京焼・清水焼 窯元 谷口松韻堂 京都三年坂よりほんまもんの清水焼の今昔をお届け致します! - 2007/09

京都の三年坂から京焼・清水焼の今昔を発信致します。

2007年09月30日(Sun)▲ページの先頭へ
干支緑交趾袋ねずみ香合
干支緑交趾袋ねずみ香合清水焼の窯元昭阿弥作の干支のネズミの香合兼置物、干支緑交趾袋ねずみ香合です。 干支緑交趾袋ねずみ香合京焼らしいビビッドな緑色の肌あい、緑交趾釉は永楽写しといってもとはお茶道具の色なんです。 干支緑交趾袋ねずみ香合袋ねずみは色絵のものを前回お伝えしましたが、こちらは筆ではなく一珍盛りによるもので、絵柄を付けるだけでなく、流れやすい交趾釉の色が互いに交わることのないよう境界線を付ける役目も果たしています。 干支緑交趾袋ねずみ香合イッチンの絵柄は宝尽くし、素焼きの磁器の肌に金を塗ることで、テカリのある緑とは対照的に光沢のない落ち着いた色合いに焼き上がっています。 干支緑交趾袋ねずみ香合緑の袋の肩にのっかる一際輝くねずみは白鼠。ネズミに限らず、清浄の色、白い動物はどれも神さんのお使いと云われてあやかられています。 干支緑交趾袋ねずみ香合袋ねずみの袋はゴミ袋?、ズタ袋?いえいえこれは大黒さんの担ぐ宝袋や福袋なんです。大黒さんに代わって袋のネズミが皆さんに幸福をお裾分けしようとしています。 ちなみ現在、お正月に売られる福袋もこの大黒天の担ぐ袋に由来したものです。 干支緑交趾袋ねずみ香合内側は真っ白。 干支緑交趾袋ねずみ香合高台の中まで交趾は塗られています。ご存じかと思いますが丸の型物香合ですので凹凸があり、交趾に多少の色むらは自然でます。 干支緑交趾袋ねずみ香合干支緑交趾袋ねずみ香合、古来より、干支置物を玄関先や居間などに飾ることは、その年一年間のご多幸を祈るとともに福を招く風習として続いています。

子孫繁栄に、また干支頭のネズミは物事の始まりとして生まれ年に関係なく喜ばれています。

寸法 直径6cm×高さ5.5cm 重さ70g 木箱付
※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。
干支緑交趾袋ねずみ香合 8,800円  購入数
包装  
■送料無料・代引手数料無料■
■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■
※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。



陶歴 高野昭阿弥

昭和5年創業の初代昭阿弥の許で仕事を覚える
平成5年2代目昭阿弥となる
主に磁器による抹茶、煎茶道具の染付、祥瑞、色絵、交趾などを作る
昭和55年初代と共に50周年記念展を催す
黄檗陶匠
工房は京都市東山
京都市生まれ

商品のお問い合せはこちらへありがとうございます。

サイト内検索はこちらから Google Custom Search

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
宮川真葛作 染付盃 ねち
宮川真葛作 染付盃 ねち東山の真葛ヶ原で開窯した真葛長造の流れを引く真葛焼のねじ呉須の盃です。先代のものです。 宮川真葛作 染付盃 ねち風車のようにシンプルに呉須の濃淡三種だけで捻り描きした絵付けは俗にネジ呉須といって有名すぎる絵付けです。シンプルで飽きが来ない、日本人の琴線に触れる絵付けということで全国的に石物の産地なら描かれています。京都ではこのように盃だけでなく、小鉢や皿など食器にも多く見られます。 宮川真葛作 染付盃 ねち この茶道具窯の箱書きには「ねち」となっていますが、古い言葉ではそういったものと思われます。 宮川真葛作 染付盃 ねち五カ所、縁に切り込みをいれ、輪花になっています。全体に厚手です。 宮川真葛作 染付盃 ねち手に持ってみました。 宮川真葛作 染付盃 ねち戦中、日本は満州と往来がありましたので、京都の古い窯元さんは高価な中国原産の呉須を今でも使っていらっしゃいます。現在は入手できなくなりました。 宮川真葛作 染付盃 ねち真葛と押印があります。先代のものです。 宮川真葛作 染付盃 ねち宮川真葛作 染付盃 ねち、現代に息づく真葛焼は京焼史上大きな意味合いを持っています。

寸法 直径6.5cm×高さ3.8cm 重さ36g 木箱付
※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。
宮川真葛作 染付盃 ねち 24,000円  購入数
包装  
■送料無料・代引手数料無料■
■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■
※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。


陶歴 宮川真葛

先代治平香斎
大正十一年三月九日東京に生まれる
旧姓 杉本三喜重(宮川治平香斎)
東京大空襲にて両親を亡くし、復員後母方の遠縁をたより、京都へ来る。
昭和二十一年十二月、四代永誉香斎の長女美津と結婚し宮川家に入籍する

昭和二十一年一月五日より父につれられて半床庵久田無適斎宗匠のもとへ
稽古に通う。 無適斎宗匠御逝去後、尋牛斎宗匠に御指導を仰ぎ、茶陶を制作する。
昭和四十七年(1972)香斎を襲名し、即中齋宗匠より真葛の印を頂戴し、作品に使用する。
平成十四年(2002)養子和男に代を譲り隠居し治平を名乗る。

