京焼・清水焼 窯元 谷口松韻堂 京都三年坂よりほんまもんの清水焼の今昔をお届け致します! - 2007/07/15

京都の三年坂から京焼・清水焼の今昔を発信致します。

2007年07月15日(Sun)▲ページの先頭へ
法金剛院の蓮
法金剛院の蓮蓮の寺で有名なJR花園駅前の法金剛院、見頃のこの季節、観蓮会にいって参りました。 法金剛院の蓮関西花の寺第十三番、 五位山 法金剛院。
極楽浄土を再現した名勝指定の回遊式庭園、大賀ハスや王子ハスをはじめとした約90種、色とりどりに咲き競っています。 法金剛院の蓮蓮も睡蓮と同じように日が昇る頃にはしぼんでしまうので早朝7時に参上です。
ここは庭には仏足石をはじめ青女の滝、仏殿には重要文化財に指定されている阿弥陀如来坐像、十一面観世音菩薩、同厨子など見所が多いです。 法金剛院の蓮 向こう岸が隠れてしまうほど、法金剛院庭園の池の蓮、大きく成長しておりました。 法金剛院の蓮 池の中の蓮は赤と白の2種類ほど、鉢植えの方に珍しい種類が多く植わっているのは三室戸寺と同じです。 法金剛院の蓮咲いたすぐの蓮の花、特に香華がするのか昆虫も誘われて周りを飛び回っています。 法金剛院の蓮 蓮の見頃はもう少し先のようでしたが、早朝にも関わらず人でいっぱいでした。 法金剛院の蓮 蓮はもともと蜂巣(はちす)と言う言葉が短くなって蓮となったそうです。(蜂巣とは中心の黄色の花床にたくさんの穴があいていて蜂の巣に似ていることから) 法金剛院の蓮この清楚な色合いが好きです。 法金剛院の蓮 桃程の大きさの白蓮。 法金剛院の蓮赤蓮の蕾。 法金剛院の蓮大きな蓮の葉にたまった滴。
これだけ撥水性が強ければ鳥獣戯画のカエルも笠に使うはずです。 法金剛院の蓮アジサイや桔梗、菖蒲の花も咲いていました。 法金剛院の蓮散り際も。こじんまりした睡蓮と違い蓮はすべてがダイナミックだと思いました。 法金剛院の蓮蓮がこんなに生い茂っても鯉は生きていました。 法金剛院の蓮アジサイと言えば三千院、まだ間に合うでしょうか。 法金剛院の蓮ここは極楽でしょうか? 法金剛院の蓮 法金剛院の蓮水面からすらりと茎が伸びて、その先に蕾や花が咲いている。 法金剛院の蓮 法金剛院の蓮牡丹の花と見まがうほどのものもあり。 法金剛院の蓮これぞ蜂巣。 法金剛院の蓮 法金剛院の蓮 法金剛院の蓮 法金剛院の蓮 法金剛院の蓮堂内には蓮写真館。 法金剛院の蓮 法金剛院の蓮 法金剛院の蓮 法金剛院の蓮 法金剛院の蓮極楽に咲くという蓮の花は清楚で、しかも華麗で、俗世に穢れた心を清めてくれました。

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野々村仁清窯址
野々村仁清窯址御室の仁和寺門前にある御室竪町に江戸時代の京焼の祖 野々村仁清の窯跡の石碑が建っています。

野々村仁清(生没年未詳)は,丹波国北桑田郡野々村(現京都府美山町)出身です。名は清右衛門。瀬戸で修業し、京都粟田口に出て製作を始めました。
野々村仁清窯跡正保年間(1644〜48)仁和寺門前に御室窯を開き、茶匠金森宗和の指導のもと,轆轤成形と色絵付に卓越した才能を発揮、茶道具に華麗な意匠をもりこんだ数々の名作をつくり、貴族をはじめ、大名や京坂の豪商などにひろく愛用されました。

美山で生まれ、粟田や八坂で修行、瀬戸へ出向き、最後はここ御室で窯開きと82歳の生涯を終えるまで活動的な人生でした。ちなみに仁清の仁の一文字は仁和寺門跡から下賜されたものです。

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尾形乾山鳴滝窯跡
尾形乾山 陶窯跡仁和寺ほど近く、宇多野にある宝蔵寺門前に野々村仁清の弟子、尾形乾山の邸宅跡と鳴滝窯跡の石碑が建っています。

鳴滝窯の鳴滝の由来は地域を流れる御室川の渓流がこのあたりで滝のようになり、水音が遠くまで鳴り響いたので地名となり、乾山の名はこの地が都から見て『乾(北西)の方角』にあることからそう号したと言われています。 尾形乾山 鳴滝窯跡淋派を大成した尾形光琳の弟、乾山、本名は尾形深省、寛文三年(1663)に京都の呉服商雁金屋の三男として生を授けられました。

 京焼の祖といわれる野々村仁清に陶芸を学び、元禄12年(1699)、37歳の時にこの地に居を構え窯を開きます。50歳で、京市内の二条丁子屋町に移住、晩年は江戸に向い、寛永寺領入谷に窯を築いて81歳でその生涯を閉じました。

乾山は仁清と異なり、茶道具より食器中心、タタラに銹絵(さびえ)や白泥で描き、上絵で赤と緑などを散らしたスタイルは乾山ものとして現代陶工も度々試みています。また 乾山が成型し、光琳が絵付をする兄弟合作の作品が多数残されています。 尾形乾山 鳴滝窯跡
尾形乾山(1663〜1743)は,呉服商雁金屋の三男で光琳の弟。乾山の号は,京都の乾の方向にあたるこの地に住して窯を築いたことによる。野々村仁清の色絵陶技を学び絵付模様に特色を出して高雅な作品を残した。晩年は江戸に下り入谷に住した。この石標は乾山の邸宅と鳴滝窯の跡を示すものである。
フィールド・ミュージアム京都から引用


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創業安政2年(1855年)
これからも時を重ねて育まれた京焼・清水焼ならではの雅な意匠と、職人の手技を次の世代に伝えて行きたいと思います。

谷口松韻堂
京都市東山区清水3−319
TEL/FAX
075-561-8520

営業時間 9:00〜18:00
定休日 無休

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