京焼・清水焼 窯元 谷口松韻堂 京都三年坂よりほんまもんの清水焼の今昔をお届け致します! - 2007/10/01

京都の三年坂から京焼・清水焼の今昔を発信致します。

2007年10月01日(Mon)▲ページの先頭へ
マチカネ、アキキタル。
近所の秋の花、シュウカイドウが満開です。皆さん、こんにちは。 急に涼しくなりましたね。
急な温度変化で体調など崩さずにしてください。

9月は、あれも作りたい!あそこに行ってみたい!と思ったことの半分も出来ませんでした。
ですので神無月は京都に神さんのいない間に更に頑張りたいと自戒の念をこめてここに記します。

ご存じの方もいらっしゃいますが、9月から『松韻堂ざんまい』と称してメルマガ配信を始め、3回ほどすでに発行しました。

トップページのに載らない影の新商品やプレゼント企画などどんどん読者限定のサービス行っていきますので、こちらのほうも是非、ご購読お願い致します。

いつも見てるよと表だって応援して下さる方、
冷やかし半分嘲笑半分で見て下さる方、
こっそり見て見てないふりしてる方、

どのお方もご安心を。
私の方からは読者のメールアドレスなどの情報は一切解らない仕組みになっております。

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多賀大社−お伊勢、お多賀の子でござる−
多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−お伊勢参らば お多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる

お多賀はんこと、滋賀県犬上郡多賀町多賀に鎮座する大きな神社、多賀大社に足を伸ばして行ってみました。近江はもとより東海や京阪神の人々の信仰を集め、毎年の初詣には45万人の人出です。

実はお多賀さんは、5年前の平成14年の7月から、平成19年まで『平成の大造営』という大掛かりな工事の最中でした。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる− 古事記によると、伊邪那岐と伊邪那美が天下ったという伝説のある多賀町の地は、この夫婦神を祭った多賀大社の門前町として栄えてきました。

多賀大社の鳥居の向かい側に当る道沿いには、清水さんの参道のようにみやげ物・名物屋さんが軒を連ねていますが平日のせいか閉まっていました。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる− 天照大神の親神様である伊邪那岐と伊邪那美を祭り、縁結びの神、長寿の神として信仰されてきました。

「お伊勢まいらば お多賀へまいれ お伊勢お多賀の 子でござる」 と俚謡でうたわれている様に、ここの神様は天照大御神の親神だけでなく、我が国の国土を始め八百万の神々をお生みなされたということから、伊勢に参らずとも多賀で十分と思われている方は多いようです。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−多賀大社の名物は、門前町で振る舞われる延命蕎麦、糸切餅や多賀杓子があります。

とりわけ、お多賀杓子(\300)は、養老年間、天正天皇の病気平癒のため、多賀社の神官らが強飯をたき、シデの木で作った杓子を添えて献上したところ、天皇は全快されたということから無病長寿のしるしとなったと言うことです。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる− 石の大きな鳥居を越えると有名な石のそり橋こと、太閤橋があります。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる− 太閤橋は太閤秀吉が多賀大社に寄せた信仰から現在はそう呼ばれているが、正式名称は「太鼓橋」なんだそうです。  江戸初期寛永十五年に徳川幕府の助成もあって、大僧正慈性によって本殿以下緒堂社の造営が行われ、この大造営の際に構築されたものです。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−門をくぐると杉木立に覆われた広々とした境内。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−堂々たる風格の本殿、能舞台、絵馬殿などが建ち並びます。社殿は何度かの倒壊や火災により立て替えられ、現在の社殿は昭和7(1932)年に再建されたものです。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−絵馬堂です。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−上には大津絵が掛かっていました。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−右手見えるは神馬舎。中は馬の人形でした。
商売繁盛の金咲稲荷神社を筆頭にそのほかにも天満神社、愛宕神社、秋葉神社と 非常に多くの境内社があります。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−能舞殿。能舞台と奥の小屋が渡り廊下で繋がれた造りをしています。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる− 多賀大社の境内に「寿命石」という一種の霊石があります。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−寿命石の由来

 今からおよそ800年前、俊乗坊重源上人は戦乱で焼失した東大寺復興の命を受けます。が、そのとき既に61歳。そのため、この大事業を成功できるようにと多賀大社に17日間籠もり、ひたすら延命を祈ったところ、「莚」の字の虫食いのある柏葉が舞い落ちてきました。草かんむりは十を二つ並べて書くところから、上人は二十年の寿命を授かったと歓喜し、無事に東大寺復興の事業を成し遂げました。  そして、この寿命石が、そのときの霊験を得た際のゆかりの石だと伝えられています。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−大きな文庫。多賀大社には徳川家ゆかりの建造物も多いです。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−太閤蔵です。
豊臣秀吉が、生母 大政所の病気平癒を多賀大社に祈願し、全快のお礼として米一万石が寄進された。それによって社殿の改修や奥書院庭園などの築造がされたときのひとつです。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−鐘楼です。
ここの鐘は、室町時代後期、1555年の鋳造品です。当時、室町幕府、佐々木六角氏、浅井氏らによる大々的な修造が行われた際に造られたもので、鐘の高さは156.2cmもあるそうです。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−一対の大釜です。
徳川幕府によって行われた1634年、1698年の両大修復工事を記念して設けられた御湯神事の調度品と伝えられている物です。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−多賀大社拝殿・本殿です。多賀大社は拝殿か左に大きく伸びる廻廊で、内部の神楽殿や本殿を大きく囲っているので、本殿はほとんど見えません。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−多賀大明神殿、縁結びは終わりましたので、次回は厄除けをお願い致します。 多賀大社−お伊勢お多賀の子でござる−巨大な杉老木に囲まれ堂々とした風格を持つ茅葺きの本殿は真新しくなっていました。

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創業安政2年(1855年)
これからも時を重ねて育まれた京焼・清水焼ならではの雅な意匠と、職人の手技を次の世代に伝えて行きたいと思います。

谷口松韻堂
京都市東山区清水3−319
TEL/FAX
075-561-8520

営業時間 9:00〜18:00
定休日 無休

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