当代
1944年 京都に生まれる
1970年 東京造形大学美術学部彫刻専攻卒業
1976年 京都の真葛窯に入り、以後五代目宮川香齋の補佐をする
2002年 一月 六代目宮川香齋を襲名する
同年  大徳寺僧堂龍翔寺嶺雲室高田明浦老師より真葛の印賜る 作品に使用する
商品のお問い合せはこちらへありがとうございます。

サイト内検索はこちらから Google Custom Search

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
抹茶碗 醍醐の紅葉
抹茶碗 醍醐の紅葉五条坂の清水焼窯元浅見与し三作の抹茶碗 醍醐の紅葉です。 抹茶碗 醍醐の紅葉醍醐の桜があまりにも有名すぎて、「醍醐のもみじ」と聞くと意外な感じがしますが、秋に醍醐寺や上醍醐周辺を歩けば紅葉に包まれた多くの国宝建築物を見ることができます。

874年に創建された総本山醍醐寺。豊臣秀吉ゆかりの名刹で、1598年に盛大に催された、醍醐の花見茶会。実は秀吉は同じ年の秋、醍醐寺での紅葉狩りを楽しみにしていたそうですが、その夢を果たすことなく生涯を閉じました。 抹茶碗 醍醐の紅葉与し三らしい釉の光沢を抑えた綿菓子のような質感。そこへ上絵と下絵で醍醐の紅葉と沿道の三色幕が描かれています。派手好みの秀吉の雰囲気がいっぱいの景色です。 抹茶碗 醍醐の紅葉秋の夕日に照る山もみじ。

葉脈や赤の濃淡で描き分けられた紅葉のうつろい、秋の醍醐山麓を歩くとこんな風景が望めるのでしょう。 抹茶碗 醍醐の紅葉内側の紅葉の絵付け。枝垂れる紅葉の絵付けが正面と交わるとき茶碗に遠近感が生まれます。 抹茶碗 醍醐の紅葉見こみの景色。茶だまりの辺りが肌色に見えるのは白泥がかけ残っているからです。比較的、鉄分の薄い土を使っています。また口縁は乾山風に黒く塗り、手作りの風合いを活かして丸くないラインを描いています。 抹茶碗 醍醐の紅葉茶碗の後ろ側。腰回りは白泥が薄く、土ものの白は磁器の白身と異なり、暖かみがあります。 抹茶碗 醍醐の紅葉 渦巻き高台に竹の節状の削り。すこし梅皮華、カイラギともかいらぎも表記される釉のちぢりが見られます。高台は目焼きにしているので大きな五徳跡が景色となっています。 抹茶碗 醍醐の紅葉秀吉の夢だった醍醐の紅葉が満開に描かれた抹茶碗 醍醐の紅葉、ご家庭で京都の紅葉狩りをお楽しみください。

寸法 直径12cm 高さ8cm 重さ260g  木箱付
※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。
抹茶碗 醍醐の紅葉 22,000円  購入数
包装  
■送料無料・代引手数料無料■
■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■
※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。



陶歴
吉峯窯 四代目
     浅見 与し三

初代・与し三は大正元年父・与之助(二代五郎助の次男)より分家して五条坂にて開窯

昭和三十六年五条坂に生まれる
父(二代目)叔父(三代目)の許、作陶を修行し平成四年四代目 襲名
平成七年大徳寺塔頭瑞峯院前田 昌道老師より
吉峯窯の窯名を賜る

商品のお問い合せはこちらへありがとうございます。

サイト内検索はこちらから Google Custom Search

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
2007年09月29日(Sat)▲ページの先頭へ
鈴虫寺−寿々むし8000匹−
鈴虫寺−寿々むし8000匹−阪急嵐山線「松尾駅」から徒歩15分、桂にある妙徳山華厳寺、通称 鈴虫寺へお参りしました。 鈴虫寺−寿々むし8000匹−寺内に多くの鈴虫が飼育され、季節に関係なく一年中鳴いていることから鈴虫寺と呼ばれるようになりました。その数なんと8000匹以上だそうです。 鈴虫寺−寿々むし8000匹−入学・開運・良縁のご利益があり、嵐山方面の人気の観光寺院です。平日にもかかわら境内の外へまで行列は続いています。 鈴虫寺−寿々むし8000匹−鈴虫寺入口には、どんな願い事でもかなえてくださる有名なわらじばきの幸福地蔵がおられます。ここのお地蔵さん、一度住所と名前を云ってお願いすると、次からはこちらからお参りしなくてもわらじを履いてあなたの家まで願いごとをかなえに、歩いて来てくださるそうです。 鈴虫寺−寿々むし8000匹−幸福地蔵の足下です。確かにわらじを履いていらっしゃいました。 鈴虫寺−寿々むし8000匹−この幸福地蔵のにっこり笑ったお顔、どことなくここでカリスマ説法をしている副住職に似ていませんか?(そう思うのは私だけでしょうか) 鈴虫寺−寿々むし8000匹−ここへ来る9割以上が女性です。失恋した人や芸能人も良く来るらしいです。珍しいお地蔵さんのお守り「幸福お守り」を持つと、ひとつの願いごとをかなえて下さるそうで、自分だけでなく、家族や友人の分まで買う人もいました。 鈴虫寺−寿々むし8000匹−本堂へはいるとエアコンをガンガンかけた大広間に案内されます。ここで名物和尚の法話を聞くことになるのですが、前に置かれたいくつものガラスケースに飼育されている鈴虫のすごい数。鈴虫が過ごしやすいように鈴虫のためにエアコンをかけているそうです。

