京焼・清水焼 窯元 谷口松韻堂 京都三年坂よりほんまもんの清水焼の今昔をお届け致します! - 2007/09
京都の三年坂から京焼・清水焼の今昔を発信致します。
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京焼・清水焼 窯元 谷口松韻堂 京都三年坂よりほんまもんの清水焼の今昔をお届け致します!/一覧 (2627)
京焼・清水焼 (930)
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2007年09月30日(Sun)▲ページの先頭へ
干支緑交趾袋ねずみ香合
子孫繁栄に、また干支頭のネズミは物事の始まりとして生まれ年に関係なく喜ばれています。 寸法 直径6cm×高さ5.5cm 重さ70g 木箱付
■送料無料・代引手数料無料■※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。 ■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■ ※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。 陶歴 高野昭阿弥 昭和5年創業の初代昭阿弥の許で仕事を覚える 平成5年2代目昭阿弥となる 主に磁器による抹茶、煎茶道具の染付、祥瑞、色絵、交趾などを作る 昭和55年初代と共に50周年記念展を催す 黄檗陶匠 工房は京都市東山 京都市生まれ
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宮川真葛作 染付盃 ねち
寸法 直径6.5cm×高さ3.8cm 重さ36g 木箱付
■送料無料・代引手数料無料■※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。 ■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■ ※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。 陶歴 宮川真葛 先代治平香斎 大正十一年三月九日東京に生まれる 旧姓 杉本三喜重(宮川治平香斎) 東京大空襲にて両親を亡くし、復員後母方の遠縁をたより、京都へ来る。 昭和二十一年十二月、四代永誉香斎の長女美津と結婚し宮川家に入籍する 昭和二十一年一月五日より父につれられて半床庵久田無適斎宗匠のもとへ 稽古に通う。 無適斎宗匠御逝去後、尋牛斎宗匠に御指導を仰ぎ、茶陶を制作する。 昭和四十七年(1972)香斎を襲名し、即中齋宗匠より真葛の印を頂戴し、作品に使用する。 平成十四年(2002)養子和男に代を譲り隠居し治平を名乗る。 当代 1944年 京都に生まれる 1970年 東京造形大学美術学部彫刻専攻卒業 1976年 京都の真葛窯に入り、以後五代目宮川香齋の補佐をする 2002年 一月 六代目宮川香齋を襲名する 同年 大徳寺僧堂龍翔寺嶺雲室高田明浦老師より真葛の印賜る 作品に使用する
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抹茶碗 醍醐の紅葉
874年に創建された総本山醍醐寺。豊臣秀吉ゆかりの名刹で、1598年に盛大に催された、醍醐の花見茶会。実は秀吉は同じ年の秋、醍醐寺での紅葉狩りを楽しみにしていたそうですが、その夢を果たすことなく生涯を閉じました。 葉脈や赤の濃淡で描き分けられた紅葉のうつろい、秋の醍醐山麓を歩くとこんな風景が望めるのでしょう。 寸法 直径12cm 高さ8cm 重さ260g 木箱付
■送料無料・代引手数料無料■※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。 ■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■ ※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。 陶歴 吉峯窯 四代目 浅見 与し三 初代・与し三は大正元年父・与之助(二代五郎助の次男)より分家して五条坂にて開窯 昭和三十六年五条坂に生まれる 父(二代目)叔父(三代目)の許、作陶を修行し平成四年四代目 襲名 平成七年大徳寺塔頭瑞峯院前田 昌道老師より 吉峯窯の窯名を賜る
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2007年09月29日(Sat)▲ページの先頭へ
鈴虫寺−寿々むし8000匹−
鈴虫の大合唱が鳴り響くなか、お茶とお菓子を出され、時間にして30〜40分ぐらいでしょうか、ユーモアたっぷりのお話を聞かされます。 残念ながら、鈴虫などの撮影は禁止されていました。 和尚の落ちがありましたがあれは嘘でシソの葉(ゆかり)です。 しかし8000匹以上の鈴虫どうやって数えたのだろう? なにとぞ下のボタンを押して下さい。続ける糧となります。 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ![]()
