にある石灯籠があります。

そこの火袋内に納めれた線彫りの小さな観音像は、景清が清水の観世音を信仰し、牢の谷の獄に入れられている間に爪で石の上に観音様を彫り、清水に奉納したと伝えれています。 景清爪彫の観音火袋内部です。暗くてよく見えません。

悪七兵衛景清
悪七兵衛景清 は「平家物語」で平家軍団の中でもとりわけ「剛の者」として描かれている人物で、平安時代の武士。本名は藤原総七郎兵衛尉景清。自分で両目をくりぬいたと言われ、父の藤原忠清が平清盛に仕えていたため平氏を称したと伝えられています。「悪七兵衛」の異名を持つほど勇猛であり、平安末期における源平の戦いにおいて活躍したが、壇ノ浦の合戦で敗れた後に捕られ、預けられた八田知家の邸で絶食し果てたといわれる。実在したとはいえ生涯に謎の多い人物であるため、各地に色々な伝説が残されている。 三重の塔の屋根瓦 八つ目は三重の塔の屋根瓦。

清水寺西門の東、重要文化財 三重塔にあります。
通常屋根瓦の角の鬼瓦は厄を払う鬼の意味や鬼が火の神を表すんだそうですが、よく見ると一ヶ所だけ水の神である、龍が使われています。 三重の塔の屋根瓦東角だけ龍になっています。 こういった火と水の神を同時に取り入れる建築方法は無いんだそうです。(人から聞いた伝え聞いた話ですので事実かどうか知りません)

四神相応、都の東ということで青龍を盛り込んだのでしょうか。 轟橋の門 九つ目。轟橋の門。

本堂の西にある八脚門でこれ自体珍しい構造ですが、この門に扉がないので不思議だと言われています。ただこれは清水の古い人に聞くと七不思議と違うといっていました。 轟橋 十個目。轟橋。

この橋は清水寺の口をかたどっており、中央の木板は舌を、両側の石板は歯を意味し、かたわらの手水水で口をゆすぐと歯痛、頭痛が治ると伝えられています。また水がないのに橋が架かっているのが不思議という人もいますが、古くは八坂の塔、三年坂を越えて轟川という川がここまで続いていました。 手水鉢の堂の二本柱 十一個目。手水鉢の堂を支える脚が二本しかないのが不思議と言われています。 梟の手水鉢 十二個目。梟の手水鉢。

この龍の口から水が湧き出ている清めの水ですが、正式には梟の手水鉢といいます。なぜ龍なのに、梟(ふくろう)かと言うと、 梟の手水鉢この手水鉢を支える石の四隅に梟の彫像がついた台座になっているからです。
フクロウと言えば知恵の神様なので、こんな下座に置くのは不思議だとのこと。 清水寺の本堂 一三個目からは本堂の中にあります。 弁慶の指あと 十三個目。弁慶の指跡。

本堂裏側の貫の木の目に沿って深さ2センチほどの溝が付いています。これは弁慶が人差し指で付けた物と言われています。 弁慶の指あと 調べましたがこの跡は裏側の地主神社の方へも続いています。 景清の足形石 十四個目。弁慶の足形石。

この足形石は弁慶と通常思われていますが、平景清だと言われております。元は地主神社の本殿前にあったものを朝倉堂へ移されました。もともと寝ていた石ですがいつの頃からか立てられたようです。景清も大男で、一尺七寸というから五〇センチです。ジャイアント馬場もビックリ。 弁慶の鉄の杖と下駄十五個目。弁慶の鉄の下駄と杖。

観光客が持ち上げている鉄製の巨大な下駄と杖ですが、弁慶が使用したとされています。また音羽の滝の行者が日参りし、満願、吉野峯入りを成就したのでお礼に奉納したとも言われています。 舞台を支える四八本の柱 十六個目。清水寺舞台の柱。

舞台を支える柱は長短四十八本、釘一つ使わず立てられていると言われ、この48という数字も意図的にしたんだとのこと。

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