鈴虫の大合唱が鳴り響くなか、お茶とお菓子を出され、時間にして30〜40分ぐらいでしょうか、ユーモアたっぷりのお話を聞かされます。 残念ながら、鈴虫などの撮影は禁止されていました。 鈴虫寺−寿々むし8000匹−本堂外へ出て中の撮影は許されています。みな面白そうに鈴虫を見ています。 鈴虫寺−寿々むし8000匹−鈴虫寺境内の庭園は、自然の山々を取り込んだ回遊式庭園です。 この庭園は、全国の竹が植えられた竹林を中心に、鈴虫の鳴き声はもちろん自然とみごとに調和した美しさを見せてくれます。 鈴虫寺−寿々むし8000匹−もらったお茶菓子には鈴虫とは書かず、寿々むしと書かれていました。寿が続くめでたい虫、鈴虫、中の黒いつぶつぶは死んだ鈴虫の死骸をすりつぶしていれてありますと、

和尚の落ちがありましたがあれは嘘でシソの葉(ゆかり)です。 鈴虫寺−寿々むし8000匹−お寺もある種サービス業、和尚や企画のエンターテイメント性が鈴虫寺に全国から多くのファンを引きつけている理由がわかりました。

しかし8000匹以上の鈴虫どうやって数えたのだろう?


なにとぞ下のボタンを押して下さい。続ける糧となります。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 美術ブログへ
BuzzurlにブックマークBuzzurlにブックマーク この記事をクリップ!

サイト内検索はこちらから Google Custom Search

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−
丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−京都は京北町にある鉱山の中を実体験できる丹波マンガン記念館へ行ってみました。

丹波マンガン記念館は在日朝鮮人の元鉱員李貞鎬さん(1995年死去)が、自身の所有する新大谷鉱山を家族で整備し、資料館とともに1989年に建てられたものです。

現在は、ご子息が李龍植さんが館長を務めておられ、溜まり溜まった濃い話を聞かせて下さいました。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−裏の鯖街道ともよばれる周山街道から辺鄙な山道を奥深く入っていくと記念館はあります。ほんとにこの奥に記念館はあるのかと思えるような場所にあり、場内は独特の雰囲気があります。私が訪れたときは奈良の人権団体の方が来ておられました。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−丹波はかつて国内最大のマンガン採掘地帯です。旧京北町、旧日吉町、旧美山町を中心として丹波盆地の中に、300もの鉱山があったそうで、1896年頃から1983年頃(なんと最近)まで採掘が行われました。いまもなおあちこちにその坑道が残っています。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−この記念館の裏山にもその跡はあちこちに穴が残っているそうで、散策道ができていました。

生野や石見の銀山と異なり、大手が参入するほど高価でもないマンガン、その多くは零細企業や軍部が中心となって開発したのだそうです。
私も陶芸材料やマンガン電池でも使うマンガン、鉄と溶け合わさると、鉄を強くする性質を持っているため、とりわけ戦時中たくさん掘られました。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−鉱山で働いていた人々の多くは、朝鮮半島や中国、被差別部落の人たちです。戦時中に労働力不足を補うためにとりわけ朝鮮から多く強制連行されてきました。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−飯場はご飯を立って食べたり休憩する場所です。一度、シベリアに強制連行された日本人の生活ぶりをお伝えしましたが、こちらも目を覆うほど悲惨でした。だんご汁と菜っ葉だけの生活、それでも当時、強制連行された朝鮮人は男の人で200s〜300s、女性で100s近いマンガンを毎日背負って運んだそうです。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−戦争中は被差別部落の人々を中心とした労働者が20s〜30s離れた最寄りの鉄道駅まではベタ(牛)車でマンガンを運びました。

被差別部落の人、強制連行の朝鮮人同士でも差別は行われたようです。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−川端大切坑入口です。300メートル約30分、ここから坑道のなかを実体験できます。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント− 坑内の温度は10度、ポタポタと上から水が降ってきてコウモリが飛んでいました。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−中には当時の採掘作業などがマネキンをおいて再現されています。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−タヌキ掘りといってはいずりながら横穴を掘っていくのがここの鉱山の特徴です。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−暗く怖いの一言です。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−展示物や看板は手作り。これがこの記念館の独特の雰囲気を醸し出していました。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−終戦後、帰国された方でも多くの方がじん肺で苦しまれたそうです。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−もし岩盤が崩れたら?実際崩れた鉱山もあるでしょう。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−セットの(ハンマー)の手掘り、サザエの明かり。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−その過酷さは筆舌に尽くしがたいのでぜひこの目でご覧下さい。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−半時間いるだけでも狭く暗く気が狂いそうになりました。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−鉱山を出ると記念館のゲートに出ます。どうやら山の中を一周したようでした。

出口近くに鍛冶場が再現。発破ノミ、姑息ノミ、当時の道具は各自、鍛冶場で焼きさきがけました。 丹波マンガン記念館−強制連行のモニュメント−資料館にて日本史の歴史に刻まれた人権侵害の歴史が展示されています。

記念館に来て見て確かに云えること、それはここの館長の話、すべて事実ですヮ。


なにとぞ下のボタンを押して下さい。続ける糧となります。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 美術ブログへ
BuzzurlにブックマークBuzzurlにブックマーク この記事をクリップ!