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丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−
丹波マンガン記念館は在日朝鮮人の元鉱員李貞鎬さん(1995年死去)が、自身の所有する新大谷鉱山を家族で整備し、資料館とともに1989年に建てられたものです。 現在は、ご子息が李龍植さんが館長を務めておられ、溜まり溜まった濃い話を聞かせて下さいました。 生野や石見の銀山と異なり、大手が参入するほど高価でもないマンガン、その多くは零細企業や軍部が中心となって開発したのだそうです。 私も陶芸材料やマンガン電池でも使うマンガン、鉄と溶け合わさると、鉄を強くする性質を持っているため、とりわけ戦時中たくさん掘られました。 被差別部落の人、強制連行の朝鮮人同士でも差別は行われたようです。 出口近くに鍛冶場が再現。発破ノミ、姑息ノミ、当時の道具は各自、鍛冶場で焼きさきがけました。 記念館に来て見て確かに云えること、それはここの館長の話、すべて事実ですヮ。 なにとぞ下のボタンを押して下さい。続ける糧となります。 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ![]()
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2007年09月28日(Fri)▲ページの先頭へ
楽茶碗 秋明菊
寸法 直径11cm×高さ8.5cm 重さ310g 木箱付
■送料無料・代引手数料無料■※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。 ■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■ ※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。 陶歴 吉村楽入 二代 楽入 昭和4年生まれ 昭和23年京都府陶工訓練所終了。以後、父甚四郎に師事、楽入を継承。 京都楽窯会所属。昭和60年4月、同会会長に就任 三代 楽入 1959 二代楽入の長男として京都に生まれる 1982 同志社大学経済学部卒業 1983 京都市工業試験場伝統産業後継者育成陶芸コース修了 1984 京都府陶工訓練校成型科卒業・以降、父 二代 吉村楽入に師事 1986 陶芸集団チェラミスタに参加 1989 以降、グループ展に多数出品・作品工房 楽入窯を創始し主宰する 1993 京焼清水焼パリ展に出品し入選 2000 泉涌寺熊谷龍尚師より重生印拝領・以降、重生銘にて作陶活動 2002 吉村重生展(高知大丸・博多大丸) 2003 吉村重生茶陶展 (京都高島屋) 2004 萬福堂 吉村楽入を襲名
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産寧坂にて撮影
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揮毫
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2007年09月26日(Wed)▲ページの先頭へ
白磁 急須
清水焼の煎茶道具を主に手がけている窯元 昭阿弥作の白磁 急須です。 みずみずしくつややかさで美しい純白の急須、直接穴が急須の胴体に空けられているのは通常、煎茶道具としての作りです。 すらりと伸びた注ぎ口。この急須唯一の装飾、つまみが可愛い。 細く先で広がった白い持ち手。ぷっくらふくらんだ丸っこい急須の胴とは対照的に他のパーツは細長く仕上がっています。 白磁と一言で言っても、京都の磁器は有田の天草陶石と出石の柿谷陶石をブレンドしているので他産地の磁器とは異なる白さがあります。釉薬もとろりと厚く掛かっているので幾分、青白磁に近い印象を受けます。 急須の底、実は釉薬が掛かっていません。本当は直火でも大丈夫なんですが、ご家庭ではお湯を注いでお使いください。 透明感のある磁器の白は、汚れが付きにくく、清潔感いっぱい。 シンプルなデザインなので洋風のインテリアにもなじむかと思います。 寸法 縦11p×横12p×高さ10p 重さ190g 容量 250cc 化粧箱付
■送料無料・代引手数料無料■※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。 ■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■ ※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。 陶歴 高野昭阿弥 昭和5年創業の初代昭阿弥の許で仕事を覚える 平成5年2代目昭阿弥となる 主に磁器による抹茶、煎茶道具の染付、祥瑞、色絵、交趾などを作る 昭和55年初代と共に50周年記念展を催す 黄檗陶匠 工房は京都市東山 京都市生まれ
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当サイト設立理念
ブログ設立理念 京都の誇る伝統産業 清水焼の地位向上のため、また京焼清水焼を時代の流れから守り次の世代に現在の高度な技術を伝える為に情報を発信しております。どうか皆様御笑覧下さい。