サイト内検索はこちらから Google Custom Search

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
2007年09月28日(Fri)▲ページの先頭へ
楽茶碗 秋明菊
楽茶碗 秋明菊楽入作の楽茶碗 秋明菊です。 楽茶碗 秋明菊秋の訪れを感じさせるシュウメイギク、秋に菊に似た花を咲かせることから名付けられたキンポウゲ科の多年草です。貴船菊(きぶねぎく)との別名を持ち、中国から伝わり日本ではもとは茶花として好まれてきました。 楽茶碗 秋明菊楽茶碗の正面です。下絵で描かれた柔らかい色合い、かれんな白やピンクの花びらがにょきっとあちこちから顔を出している姿が愛らしいです。 楽茶碗 秋明菊ピンクや赤紫など微妙に色合いを変えている花びらはなんと花弁ではなく、萼片が変化したものだそうです。高く伸びた花茎の上に大柄な花、すこし秋桜と呼ばれるコスモスにも似ています。 楽茶碗 秋明菊後ろ姿です。白楽土に刷毛でピンクの化粧を塗っており、よく見ると濃淡があります。形状は腰からストレートに立ち上がっており、光沢を抑え半透明に見える釉薬はヴェールのように上品に下絵を覆う役目をしています。 楽茶碗 秋明菊内側の造形。飲み口や腰に厚みがありますが、楽土は他の陶器以上に穴の集合体、手に持ち上げると驚く軽さがあります。 楽茶碗 秋明菊楽入窯の角印と独特の高台。高台の中まで透明釉が掛かっています。 楽茶碗 秋明菊腰回り。シュウメイギクの茎や葉っぱなど根元の部分までしっかり描き込んでいます。墨彩画のような柔らかい絵付けと楽焼きの持つ土の暖かみがマッチした作品です。 楽茶碗 秋明菊秋の訪れを感じさせるシュウメイギクです。あなたが菊でないのが不思議です。

寸法 直径11cm×高さ8.5cm 重さ310g 木箱付
※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。
楽茶碗 秋明菊 14,800円  購入数
包装  
■送料無料・代引手数料無料■
■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■
※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。


陶歴 
吉村楽入
二代 楽入
昭和4年生まれ
 昭和23年京都府陶工訓練所終了。以後、父甚四郎に師事、楽入を継承。
京都楽窯会所属。昭和60年4月、同会会長に就任

三代 楽入
1959 二代楽入の長男として京都に生まれる
1982 同志社大学経済学部卒業
1983 京都市工業試験場伝統産業後継者育成陶芸コース修了
1984 京都府陶工訓練校成型科卒業・以降、父 二代 吉村楽入に師事
1986 陶芸集団チェラミスタに参加
1989 以降、グループ展に多数出品・作品工房 楽入窯を創始し主宰する 
1993 京焼清水焼パリ展に出品し入選
2000 泉涌寺熊谷龍尚師より重生印拝領・以降、重生銘にて作陶活動
2002 吉村重生展(高知大丸・博多大丸)

2003 吉村重生茶陶展 (京都高島屋)
2004 萬福堂 吉村楽入を襲名
商品のお問い合せはこちらへありがとうございます。

サイト内検索はこちらから Google Custom Search

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
産寧坂にて撮影
産寧坂にて撮影9月19日の水曜日、産寧坂にて撮影がありました。
藤田弓子と谷啓という方が来られ、何度も『京都はどうでしたか?』というやりとりがあたりに響いていました。 産寧坂にて撮影ドラマかコマーシャル、いづれの撮影か教えて頂けませんでしたので、放送をご覧になられた方、よろしければ教えて下さい。

なにとぞ下のボタンを押して下さい。続ける糧となります。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 美術ブログへ
BuzzurlにブックマークBuzzurlにブックマーク この記事をクリップ!

サイト内検索はこちらから Google Custom Search

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
揮毫
直筆の皿今週の水曜日はとある高名なかたを窯元のほうへお連れして、皿に漢字や絵を書いて頂きました。
書き慣れておられ、ざっと50枚ほどを数時間で書き終えられました。
年の暮れに今年の漢字、一字を書かれる方と云えば、お分かりいただけますでしょうか。 直筆の皿
まずはご協力頂きました取引先の方に感謝です。

なにとぞ下のボタンを押して下さい。続ける糧となります。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 美術ブログへ
BuzzurlにブックマークBuzzurlにブックマーク この記事をクリップ!

サイト内検索はこちらから Google Custom Search

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
2007年09月26日(Wed)▲ページの先頭へ
白磁 急須
白磁 急須
清水焼の煎茶道具を主に手がけている窯元 昭阿弥作の白磁 急須です。 白磁 急須
みずみずしくつややかさで美しい純白の急須、直接穴が急須の胴体に空けられているのは通常、煎茶道具としての作りです。 白磁 急須
すらりと伸びた注ぎ口。この急須唯一の装飾、つまみが可愛い。 白磁 急須
細く先で広がった白い持ち手。ぷっくらふくらんだ丸っこい急須の胴とは対照的に他のパーツは細長く仕上がっています。

白磁と一言で言っても、京都の磁器は有田の天草陶石と出石の柿谷陶石をブレンドしているので他産地の磁器とは異なる白さがあります。釉薬もとろりと厚く掛かっているので幾分、青白磁に近い印象を受けます。 白磁 急須
急須の底、実は釉薬が掛かっていません。本当は直火でも大丈夫なんですが、ご家庭ではお湯を注いでお使いください。 白磁 急須
透明感のある磁器の白は、汚れが付きにくく、清潔感いっぱい。 白磁 急須
シンプルなデザインなので洋風のインテリアにもなじむかと思います。

寸法 縦11p×横12p×高さ10p 重さ190g 容量 250cc 化粧箱付
※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。
白磁 急須 8,800円  購入数
包装  
■送料無料・代引手数料無料■
■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■
※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。



陶歴 高野昭阿弥

昭和5年創業の初代昭阿弥の許で仕事を覚える
平成5年2代目昭阿弥となる
主に磁器による抹茶、煎茶道具の染付、祥瑞、色絵、交趾などを作る
昭和55年初代と共に50周年記念展を催す
黄檗陶匠
工房は京都市東山
京都市生まれ

商品のお問い合せはこちらへありがとうございます。


writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
当サイト設立理念
ブログ設立理念 京都の誇る伝統産業 清水焼の地位向上のため、また京焼清水焼を時代の流れから守り次の世代に現在の高度な技術を伝える為に情報を発信しております。どうか皆様御笑覧下さい。


writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
白磁宝瓶急須 小
白磁 宝瓶急須 小
京焼の窯元高野昭阿弥作の純白の白が、つややかでなめらかな、美しい白磁の急須です。

急須は急須でも宝瓶急須といって玉露などのぬるめのお湯を使うので熱さ除けの持ち手が無くなった物です。 白磁 宝瓶急須 小
烏口の先につながる茶漉し穴。京都の磁器は有田の天草陶石と出石の柿谷陶石をブレンドしているので他産地の磁器とは異なる白さがあります。釉薬もとろりと厚く掛かっているので幾分、青白磁に近い印象を受けます。 白磁 宝瓶急須 小
この宝の瓶と書く宝瓶急須、高台があります。また蓋の裏に昭阿弥と名前がうっすらと入っているのをご確認いただけますでしょうか。

京焼のなかでも昭阿弥の煎茶道具を愛用されている煎茶の流派は大変多く、この急須ももともとはお茶の先生がお手前で使う為に作られたものでもあるのです。それゆえ芸術性と機能性を追及した寸法やフォルムは幾人ものプロの厳しい目をくぐり抜けて生き残った逸品と云えます。 白磁 宝瓶急須 小
両手で挟むとこのとおりの小ささ。なんと70ccしか入りません。玉露など高級なお茶を美味しく飲むには急須は小さければ小さいほど良いと言われています。これより小さな白磁の宝瓶急須がかつてありましたでしょうか。 白磁 宝瓶急須 小
注ぎ口は手作りですので微妙に歪みがあり、口先をあえて反らしています。これでとろみのついた最後の一滴までしっかり注げます。
最高のおいしいお茶を自分ひとりでゆっくり、少しずつ時間をかけて愉しみたい。
この昭阿弥作白磁宝瓶急須 小はまさにそんな方の為の急須です。これでは小さいという方のために大のサイズもご用意しております。

寸法 縦9p×横7.5p×高さ6.5p 重さ120g 容量70cc 化粧箱付
※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。
白磁 宝瓶 小 7,000円  購入数
包装  
■送料無料・代引手数料無料■
■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■
※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。



陶歴 高野昭阿弥

昭和5年創業の初代昭阿弥の許で仕事を覚える
平成5年2代目昭阿弥となる
主に磁器による抹茶、煎茶道具の染付、祥瑞、色絵、交趾などを作る
昭和55年初代と共に50周年記念展を催す
黄檗陶匠
工房は京都市東山
京都市生まれ

商品のお問い合せはこちらへありがとうございます。


writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
鳥獣戯画のそばちょこプレゼント
鳥獣戯画のそばちょこ松韻堂のプレゼント企画のご案内です。

10月は清水焼の人気の鳥獣戯画のそばちょこをなんと10名のかたにプレゼントする太っ腹企画を行っています。
残念ながら絵柄はお選び頂けません。こんなかのいずれか一つをお手元にお届け致します。

めんつゆ入れに、取り鉢に、焼酎グラスに多目的にお使いいただける当店の看板商品です。まだまだ読者数も少ないですしかなりの確率で当選すると思いますよ。

応募方法について詳しくはメルマガ松韻堂ざんまいをご覧下さい。

メルマガ登録・解除 ID: 0000247427
松韻堂ざんまい
   
バックナンバー powered by まぐまぐトップページへ

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
楽茶碗 春草
楽茶碗 春草吉村楽入作の楽茶碗 春草です。 楽茶碗 春草 楽茶碗 春草 楽茶碗 春草 楽茶碗 春草 楽茶碗 春草 楽茶碗 春草
寸法 直径11cm×高さ8.5cm 重さ310g  木箱付
※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。
楽茶碗 春草 14,800円  購入数
包装  
■送料無料・代引手数料無料■
■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■
※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。
陶歴 
吉村楽入
二代 楽入
昭和4年生まれ
 昭和23年京都府陶工訓練所終了。以後、父甚四郎に師事、楽入を継承。
京都楽窯会所属。昭和60年4月、同会会長に就任

三代 楽入
1959 二代楽入の長男として京都に生まれる
1982 同志社大学経済学部卒業
1983 京都市工業試験場伝統産業後継者育成陶芸コース修了
1984 京都府陶工訓練校成型科卒業・以降、父 二代 吉村楽入に師事
1986 陶芸集団チェラミスタに参加
1989 以降、グループ展に多数出品・作品工房 楽入窯を創始し主宰する 
1993 京焼清水焼パリ展に出品し入選
2000 泉涌寺熊谷龍尚師より重生印拝領・以降、重生銘にて作陶活動
2002 吉村重生展(高知大丸・博多大丸)