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白磁宝瓶急須 小
京焼の窯元高野昭阿弥作の純白の白が、つややかでなめらかな、美しい白磁の急須です。 急須は急須でも宝瓶急須といって玉露などのぬるめのお湯を使うので熱さ除けの持ち手が無くなった物です。 烏口の先につながる茶漉し穴。京都の磁器は有田の天草陶石と出石の柿谷陶石をブレンドしているので他産地の磁器とは異なる白さがあります。釉薬もとろりと厚く掛かっているので幾分、青白磁に近い印象を受けます。 この宝の瓶と書く宝瓶急須、高台があります。また蓋の裏に昭阿弥と名前がうっすらと入っているのをご確認いただけますでしょうか。 京焼のなかでも昭阿弥の煎茶道具を愛用されている煎茶の流派は大変多く、この急須ももともとはお茶の先生がお手前で使う為に作られたものでもあるのです。それゆえ芸術性と機能性を追及した寸法やフォルムは幾人ものプロの厳しい目をくぐり抜けて生き残った逸品と云えます。 両手で挟むとこのとおりの小ささ。なんと70ccしか入りません。玉露など高級なお茶を美味しく飲むには急須は小さければ小さいほど良いと言われています。これより小さな白磁の宝瓶急須がかつてありましたでしょうか。 注ぎ口は手作りですので微妙に歪みがあり、口先をあえて反らしています。これでとろみのついた最後の一滴までしっかり注げます。 最高のおいしいお茶を自分ひとりでゆっくり、少しずつ時間をかけて愉しみたい。 この昭阿弥作白磁宝瓶急須 小はまさにそんな方の為の急須です。これでは小さいという方のために大のサイズもご用意しております。 寸法 縦9p×横7.5p×高さ6.5p 重さ120g 容量70cc 化粧箱付
■送料無料・代引手数料無料■※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。 ■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■ ※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。 陶歴 高野昭阿弥 昭和5年創業の初代昭阿弥の許で仕事を覚える 平成5年2代目昭阿弥となる 主に磁器による抹茶、煎茶道具の染付、祥瑞、色絵、交趾などを作る 昭和55年初代と共に50周年記念展を催す 黄檗陶匠 工房は京都市東山 京都市生まれ
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鳥獣戯画のそばちょこプレゼント
10月は清水焼の人気の鳥獣戯画のそばちょこをなんと10名のかたにプレゼントする太っ腹企画を行っています。 残念ながら絵柄はお選び頂けません。こんなかのいずれか一つをお手元にお届け致します。 めんつゆ入れに、取り鉢に、焼酎グラスに多目的にお使いいただける当店の看板商品です。まだまだ読者数も少ないですしかなりの確率で当選すると思いますよ。 応募方法について詳しくはメルマガ松韻堂ざんまいをご覧下さい。
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楽茶碗 春草
寸法 直径11cm×高さ8.5cm 重さ310g 木箱付
■送料無料・代引手数料無料■※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。 ■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■ ※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。 陶歴 吉村楽入 二代 楽入 昭和4年生まれ 昭和23年京都府陶工訓練所終了。以後、父甚四郎に師事、楽入を継承。 京都楽窯会所属。昭和60年4月、同会会長に就任 三代 楽入 1959 二代楽入の長男として京都に生まれる 1982 同志社大学経済学部卒業 1983 京都市工業試験場伝統産業後継者育成陶芸コース修了 1984 京都府陶工訓練校成型科卒業・以降、父 二代 吉村楽入に師事 1986 陶芸集団チェラミスタに参加 1989 以降、グループ展に多数出品・作品工房 楽入窯を創始し主宰する 1993 京焼清水焼パリ展に出品し入選 2000 泉涌寺熊谷龍尚師より重生印拝領・以降、重生銘にて作陶活動 2002 吉村重生展(高知大丸・博多大丸) 2003 吉村重生茶陶展 (京都高島屋) 2004 萬福堂 吉村楽入を襲名
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染付網コーヒ茶碗
清水焼の網目の絵柄はいわれが諸説あります。もっとも有名なのは編み目の器を使うと中風(脳梗塞、脳血栓などの脳障害)にならないというまじないです。器に連なって描かれた網目模様が人間の血管1つ1つをあらわしているといわれています 寸法 カップ直径9cm×高さ6.5cm 重さ110g