2003 吉村重生茶陶展 (京都高島屋)
2004 萬福堂 吉村楽入を襲名


商品のお問い合せはこちらへありがとうございます。

サイト内検索はこちらから Google Custom Search

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
染付網コーヒ茶碗
染付網コーヒ茶碗人気の網目模様の描かれたコーヒ碗皿(コーヒー茶碗)です。 染付網コーヒ茶碗もともとは茶道具の絵柄でしたが、シンプルかつすきっとしたデザインは永年使っても飽きが来ないことから、マグカップやワイングラスといった洋風のものまで絵付けされています。 染付網コーヒ茶碗他産地でもよくお見かけする網目模様も京都の物は内側はもちろん、高台の中や蓋の裏にまで絵柄が続いているのをご確認下さい。内、外の中心に結び目が無いと「幸」が逃げるといわれています。 染付網コーヒ茶碗取っての裏側にまで網目が描かれているのをご覧下さい。

清水焼の網目の絵柄はいわれが諸説あります。もっとも有名なのは編み目の器を使うと中風(脳梗塞、脳血栓などの脳障害)にならないというまじないです。器に連なって描かれた網目模様が人間の血管1つ1つをあらわしているといわれています 染付網コーヒ茶碗今回のカップアンドソーサのカップの形状は朝顔のように広がった大ぶりの物です。これ以外にも切立のものもありますが、こちらのほうはコーヒーだけでなく紅茶にも適しています。また手に持つと驚く軽さに仕上がっています。 染付網コーヒ茶碗ソーサーも5寸のサイズがあり、これだけでもデザート皿に使えます。円の中心(結び目)に近づくにつれ、網の目が細かくなっていきます。 染付網コーヒ茶碗真横から見てみました。最近買われた外国の方から聞いたのですが、網目の絵柄は、ヨーロピアンテイスト。老若男女、洋の東西を問わず受け入れられる珍しい絵柄です。 染付網コーヒ茶碗スッキリしたシンプルな網目の絵柄は他産地にもありますが、京もんはすべて手仕事です。 形はもちろん、絵付けも専門の絵付け職人、一筆ずつの手描きで描かれているので暖かみが違います。

寸法 カップ直径9cm×高さ6.5cm 重さ110g
直径15.cm×高さ3cm 重さ160g 化粧箱付
※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。
染付網コーヒ茶碗 15,000円  購入数
包装  

京焼・清水焼 窯元

陶歴 芳山窯  加藤 吉継

昭和二十八年 京都市東山区今熊野に生まれる。
昭和四十六年 京都市立伏見工業高校窯業科を卒業
京都府立陶工訓練校にて、ロクロ成形を習得、専攻科にて技術を磨く。

その後、家業の芳山窯を継承し、現在京都日吉製陶協同組合にて活躍中 


商品のお問い合せはこちらへありがとうございます。

サイト内検索はこちらから Google Custom Search

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
2007年09月24日(Mon)▲ページの先頭へ
皇大神社−元伊勢三社−
皇大神社−元伊勢三社−元伊勢内宮といわれる丹波の皇大神社へお参りしました。 皇大神社−元伊勢三社−徳川時代から明治初期にかけては、年間の参拝者は8万人ほど、麓には宿屋が10軒、土産物屋や茶屋が軒を連ねていたそうですが、現在はその面影はありません。

当時は由良川の水運が利用され、船着場から1里、4qほど歩くだけで良かったので、老若男女大勢の人が参拝したそうです。 皇大神社−元伊勢三社−皇大神社の御由緒

当社は、皇祖天照皇大神をお祀りする神社で、正式社名は皇大神社であるが、一般に元伊勢内宮を冠してお呼びしている。 十代崇神天皇39年に「別に大宮地を求めて鎮め祭れ」との皇大神の御教えに従い、永久にお祀りする聖地を求め、それまで奉祭されていた倭の笠縫邑を出御されたのが今を去る二千数十年前のはるかな昔であった。そしてまず最初に、はるばると但波(たにわ)へ御遷幸、その由緒により当社が創建されたと伝えられる。

皇大神は4年ののち、御神蹟(みあと)をとどめて再び倭へおかえりになり、諸所を経て、56年後の垂仁天皇26年に、伊勢の五十鈴川上にお鎮まりになった。 天照皇大神の御神徳を仰ぎ慕う崇敬者は、引き続いて当社を伊勢神宮内宮の元宮として、「元伊勢内宮」あるいは「元伊勢皇大神宮」、「大神宮さん」などと呼び親しみ、今に至るも庶民の厚い信仰が続いている。                   (皇大神社の由緒より) 皇大神社−元伊勢三社−元伊勢三社の中でもっとも内宮が歩くこととなります。参道の中央にそびえる大きな杉は麻呂子杉といって、聖徳太子の弟の麻呂子親王が、この地方を拠点としていた英呉、軽足、土熊(あご、かるあし、つちぐま)に率いられた鬼を退治する際、その勝利を祈願して植えたものだと伝えられています。 皇大神社−元伊勢三社−真名井の池です。 皇大神社−元伊勢三社−一の鳥居から歩くこと15分、境内に到着です。境内には樹齢1000〜2000年と推定される杉の木があちこちに生えており、杉木立でかこまれた元伊勢内宮は、現在の伊勢内宮に負けず劣らず神域を感じさせるのに十分おごそかな空間が広がっています。 皇大神社−元伊勢三社−皇大神社の厄神さんです。
厄除神の本宗でもある奇岩窓神・豊岩窓神を祀る御門神社があります。   皇大神社−元伊勢三社−その横、カネのなる石です。 皇大神社−元伊勢三社−本殿です。本殿の鳥居は「黒木鳥居」と呼ばれる、皮が付いたままの木を使う古い形式の古いものです。 皇大神社−元伊勢三社−本殿を囲むようになんと81もの末社が祀られております。 皇大神社−元伊勢三社−こちらは皇大神社、神楽殿です。 皇大神社−元伊勢三社−奉納された古い絵馬が並びます。興味深いですが、残念ながら意味が解りません。 皇大神社−元伊勢三社−日出の奇麻知、冬至の日に太陽の登る方向に伊勢と元伊勢と大江山、与謝まで一直線に並ぶのだそうです。大江山と元伊勢そして伊勢神宮の関係を示す「古代の神秘」です。 皇大神社−元伊勢三社−栲機社と本殿の間にあるのが龍灯の杉です。

「節分の深夜、龍が灯を献ずると言い伝えられている。幹回り約7米、高さ約30米、樹齢2千年と推定される御神木。」とありました。 皇大神社−元伊勢三社−1961年に信者の灯明の火から火災に見舞われ無惨な姿になってしまい、また平成3年の台風により枯死寸前だったものを、平成6年に樹勢回復施術が行われています。 皇大神社−元伊勢三社− 本殿は茅葺きの神明造。屋根の上に乗っている鰹魚木は10本。屋根の端から斜め上に突き出している千木は、先端を地面と平行に切る内ソギ。社殿の左右に屋根を支える棟持柱があるということです。 皇大神社−元伊勢三社−私もお参り。芳名録には沢山の人の記帳がありました。 皇大神社−元伊勢三社−御若叡の森、君が代碑とさざれ石です。 皇大神社−元伊勢三社−裏手に回ります。 皇大神社−元伊勢三社−本殿全景。 皇大神社−元伊勢三社−本殿左脇に伸びる龍灯の杉が元伊勢内宮のシンボルのように見えます。是非ともこのまま枯れることなく立ち直って欲しい物です。 皇大神社−元伊勢三社−皇大神社から岩戸神社へ続く道の途中に、元伊勢の御神体山である日室ヶ嶽と一願成就として信仰されている遥拝所がありました。心霊降臨の神山とされ、禁足地となっています。 皇大神社−元伊勢三社−最後に古神道の聖地、元伊勢三社の外宮、豊受大神社へ参りました。


なにとぞ下のボタンを押して下さい。続ける糧となります。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 美術ブログへ
BuzzurlにブックマークBuzzurlにブックマーク この記事をクリップ!

サイト内検索はこちらから Google Custom Search

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
宮川真葛作 団子ノ絵 盃
宮川真葛作 団子ノ絵 盃東山の真葛ヶ原で開窯した真葛長造の流れを引く京都のほうの真葛焼の色絵の盃です。先代治平香斎のものです。 宮川真葛作 団子ノ絵 盃 宮川真葛作 団子ノ絵 盃 宮川真葛作 団子ノ絵 盃 宮川真葛作 団子ノ絵 盃 宮川真葛作 団子ノ絵 盃 宮川真葛作 団子ノ絵 盃
寸法 直径6.5cm×高さ3.5cm 重さ38g 木箱付
※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。
団子ノ絵 盃 24,000円  購入数
包装  
■送料無料・代引手数料無料■
■午後2時までのご注文で翌日配達可能です。■
※北海道・沖縄・秋田・青森・離島など一部地域を除きます。
陶歴 宮川真葛

先代治平香斎
大正十一年三月九日東京に生まれる
旧姓 杉本三喜重(宮川治平香斎)
東京大空襲にて両親を亡くし、復員後母方の遠縁をたより、京都へ来る。
昭和二十一年十二月、四代永誉香斎の長女美津と結婚し宮川家に入籍する

昭和二十一年一月五日より父につれられて半床庵久田無適斎宗匠のもとへ
稽古に通う。 無適斎宗匠御逝去後、尋牛斎宗匠に御指導を仰ぎ、茶陶を制作する。
昭和四十七年(1972)香斎を襲名し、即中齋宗匠より真葛の印を頂戴し、作品に使用する。
平成十四年(2002)養子和男に代を譲り隠居し治平を名乗る。

当代
1944年 京都に生まれる
1970年 東京造形大学美術学部彫刻専攻卒業
1976年 京都の真葛窯に入り、以後五代目宮川香齋の補佐をする
2002年 一月 六代目宮川香齋を襲名する
同年  大徳寺僧堂龍翔寺嶺雲室高田明浦老師より真葛の印賜る 作品に使用する


商品のお問い合せはこちらへありがとうございます。

サイト内検索はこちらから Google Custom Search

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
2007年09月23日(Sun)▲ページの先頭へ
東一口界隈
東一口久御山にある古い町並みの残る地域、東一口あたりを歩いてみました。京都の方はご存じですが、一口と書いて「いもあらい」と読みます。