直径15.cm×高さ3cm 重さ160g 化粧箱付 ※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。 京焼・清水焼 窯元 陶歴 芳山窯 加藤 吉継 昭和二十八年 京都市東山区今熊野に生まれる。 昭和四十六年 京都市立伏見工業高校窯業科を卒業 京都府立陶工訓練校にて、ロクロ成形を習得、専攻科にて技術を磨く。 その後、家業の芳山窯を継承し、現在京都日吉製陶協同組合にて活躍中
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2007年09月24日(Mon)▲ページの先頭へ
皇大神社−元伊勢三社−
当時は由良川の水運が利用され、船着場から1里、4qほど歩くだけで良かったので、老若男女大勢の人が参拝したそうです。 当社は、皇祖天照皇大神をお祀りする神社で、正式社名は皇大神社であるが、一般に元伊勢内宮を冠してお呼びしている。 十代崇神天皇39年に「別に大宮地を求めて鎮め祭れ」との皇大神の御教えに従い、永久にお祀りする聖地を求め、それまで奉祭されていた倭の笠縫邑を出御されたのが今を去る二千数十年前のはるかな昔であった。そしてまず最初に、はるばると但波(たにわ)へ御遷幸、その由緒により当社が創建されたと伝えられる。 皇大神は4年ののち、御神蹟(みあと)をとどめて再び倭へおかえりになり、諸所を経て、56年後の垂仁天皇26年に、伊勢の五十鈴川上にお鎮まりになった。 天照皇大神の御神徳を仰ぎ慕う崇敬者は、引き続いて当社を伊勢神宮内宮の元宮として、「元伊勢内宮」あるいは「元伊勢皇大神宮」、「大神宮さん」などと呼び親しみ、今に至るも庶民の厚い信仰が続いている。 (皇大神社の由緒より) 厄除神の本宗でもある奇岩窓神・豊岩窓神を祀る御門神社があります。 「節分の深夜、龍が灯を献ずると言い伝えられている。幹回り約7米、高さ約30米、樹齢2千年と推定される御神木。」とありました。 なにとぞ下のボタンを押して下さい。続ける糧となります。 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ![]()
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宮川真葛作 団子ノ絵 盃
寸法 直径6.5cm×高さ3.5cm 重さ38g 木箱付
■送料無料・代引手数料無料■※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。 ■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■ ※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。 陶歴 宮川真葛 先代治平香斎 大正十一年三月九日東京に生まれる 旧姓 杉本三喜重(宮川治平香斎) 東京大空襲にて両親を亡くし、復員後母方の遠縁をたより、京都へ来る。 昭和二十一年十二月、四代永誉香斎の長女美津と結婚し宮川家に入籍する 昭和二十一年一月五日より父につれられて半床庵久田無適斎宗匠のもとへ 稽古に通う。 無適斎宗匠御逝去後、尋牛斎宗匠に御指導を仰ぎ、茶陶を制作する。 昭和四十七年(1972)香斎を襲名し、即中齋宗匠より真葛の印を頂戴し、作品に使用する。 平成十四年(2002)養子和男に代を譲り隠居し治平を名乗る。 当代 1944年 京都に生まれる 1970年 東京造形大学美術学部彫刻専攻卒業 1976年 京都の真葛窯に入り、以後五代目宮川香齋の補佐をする 2002年 一月 六代目宮川香齋を襲名する 同年 大徳寺僧堂龍翔寺嶺雲室高田明浦老師より真葛の印賜る 作品に使用する
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2007年09月23日(Sun)▲ページの先頭へ
東一口界隈
現在の久御山ジャンクションから北に広がる田園地帯は昭和の初期まで巨椋池(おぐらいけ)という巨大湿地帯でした。池の周囲16km、800haの広さで、中世から干拓や水路の付け替えが頻繁に行われたが、明治に入って干拓が本格化し、昭和16年には巨椋池は無くなってしまいました。 巨椋池漁業の総帥を務めた大庄屋 山田家です。 この地に残る山田家は巨椋池漁業の総帥を務めた大庄屋です。 平成の代になっても脈々と続く、巨椋池の漁業の繁栄と久御山の歴史、今もなお、息づいていました。 なにとぞ下のボタンを押して下さい。続ける糧となります。 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ![]()
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2007年09月22日(Sat)▲ページの先頭へ
御陵、天智天皇山科陵
墓が京都の山科に造られたのは天智天皇が馬で山科に行った時、行方不明で戻らなくなり、沓だけがここで見つかったのでここに墓を造ったという伝承によります。 天智天皇が日本ではじめて奈良明日香に時計台を造ったことにちなみ、設置されています。 なにとぞ下のボタンを押して下さい。続ける糧となります。 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ ![]()
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