現在の久御山ジャンクションから北に広がる田園地帯は昭和の初期まで巨椋池(おぐらいけ)という巨大湿地帯でした。池の周囲16km、800haの広さで、中世から干拓や水路の付け替えが頻繁に行われたが、明治に入って干拓が本格化し、昭和16年には巨椋池は無くなってしまいました。 東一口現在は農家や他の職種に就かれていますが、当時、この東一口あたりの村民は皆漁業を営んでいたそうです。 東一口東一口(ひがしいもあらい)の前川(巨椋池排水幹線)堤の両岸が約300本のソメイヨシノで埋め尽くされます。 京都の自然200選にも選ばれています。 東一口 国道一号から一歩東一口に入ると、京都市内とは異なり、石垣を高く積み上げ、その上に住まいを立てる独特の集落が続いています。 東一口 迷路のように細い路地が行き交い、瀬戸内の尾道などを散策している錯覚を覚えます。 東一口昭和の初期までは回りが池でしたので、交通の手段は船だったのでしょう。池に囲まれていた当時の様子が忍ばれます。 多くの家の下にある車のガレージは伊根の舟屋のように舟を収納したのではと思います。 東一口静かな町並みは昔のままの重厚な瓦を積んだ屋根の家が多く、歴史を感じさせます。 東一口こんな風に幾重にも競うように瓦を乗せた家々が続きます。 東一口東一口、恵比寿さん、大黒さんを玄関に飾る家が非常に多いです。 東一口漁業ということではないでしょうが、鯉。 東一口梅に鶯。 東一口鍾馗さん。 東一口細長い家並が続く東一口(ひがしいもあらい)の中ほどに、壮大な長屋門を有する屋敷を見つけました。

巨椋池漁業の総帥を務めた大庄屋 山田家です。 この地に残る山田家は巨椋池漁業の総帥を務めた大庄屋です。 東一口その昔、巨椋池漁業権の総帥であり、御牧郷13ヵ村をまとめていたという大庄屋の格式は 当時の姿を今に伝えています。 東一口長屋門は、東西15間(27メートル)、奥行2間半(4.5メートル)で、 2間半の入口には、観音開きの大きな扉があります。屋根はすべて「丸に五つ引き」の家紋瓦で葺き、 棟(むね)の両端の鯱(しゃち)は重厚な白壁とよく調和ししています。書院の間は、 欄間に網代(網代)や鯉の彫刻がほどこされ、巨椋池での漁業の繁栄を物語っています。 東一口ちょうど山田家長屋門向かいの道を北上すると大池神社というこれまた池にちなんだ神社があります。巨椋池に生息していた全動植物の鎮魂と農業の安全と繁栄を願って創建されました。 東一口山田家の長い長屋門、当時の一口の繁栄ぶりを物語っています。 東一口 巨椋の入り江として万葉の古歌にも詠まれ、近世にいたるまで文人墨客たちにその水郷風景をめでられた巨椋池のほとりの村、東一口。
平成の代になっても脈々と続く、巨椋池の漁業の繁栄と久御山の歴史、今もなお、息づいていました。


なにとぞ下のボタンを押して下さい。続ける糧となります。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 美術ブログへ
BuzzurlにブックマークBuzzurlにブックマーク この記事をクリップ!

サイト内検索はこちらから Google Custom Search

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
2007年09月22日(Sat)▲ページの先頭へ
御陵、天智天皇山科陵
御陵、天智天皇山科陵天気が良かったので久しぶりに山科区御陵にある天智天皇陵へ行ってみました。 御陵、天智天皇山科陵大化の改新で有名な中大兄皇子の墓は天智天皇山科陵というそうです。 御陵、天智天皇山科陵考古学上は御廟野古墳とよばれ、ここは第38代天智天皇のお墓だとされています。

墓が京都の山科に造られたのは天智天皇が馬で山科に行った時、行方不明で戻らなくなり、沓だけがここで見つかったのでここに墓を造ったという伝承によります。 御陵、天智天皇山科陵入り口にある日時計です。
天智天皇が日本ではじめて奈良明日香に時計台を造ったことにちなみ、設置されています。 御陵、天智天皇山科陵うっそうとした樹林の参道を400メートルまっすぐ進むと拝所へたどり着きます。 御陵、天智天皇山科陵ずっとひたすら歩くこと15分。途中、琵琶湖疎水へ抜ける道があり。 御陵、天智天皇山科陵御陵は、広大な林に囲まれ山科陵と呼ばれる上円下方墳の大きな御陵でした。 御陵、天智天皇山科陵天智天皇は大化の改新によって、近江大津宮で668年(天智7)に即位しますがその3年後に死んでしまいます。 御陵、天智天皇山科陵皇位継承をめぐって息子の大友皇子と弟の大海人皇子との壬申の乱のことを知るよしもなし。 御陵、天智天皇山科陵人気の多い三条通りから天皇陵の中に一歩、歩みを進めると、そこは静まり返っていてまるで別世界でした。


なにとぞ下のボタンを押して下さい。続ける糧となります。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 美術ブログへ
BuzzurlにブックマークBuzzurlにブックマーク この記事をクリップ!

サイト内検索はこちらから Google Custom Search

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: (optional)
タイトル(*):
コメント内容(*):
画像認証(*): 表示された画像の文字を入力してください:

名前と URL/Email をcookieで保存
染付雲錦湯呑み
染付雲錦湯呑み清水焼の窯元芳山作の人気の染付雲錦湯呑みです。 染付雲錦湯呑み 染付雲錦湯呑み 染付雲錦湯呑み 染付雲錦湯呑み 染付雲錦湯呑み 染付雲錦湯呑み 染付雲錦湯呑み
寸法 直径7cm×高さ9cm 重さ150g 木箱付
※手作りですので形や色、大きさは1つ1つ異なります。
芳山作染付雲錦湯呑み 15,000円  購入数
包装  
商品のお問い合せはこちらへありがとうございます。

サイト内検索はこちらから Google Custom Search

writebacks(0)
トラックバック(trackback)
URL:

コメント(comment)
名前(*):
URL/Email: